License to beat.

4年に一度のうるう年である2016年、そして2月29日。こういうタイミングというのは4年に1度かどうかはともかく、なかなか来ないんじゃないかというほど、驚きがありました。木坂さんの「7つの鍵」ライティングセミナー。これを紹介してくださった島田さんに感謝です。

何度かこのブログでも書きましたが、僕には感覚的にやってきたことを論理的に説明できるようになる、というテーマがありました。

いや、テーマというよりも、説明できるようにならなければならない、言語化しなければならない、と考えていました。なぜなら、ビーコンコーチングやタレント化プログラムに参加するメンバーが次のステージに行くようサポートするため、そしてこれが再現可能なことを証明するためです。

小野さんだからできるんですよね、なんて言われるほど、僕がやってきたことは独自性のあるものではないし、特殊なものでもない。まぁ、環境は、特殊だったかもしれないですけどね。

僕がやってきたことが再現可能であることは、今度インタビューで紹介しようと考えているミスターGがある意味証明してくれたのですが、誰にとっても再現可能な技術でありたい。だからこそ、論理的に説明できるように言語化しなければならない。

その解を求めて、木坂さんのセミナーに参加した、ということです。

全4日間のうち3日目は、神職養成講座における祭式作法の試験があったため参加できなかったのですが、1日目と2日目、そして4日目のセミナーから感じたことは、よく練られているな、と。セミナーで紹介してくださった「7つの鍵」が使われていて、こういうふうにして使うんだよ、というメッセージも聞こえてきた感があります。

そして7つの鍵をマスターしたことを前提にして登場した8つ目の鍵と9つ目の鍵。9つ目の鍵が最後の鍵。

奇しくも8つ目の鍵なら賢者者に参加したことのある人なら、そして9つ目の鍵はビーコンライブセミナー@名古屋に参加してくれた皆さんならわかるもの。ああ、同じ言葉が来た。こう感じる人も多いはず。

論理性を求めてセミナーに参加したところ、感覚的な僕が持っている同じ言葉にたどり着いたっていうのは、両極を見るとかそういうことが大事なことなんですよ、というメッセージのようにも思えます。

このあたりの話は機会があればお伝えするとして、セミナーに参加したおかげで論理的に言語化できるようになってきました。

よかったら2016年の3月21日と22日、3週間後あたりですが予定を開けておいてくだると。春ということでビーコンライブセミナーを開催しようと考えています。

前回の名古屋会場に参加できなかった方や参加された方はもちろん、ビート・ザ・コントロールという在り方や僕の在り方に興味がある人ならば、楽しめる内容になるんじゃないかな、と。名古屋での経験から推測、ですが。

セールスライティングスキルを身につけようとかプロモーションスキルを身につけようとか、そういう風に考えている方も、予定を開けておいてくだされば。

募集はメルマガからになりますので、上記案内を受け取りたい場合、案内はともかく何をするのか興味がある場合は、メルマガに登録しておいてください。

メルマガでは先行して募集を開始しますね。

小野貴正

P.S.
木坂さんの許可はもらっていませんが、このタイトルは利用させてもらおうかと。Be yourselfも、今日登場しましたからこれはきっと使っていいですよ、ということなんじゃないかな、って拡大解釈です。

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生き方を選択する。そして、委ねる。

神職養成講座の大きな山と言ってもいい祭式作法の実技試験が本日終了。僕はというと、役割の違いによる足の動かし方や身のこなし方の作法を真逆にしてしまい、9人一組の班においてはもっともアヤシイ試験結果になりそうな予感。

面白いもので、役割担当はくじ引きで決定。宮司や祓主、大麻所役などを9人で割り振り、祭式一連の流れを行うという試験だったのですが、もうコレだよねという割り振りに。神さまはよく見ているな〜とはいいますが、僕が何をやっていなかったかもよくご存知で。ほとんど唯一と言っていいくらい何も作法をやっていなかった役どころが当たりました。随員、という役です。

献幣使という役どころに対し、献幣使祭詞や玉串を献幣使などに渡すのが随員。要は、献幣使が祭祀に供えるものを、代わりに取ってくる係みたいなもの。結構、動く係なんですよね。ちょこまかと。たぶん、今日一番動いたかもしれない。

祭式の練習でやったことのある役割になった人もいれば、そうでない人もいる。コレ、面白いですよね。どちらがどうというわけではないですが。僕はこのくじびきのメッセージを、「ちゃんとやりなさいよ」というふうに受け止めましたが、他の人はどうだろう。

難聴ということもあるのか、役どころの名称を知ったのが昨日だったという状態でしたので、すべての役どころを覚えるのは、僕には難しいかもな、と思っていました。だから、基礎作法だけはしっかりやろうと。止める、開く、とかですね。

しかし動きが違うことを先生に指摘されると頭が白っぽくなりました。真っ白ってやつです。普段ならできることができなくなるものなんですね。冒頭に書いたとおり、真逆の作法を行ってしまいました。基礎作法もつまり、真逆。やれやれ。

試験結果は、どうかな〜と思いますが・・・今日の一番伝えたい話は試験そのものではありません。

試験中、緊張感ゆえか体調不良か班の子が一人倒れかけていました(たぶん貧血・・・脱水症状かな)。コレはきっと、僕がおかしな作法をしているから変に緊張させてしまったに違いない、と思い

「僕がエライ指摘されているから緊張させてしまったんだと思います。ゴメンナサイ〜」

という感じで声をかけたところ、それを先生が聞いていたんですね、たぶん。その後水分をとってやや回復し、試験そのものは無事に終了。いつもより1時間遅い夕拝を行い、いつもどおり一番最後に着替えと片付けが終わって帰ろうとしたところ、祭式教室の玄関口に先生たちが。

僕を見るなり、ユニークなんですよ、なんて言う。アレ、僕の話題だったのかな、と。そんな話題になること、していないはずだけどな〜なんて思っていると、「ジョークで笑わせてなんたらかんたら」みたいな言葉が聞こえたので、ああ、さっきの試験の話か、と。聞いていたわけです。僕が彼女に投げかけた言葉を。

僕はこの言葉をジョークとは考えていなかったですし、むしろお詫びの言葉だったと思います。しかし先生はそれを好意的なジョークだと受け止めている。ああ、おもしろいな、コレ、って思いました。

その先生が話す雰囲気があまりにも温かかったので、実は何を話しているのかを聴き取れてはいなかったのですが、たぶん魂が共鳴するような話なんだろうと、なんかジーンとしちゃって帰り道でウルウル。

ビート・ザ・コントロールして、そして周りの人たちに生かされている、って思えました。生き方を委ねているとも言える。両者は真逆のようで同じものなのかもしれないな、と。「聴こえなくてもいい」と考えてニコニコしていたら、周りが作法のやり方をエライ助けてくれましたから。

僕らは話す内容や行動を選択することはできる。しかしそれがどう受け止められるかというのは、相手に委ねるものなんだな、と。僕らはそれを完全には、コントロールすることができない。だったら、コレは手放してしまおう。我のない領域。ビート・ザ・コントロールするということは、こういうこと。

しかし、物事には順序があります。コレをすっ飛ばすことは、たぶんできない。

License to beat.

ビート・ザ・コントロールの次のステージを、今度お話しします。

P.S.
このネーミングは・・・やはり木坂さんの影響なのだろうか・・・。Be yourselfも、島田さんによると被るみたいだったし。

タイミングというのは、なかなか来ない。

だからと言って僕がタイミングのいい男だとか、波に乗っているというふうに思うわけではないけれど、ハタから言われるようにウマい具合にトントンと進んでいる感はあります。実際、2015年の段階では2017年とか2018年に設定していたマスタープランがすでに達成しているなど、1年や2年早く進んでいる感じです。

2017年か2018年に設定していたマスタープランの一つが、「木坂さんのセミナーに参加する」、というもの。コレは賢者舎のライブセミナー後にザッキーニさんと田園都市線に乗るたび、木坂さんが何をやっているのかを聞いていたからかもしれないですし、ワイルドサイドの島田さんが事あるごとに木坂さんの言葉を引用して教えてくれていたから参加したくなったのかもしれません。要は、刷り込まれた、ような感じかな、と思います。

ある日、島田さんと話をしていたら「木坂さんがやっていることって、大学教育みたいですね」と僕がつぶやき、それに対して島田さんが「そうですよー」と。ああ、コレは僕の求めていたことだと思ったのが2015年の10月から12月にかけてだったと思います。

感覚的に思考して行動することに根拠が無いと危ういな、と思ったので、僕がやっていること、ジェームス・スキナー風にいうと「違いを生み出す違い」というか、ナポレオン・ヒル風にいうと成功法則というか、そういうものを言語化したいって考えていたんです。

それで話を聞く限り、コレをやるのは木坂さんなんじゃないかな、と。それで、機会があれば僕も参加しようと思い、マスタープランの一つにしていた次第です。

まさか2016年早々に実現するとは思いませんでしたが。あ、厳密には2015年に「7つの鍵」ライティングセミナーには申し込んでいたので、2015年に達成。そして2016年はインプットクラスを含む(これに参加したかった)3クラスに申し込み。気づいたら2016年の自己投資用予算をオーバーしているんじゃないかってくらい、早々にマスタープランをクリア。まだ2月ですから、なんといっても。

以前も書きましたが、ビーコンで箱根合宿をやったとき、早速「7つの鍵」ライティングセミナーの学びを活かすことができたんじゃないかなと思いますし、たとえば「物語の5つの型」を話したら皆さんニヤッとしてなるほど〜となる威力。

ありがたいですね、こんな機会を提供してくださるのは。

たらればはないですが、ふと思うのは、今回の「7つの鍵」ライティングセミナーを「全日参加できないから」という理由で見送った場合、今の僕はないだろうなってことです。すでにセミナーで学んだことを活用していますし、参加しなかったという事はもうありえない状況。

タイミングがいいとかそうでないとかって実はわかりにくいものだと考えています。仮にいいタイミングを逃したとしても、それに気付かないこともあるでしょうから、いいかどうかなんてあまり関係がない。しかしおそらくですが間違いないのは、望むところに辿りつく時間がよりかかるかもしれないということと、辿りつけないかもしれない、ってことなんですよね。

1年前を振り返ってみてください。その時、前のめりになって「やろう」と思っても何らかの理由で見送ったもの、ありますか?

もしあるなら、それを今でもやり続けることができていますか?

たぶんですが、やり続けていないか、忘れてしまっているかなのでは、と思います。

それはそれでそんなものだろうというのはカンタン。しかし、今度こそ変化したいと思うのならば、タイミングはもっとも大事だと思います。

なぜならこれは、自分だけでコントロールできるものではないので。

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スワイプファイルを手にしても、セールスレターは書けない。

セールスコピーを学び始めてもうそろそろ3年。同時期に学び始めた方々がどうしているのかはわからないのだけれども、活躍しているといいなぁ、と思います。できれば、コピーを書くことで。

すでに、アプレンティスで学んだ中ではセールスコピーを書いていない方もいらっしゃいますけどね。セルフイメージ先生こと小坂さんはその代表格で、まぁ、コピーじゃなくてもよかったよね、と。ワイルドサイドの島田さんの場合、自己研鑚としての投資、という意味合いが強かったですから。本人も言っていましたが、そんなに課題をやらなかったですし(と本人が恐縮そうに話していました)。あ、でも自分で書くこともあるとか。確かにあのライティングの引き出しの多さは、語り尽くせないほどの力量が覗えます。

セールスコピーの学び方はダイレクト出版さんやその他の講師さんたちのおかげで大分型ができてきたように感じます。スワイプファイルを使えとか、写経しろとか。

でも、実際に書ける人ってエライ少ないよね、って思うのが僕の感想です。というか、書ける人は最初から書けている。書ける人はセールスコピーとは何だということを学んだら、それを応用してセールスレターを書くことができる。

それで、思ったんです。

世の中で耳にするセールスライティングを教える人たちが離さない不都合な真実とも言えるもののひとつに、「文章力は必要」、というものがあるんじゃないのかな、と。

セールスライター市場を広げようと思ったら、文章力が必要なんて言いたくないもの。ただでさえ大きくはない市場がもっと小さくなっちゃうからね・・・。

相対評価世代ならわかりやすいと思いますが、10段階評価で10とか9がいるなら、1とか2がいるってことです。単純に、5以下というのは学校での評価においては平均以下ということになりますから(これは決して真実ではないと思うものの)、「文章力が必要です」なんて言ったら、じゃあ俺ダメじゃん、となる。だから「文章力は必要です」なんて言わない。

代わりに、スワイプファイルを使ってください、マネしてください、コピーはコレクティブです、なんて言うわけです。

これは確かにその通りなのだけれども、語彙とか文法とか接続がわかっている人じゃないと、たぶん使いこなすことは難しい。

なぜなら当たり前ですが、スワイプファイルをそのまま使っていいわけじゃないのですから(盗作になっちゃいますよね)。

文章を書ける人は「いやいや!そんなまるまるマネする人なんていないでしょう。文章の構造をマネすればいいだけなのだから」とか思うかもしれません。しかし、文章が書けない人はそれがわからない。接続詞の「しかし」と「だから」の使い方がわからなかったり、語彙がないからずっと同じ単語を繰り返したりしてしまう。助詞の「に」とか「が」を連発しちゃったりね。

読まれる文章を書く必要がセールスコピーではあるのですから、文章力はいらないっていうのはおかしい。文法は関係ないというけれど、主語述語が一致しなかったり接続が間違っていたりしたら、読むのにエライ時間がかかるもの。二度読みしてくれるだろうなんて思ったらアウトです。セールスコピーを読む読者はいつでも、離脱する理由を探しているものですから。

木坂さんの「7つの鍵」ライティングセミナーでも、「語彙」「文章」「段落」「文章構造」という4つの道具箱の話は登場していました、そういえば。

ここから先は、それでも読まれる文章が書けるようになりたい、という人に向けてのものです。

個人的にオススメする改善方法は、

*レビューを受けること(おしりを叩く人がレビューするならなおよし)
*写経すること(ただしスワイプファイルは厳選。インターネット上で手に入るものはオススメしません。有名ドコロのセールスレターでも文章としてはよろしくないことが多いと思うので。いわゆるちゃんと翻訳された古典がいいと思います。ロバート・コリアーとかね)
*読書をすること(語彙を増やすとか)
*時事情報に触れること(これも語彙を増やすとか、読み手が使う言葉のリサーチを兼ねて)
*実戦で書くこと(セールスレター、ステップメール、ブログ、オウンドメディアなど)

こんな感じかな、と思います。

スキルを身体というか脳に定着させるにはアウトプットの量が大事なので、その分インプットする必要があります。ああ、そうだ。この時、おかしなスワイプファイルを写経する人もいらっしゃるので、ここだけはご注意ください。

ダイレクト出版の寺本さんが言っていましたが、「売れないセールスレターを写経したらダメですよ」と。もうひとつ、僕の私見を加えると、「売れていても文法や文章構造がおかしいものを写経したらダメですよ」と。

なぜか?そのセールスレターが仮に売れたんだとしたら、レターそのものではなくて、他のプロモーション施策やリストとの関係性に売れた理由があるんじゃないか、と僕は思うからです。読めないレターはどうやったって読まれないですから。

セールスライティングは素晴らしいスキルですが、冷静に客観視する視点も持ち続けるといいんじゃないかな、って思います。

P.S.
もうひとつ、とても大事なことがあって・・・それは、経験。文章を書く経験じゃなくて、人生経験。どれだけの経験をしてきたか、どれだけの人と触れ合ってきたか、によりその人物に深みが出るものです。文章にも、その深みが出るものなのですよね。選ぶ単語とか、ね。

P.P.S.
もちろん誰もがある程度の文章力を身につけることはできると僕は思います。S級やA級でなくても、買いたくなるセールスレターを書けるようには。それこそ小学校で習う文法で事足りると思いますので。

やり続けられれば、なんですけどね。ここが一番のハードルなんだろうなぁ。

P.P.P.S.
ロバート・コリアーといえばコレ。ビーコンコーチングの皆さんのほうが僕よりも写経しているっぽいですが・・・
http://myasp88.com/l/u/xFBLxSmkHP7pa4pJ

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オーバーワーク。

前にも書いた記憶もあるのですが、自分の身体と脳の限界値を超えてきている感がヒシヒシと。なんか、身体のコントロールが効かなくなっています。

2013年や2014年の方がよほどハードワークだったと思うのですが。状況的に。しかし身体と脳は今のほうがヤバイと言っています。

思い当たるのは休みのなさ、かな。セールスライティングスキルアップに励んでいた頃は、今でも励んでいるのですが、会社勤めしていない日がありましたし、この日は自分の意思で何をするかを決めることができました。コピーの勉強時間を多く取りつつ眠ることもできた、って感じです。

しかし今は眠る時間を確保することができない。キャパオーバーとはこういうことかと。オーバーワーク状態なのかな、なんて思ったり。

自分に限界はない、というのが小さい頃からの基本方針でしたが、こうもコントロールが効かなくなってくるとその基本方針はちょっと違うんじゃないかな、と今さらながらに思います。

日課のビジュアライズで読み上げている言葉のひとつに

「一番大事なことを一番大事にする自分で在る」

というものがあるのですが、これができていないということなのか、ここ3年で久しぶりの感覚が現在の僕を覆っています。それは何かというと、たぶんストレス。その証拠に、頭痛が治らない。これは、ストレスだな、と。

どんなにうまく生きていこうと身体という器はひとつですから、身体がよろしくないとうまく生きていくことが難しくなる。健康第一とはよくいいますが、それはそのとおりだろうと。

これまでは、自分に限界はない、オレには無尽蔵の体力と氣力が在るのである、なんて感じに思っていましたが、いい加減そうではないことを知る必要があるんじゃないかな、と。

コレは「オレはこんなもんじゃない」というところにも通じることがあると思っていて、じゃあどんなもんなんだろうと。身体が動かないのであれば、何かを見なおさなければこんなもんで終わっちゃうよね、と。

僕の場合は、体力と氣力。いま知らなければいけないよね、って思います。

先日、2023年から2016年にかけてのマスタープランを箇条書きしました。2023年12月31日の理想の一日を毎朝毎晩読み上げていたら、こんな感じだよねって具合に箇条書きすることができたので。

読み返してみると、これが僕にとっての大事なことなんだろうということがわかります。今の状況でそれを達成することができるのか、と言ったらもちろんできるのですが、その前に身体がおかしくなりそう(こう書くあたり、オレはなんてマッチョな考え方をするんだ、と苦笑しちゃいましたよ)。ならば、何かを変える時だよね、と。

限界を知る、限界を認めることでこそ、限界を超えることができるんじゃないかな、と。

仕事とは関係あるとはいえない神職養成講座をやることで、こう感じることができたのはおもしろいな、って思います。

一番大事なことを一番大事にする。

あらためて、こういう自分で在るようにデザインしていくってこと。では、おやすみなさい〜

P.S.
写真は神職養成講座の校外学習で訪れた武蔵野御陵にて。雪が舞っていてエライ綺麗な景色でした。

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ドキッとの結末。

ここ1週間程度のワイルドサイド島田さんとのやりとりは面白かった。

セールスライターは食えないにはじまり、食わされているときた。

コレ、爽快だよなって思うくらい頷くところがあって、なぜなら多くの関係者各位はその不都合な真実を隠すから。いや、隠しているつもりはないのかもしれないけれど、実際セールスがなくならないようにコピーだってなくなるとは考えにくい。言葉そのものが使われなくなればなくなるかもしれないけれど、じゃあどうやってコミュニケーションをとるんだよ、ってなる。

普遍的なものだから、自分の都合がいいような世界だけ見てもらったり、本音を隠したりなんだろうなぁ、と。アンタッチャブルな領域に持っていって話をするみたいな。

しかし、そんなに本音を隠すものなのか。

10月に開催したビーコンライブセミナーで異口同音に言われたことは、ここまで赤裸々に話すものなんですね、というもの。誤解がないように補足すると、すべてを話しているわけではない。いらないことは喋らない。いらないことというのは、読み手にとって不要なことやここで言う必要のないもの。

それでもここまで話すとは、と思われたということは相当突っ込んだ話をしていたんだろうな、と思ったり。音声、聞いてみようかな。

そのコミュニティに属しているから食えるんですよね、という島田さんの指摘はそうだろうなと思い出せることも多く、確かにそうだったりするよね、と。

セールスレターの案件があるところにいきましょうとはよく聞きますが、このあるところにビーコン自体がなっているとは、驚きました。この視点が、いいんですよね、秀逸。

ライティングスキルアップのためと金額的なリスクヘッジのためにビーコンで運営しているライティング案件は、諸刃の剣だったりする。ラクしようとしたらそれなりのものができてしまうもの。

そろそろビーコンコーチングも変化の時かな、って思う。島田さんのブログを読んだら、そう思った。

どう変化させようと考えいるのか。それは明日、書いてみたいと思います。

P.S.
神職養成講座で祭式の練習をしていたら、帰るとスカイプセッションができなくなる予感がし、先ほどまで2時間ほど渋谷でスカイプしていました。しかも外で。雪っぽいものが少し舞っていて、寒かったな・・・。

P.P.S.
木坂さんと会える機会が出てきましたね。興味あれば、ワイルドサイドのブログまで。
http://artistinnovation.net/?p=2888

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人に対して絶望しなくていい。

新しいことを始めるとき、新しい学びを始めるときには少なからず緊張感があるものなんじゃないかな、と僕は考えています。僕の場合、難聴であることがそれを引き出す理由。聴こえにくい先生ならちょっと大変だな、とか考えます。2年とか3年とか前ならば、一緒に勉強する人たちとのコミュニケーション相性がストレス対象だったりしましたが、コレはもう考えなくなりましたね、そういえば。

先生の件も一緒に勉強する人たちの件もそうなのですが、かなりの方々が助けてくれるものだな、と。昨日の授業ではサポート担当の方が耳の聞こえ具合について尋ねてきてくれましたし、しかもわざわざ僕のプロフィールまで確認してくれた模様。「小野さん、高知なんですよね。僕は愛媛なんです。四国つながりということで」こんな感じで。うれしいものです。

できないことをできないと伝えることで、そのできない人に対する接し方が変わるものです。もちろん皆が皆変わるわけではなく、逆によろしくないような接し方をする人もいるかもしれませんが、大多数はそんなことないんじゃないかな、と思います。

総じて、目が優しい。声をかけたり行動として現れなかったとしても、配慮してくれている雰囲気はよく伝わってくる。

サポート担当さんの場合、作法について僕が戸惑っているとき、周りを見て行動が遅れているときは、特に手を差し伸べてくれるようになりました。スッと肩とかを押してくれたり、作法の例を目の前で即興してくれたり。

人に対して、絶望しないでいい。

僕は難聴であることを自覚してからというもの、たぶん中学校時代の部活動からですが「わかってくれないだろうから」と人に対して心を閉ざし気味にして生活していたと思います。怖かったんですね、恥ずかしい思いをすることが。自分を守りたかったんだと思います。

しかし自分を守るということは、攻める相手がいるということ。恥ずかしい思いをしたくないということは、恥ずかしい思いをさせる出来事を生み出してしまうということ。すべて、両極があって、それらは同じものだったりします。

表裏一体、というかね。

だから、守らなければ攻められない。恥ずかしいという言葉をなくしてしまえば、恥ずかしさを引き起こす出来事も存在しなくなります。

「我」はいらない、ってこと。

これは決して自分の主張を持っていないとか、そういうことではなくて、近い言葉でいうと自尊心とかエゴとかプライドとか、そういうものにあたるのかな、と思います。手元に辞書がないので、調べずに書いてしまいましたが。

世界は、自分自身の思考でできているんだな、と。

同じ難聴者の人に、「耳が聴こえないのは神さまからの、聴こえなくていいよ、って言うメッセージだと思いますよ」、こんなことを伝えたら、「その言葉に救われました」と話していました。

自分だけを注視するとなんか可哀想に見えてしまうというか、そんな自分をわかってくれない人たちは好きじゃない、なんて思ってしまうのはよくわかります。

でも、人に対して絶望しなくていい。それは自分の思い込み、我が生み出す幻想なのだから。

主観と客観をバランスよく、持ちたいものです。

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