スキルが先かマインドが先か。

人によって見方は異なると思うけれど、僕が自分自身を眺めた時、どちらかというとスキルよりもマインドの方を重視しているように思います。

厳密には、マインドのなかでも、目的とか現実的にどう在るかとか、そういう部分を重視。

Being Doing Havingでいえば、Beingありき。WHY HOW WHATでいえば、まずWHYが大切。

これは人の話を聞く時、何かを考える時、人に話をするときにも使える手順、コミュニケーションにおいて大切な技術ということもできるのですが、何を学ぶよりも誰に学ぶかのほうが大切、

しかしそれよりも何のために学ぶかのほうが大切とビーコンライブセミナーでも伝えていることから、技術としてよりもマインドセット的なほうを強調しているのかもしれません。

なぜなら、スキルを獲得したいと願っても、3日坊主ならず3ヶ月坊主、あるいは6ヶ月坊主とでもいうのか、途中でスキル獲得をやめてしまう人を見ているからです。

厳密には、スキルを獲得することを途中でやめてしまったのだろうな、と推測しているにすぎないので、厳密なところはわかりませんが。やり続けてくれていればいいな、と願いつつ。

しかし、だからといってマインドが先かというと決してそうではなくて、その人が置かれた状況により、スキルが先かマインドが先かは変わってくると考えています。

いや、私見にはなりますけれども、これらは同時に必要。それはLicense to beatのレターをご覧の方なら思い出してほしいのですが、車の両輪という風に表現していたことからも、僕自身の考えは見て取れます。

僕自身、セールスライティングやプロモーションなど、何かのスキルを獲得しようとするときは、必ずその目的があると考えておりまして、何の理由もないのにそれを獲得できるかというとそれは怪しい。

何のためにという必然性がない限り、そのスキルを学び続ける動機が薄まっていくからです。

じゃあマインドセットから、という方もおりまして、それは間違いではないと思うのですが、往々にしてスキルのないマインドセットはフワフワ感を生むというか、地に足のついていない人たちを生み出してしまうと考えています。

願えば叶う的な言葉とか、今のあなたでいいんですよとか。

いやいや、今のあなたではよろしくないからこそ悩むんであって、行動して、結果変化しない限り悩みは解消されないだろうに、と思う。

自己啓発とかそういうものは、なんだかその気になる魔法のような力がある。だから、これにハマってしまうと抜けられない。

しかし、僕が今でもドクターモルツのサイコサイバネティクスとか、コヴィー博士の『7つの習慣』とか、マイケル・マスターソンの『大富豪の仕事術』を読み上げたりしているのは、行動を伴うことでエラく効果があることを実感しているからです。

一緒にいる人のように自分はなるなんて、まさにマインドセットだと思いますが、

この考えを実際に「行動している」結果、今の自分になっているわけですから。よく一緒にいる人5人を思い浮かべて、その人達の年収を平均すると自分の年収であるなんて最初は「え、ホント?」という感じでしたが、それは確かにそうなんだろうな、と感じています。

くれぐれも、マインドセットだけではないことは強調しておきつつ。

そうではなくて、両方必要なんですよね。僕はマインドに目的意識も含めていますが、スキルとマインドは両方ないと、現実感のないものになってしまう。そう考えています。

その人の言葉だけではなくて、身体性を伴った行動、経験、その結果を観察する。すべてがそうだとは思いませんが、目で見て取れるその人の生き方は、何らかのスキルが雰囲気としてにじみ出る、一挙手一投足に出てくるもので、それを人は自然と感じ取っている。

現実感のなさを感じ取った時、なんとなくでもその人を怪しいと思う。そういうものでしょう。

個人的にはマインドの方を先に、と言いたい気持ちもあるのですが、マインドを先にした結果そこに逃げて現実逃避してしまっては意味が無いので、

スキル獲得に焦点を当てつつ、ちょっと遅れる感じでマインドを育てていく。

こんな感じのほうがいいのかもしれない、と最近は考えています。

スキルという素材を際立たせる調味料がマインドというか・・・そんな感じかな。

スキル偏重でうまくいっていないならば、調味料を加えた方がいい、みたいな感じにて。

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自己重要感は、没頭した時に与えられるもの。

PAPA PAZZO STORONZO PROGRAM・・・クレイジーパパのほうがとおりがいいのかな、このコミュニティに参加している関係で、岡本敏子さんの著書を読んでいます。

岡本敏子さんのことを僕は知らなかったのですが、岡本太郎さんの秘書でありパートナーであり、といった女性。

僕自身、言葉にできなかった言葉を持っている人だな、と二人に対して思うとともに、エラく興味を持ちました。

ある著作を読んでいた時にふと気づいたのが、自己重要感とかセルフイメージとかってどうすれば高まるのか、というもの。

そう気づくに至ったキッカケとなる文章を引用すると

生き甲斐が見つからないと言う。生き甲斐はいつだって、いま自分の足もとにあるのよ。それを見ていないだけ。

生きている、いま。そのいまを精いっぱい輝かさないで、何が自分なんですか、と言いたい。

私は岡本太郎と共に五十年走ってきた。自分らしくとか、何が生き甲斐かなんて考えてるヒマはなかった。十分に、ギリギリに生きた。極限まで。

だから、自信をもって言う。そんなことを考えるヒマに、一歩踏み出しなさい。踏み出さなければ、なんにも始まらない。

(『いま、生きる力』岡本敏子著/青春出版社刊より引用)

今ここが大切ということは僕自身そう思うし、今ここが大切であること、今ここに没頭するには自分のコアとかルーツとか、そういうものに素直だからなんだと思います。

よく世間で言われるような、「自分らしく」という言葉の意味を僕はよくわからず、しかしそういうものを求めて少なくとも、悩んでいるだけというか、何も行動していないというか、「生きていない」のであればそのままでいいはずがない。

僕はあまり使いませんが、「本当の自分」というたぶん聞き心地がいいんでしょうね、そういう言葉にすがり、たとえばバックパック背負って旅をし続ける人もいますが、そんなことしたって自分なんか見つかるはずがない。

今ここで何かに没頭している自分。

それが自分であり、言いたくないけどあえて言うならば、本当の自分であり、

もっと言ってしまうと、全て本当の自分だろうと、僕には思えます。今ここで行動する自分の姿が、他者理解を生み出すのですから。

ああ、話がそれました。

それたついでに、今ここが大切、かつコアとかルーツが大切だというと、「どっちが大切なんですか」なんて聞いてくる人もいますが、どっちも大切だろうと僕は思います。

今ここが在るのは過去が在るからなのだから。

すべてつながっているわけだから、今ここが大切なら過去だって大切。

どちらが大切ですかなんて、答えなどない。

もちろん、今ここに没頭することなしに過去を見てばかりいたって何も生まれない。それこそ岡本敏子さんの言うように、「自分らしくとか、何が生き甲斐かなんて考えてるヒマはなかった」に同意でして、過去ばかり見ている人、悩んでいるだけの人は、ヒマなんだと僕にも思えます。

むしろ今ここに没頭すること、一歩を踏み出した結果、不思議なもので、過去を思い出すことだってある。

ああ、これがオレのコア・バリューなのかもしれないな、そんな感じ。

身体性を伴った動きと記憶は連動しているのだと僕は考えていますが、なんというか、今ここを大切にして本音で行動すると、自ずと過去を思い出すってよくあるし、経験したことがある人もいらっしゃると思います。

自己重要感とかセルフイメージとかが高くなくて・・・と悩まれる方は、今ここに没頭してほしいな、と常々考えておりまして、つまりは人からの評価を忘れた時、評価されるものだと僕は体験しているからです。

昨日チャットをしていた時に、僕を「いつも一生懸命に、前向きな」と表現された方がいました。僕自身は、そういう認識はなかったし、そういう評価に感謝するわけですが、

自分のことで恐縮ながら、自分自身で認識がないことを人は見てくれているものなんだと思います。

自己重要感とかセルフイメージとかが高くなくて・・・と感じているならば、まずやるべきはFacebookとかメールとかインターネットから自分自身を遮断し、どう評価されているんだろうとか思うヒマのない環境に身を置き、今一番大切なことを一番大切に、没頭して行動することです。

すると自ずと、評価されるようになります。自ずと自己重要感やセルフイメージも高まります。

自己重要感やセルフイメージを高めるものは、言葉ではなくて、行動。

一歩踏み出して、また一歩と踏み出し続けましょう。

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ダンコレを買わないなんてどうかしてるぜ。

現在、コメダ珈琲にいます。

これから二条木屋町に移動するのでその前にブログを更新しておこうと思いまして。

・・・いや、違うな。

単にコメダ珈琲の食べ物が食べたくなっただけです。

一昨日の晩から無性に食べたくなりまして、今日やってきた次第。

最近は食べたいものを食べるようにしています。ラーメンが食べたくなれば深夜でも走っていきますし、たこ焼きが食べたくなれば夜の街を探しながらでも食べます。

結果、満たされるのか気分はいい。こういうその時その時の欲求を満たすというのは、とても大切なことなのかもしれませんね(倫理的にどうかと思われるものはなんとも言えませんが)。

さて、ダンコレ。

自分という器クラスでダンコレの岡本さんを訪問して以来、いや、厳密には訪問前のブログで後藤さんが、「オーダースーツを買わないなんてどうかしてるぜ」とつぶやいていたものですから、なかなかいいこというなぁと思いまして、

それで

「オーダースーツを買わないなんて、ホントにどうかしてるぜ」と書き込んでおいた次第。

これがダンコレ訪問後、岡本さんの熱量とか身なりの大切さ、自己投資のしどころなどを感じるうちに、京都日々新こと日比野さんにも乗り移ったようで、

「モテジャケ買いました。まずはジャケットをと思いまして。今月末に奥さんとダンコレ行ってきます。」

と言うようなメッセージを貰いました。

これを見た僕は日比野さんに、速攻で後藤さんとデニーロに「へ、まだこうてへんの?」と書き込んでください、と伝えたところ、

やはりというか後藤さんが反応しまして、デニムスーツを注文したとか。しかも日比野さんよりも早い日時に。

このあたりがJust do itだよな、と思いつつ、自己投資の考え方として大切ポイントだよな、とも思った次第。

ワイルドサイドの島田さんも言っていますが、「ないからやる」のであって、たしかにそれはそうだなぁと自分を振り返っても確認できますが、「すでに在るならやらない」わけです。

セミナーでも講座でもそうで、今何らかの「ない」状態があって、それを満たすからやる。

時間がないとかお金がないとか、そもそもないからやるんだろうと、僕は思うわけですが・・・まぁ、僕も4年前はわからなかったことですから、やってみないとわからないことなのかもしれません。

3年前に母から、「アンタはなんでそんな状態で寄付なんてするのよ」、と言われていましたが、今思えばこれも同じです。ないからやる。

よく人は無理はするなとか無茶はするなとか、ん、この2つの言葉の意味を僕はよくわかっていませんが、人と同じでいいはずがないだろうとは思います。

だから無理か無茶かはともかく、多くの人が「え、ホントにそんなことするの?」と思われるものほどやるんだよ、とおなかの中で思いつつ。

ダンコレに訪問したら日比野さんも後藤さんもクロスセルされていることを期待して。

P.S.
主にLicense to beatセールスライティングクラスの皆さんで書いているダンコレのオウンドメディアはこちら。「モテジャケ」へのリンクもありますよ。

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自分の器より大きいことは、伝わらない。

現在、京都にいます。

明日はぽっちりライフプロジェクトにスタッフ参加し、翌日と翌々日はビーコンの皆さんと対面セッション。17日は名古屋に移動して19日から東京。

移動の際にできればなくしたいものはスーツケース。地下鉄や電車、バスに乗る時はもちろん、新幹線に乗るときも結構な場所を取りますし、周囲の人にとっても自分にとってもうれしいものではない。

特にこの間の蒲田駅から京浜東北線に乗った際、ない方がいいなぁ、と思いました。

究極的には手ぶらで移動して行く先々で仕事ができれば、と考えていますが、今それを実現するために何をするとしたら・・・ホテルをとってそこに荷物を送る程度。

これだと普通だよね、ということで、他の方法を編み出せればいいなぁ、とコーヒー飲みながら思案中です。

ところで京都。

そういう予感はありましたが、まぁエラい人が多い状況でして、グランヴィアのラウンジも席待ちの列ができているほど。

地下街のスターバックスとか他のコーヒー屋さんは言わずもがな、という感じでしたので、少し上がったところにある珈琲館まで移動して、現在これを書いています。

珈琲館PRIDEというキャッチフレーズに惹かれて注文した炭火珈琲。これを「飲み方」に書かれたとおりにストレートで一口、ミルクを入れて一口、ブラウンシュガーを入れて一口と飲んでみたところ、うお、これウマイ、って感じでしたので、

PRIDEと言うだけはあるなぁと感じつつ、人の多さに酔い気味だった気分も、薄っすらと遠い世界のようになってきました。

今、注文したパンケーキが届いたんですけど(珈琲館PRIDEの炭火珈琲とのセットがセオリーみたいでしたので)、そのパンケーキを見て隣の女性がドギマギしていたので、パンケーキと僕のギャップに驚いたのかな・・・。

先ほどなんばから京都に向かうバスの中で、昨日の『ワイルドサイドを歩こうよ』ブログで島田さんが書いていたことを思い出していたのですが(思い立って沖縄に日帰りで行ってきた、手ぶらだけれどもおみやげの柿の葉すしを持って、という話です)、

え、そんなことするのか、というようなことをまたやってきたなぁと思ったわけでして、ますます底知れぬ感が増してきたように思います。

僕は「人間の器」という言葉をカリスマ性とか格式とかそういう文脈ではなく、人間誰もが器のようなものだという意味で使うことが多いのですが、

今現在の自分の器よりも大きいことを言ったり「さもやっているかのように」見せかけても、瞬間最大風速で終わるかそもそも単に声を大にして叫んで終わるか程度で、

うまくいかないと考えています。

島田さんの場合、実際に行動と結果で見せてくれるので、この人の器は底知れないな、と思うわけです。

何かを人に伝える際は、今現在の自分という器を客観視して、その上で主観的に情熱を込めて、人に役立つように淡々と伝えることが大切だと考えているのですが、

世の中を見渡してみると、それができていないか、やっぱり自分の器以上のことを書いてしまっているとか、そんな印象を受けます。

自己肯定感とか自己重要感とか、まぁ、存在意義ですよね、誰かから認められるという。

それを求めるのはごく普通ですし、そういう意味では自分の器以上に背伸びしたくなることはわかる。

背伸びしてもいいけれど、やり方があるのだと僕は思っていまして、

それが「行動と結果」で示すこと、です。

宣言して、実際に行動して、その行動と結果を書く。宣言せずとも、実際に行動して、その行動と結果を書き、話す。

行動と結果の分だけ、自分という器は広がります。

広がった分だけ、人に伝えられることが増えていくんじゃないかなぁ、と僕は考えています。

学んだことをさも自分がオリジナルであるかのように語ったり(普通に考えれば、世の中で語られることの大部分がオリジナルなはずないのですが)しても、苦しくなるだけ。

だって、行動と結果でつくられた自分という器よりも大きいことを語ってしまっているし、それは人に伝わることがないから。

行動と結果を増やし、特に初めての経験を増やして自分という器を広げる。

年収目標とかそんな小さな器に自分を閉じ込めるのではなく、底知れず天井知らずの自分という器を広げる。

人は誰もが、ナンバーワンになれるんだと僕は考えているのですが、そんな生き方をする人々が増えればいいなぁ(そしたら同時に、オンリーワンですからね)。

ということで、これからホテルに行ってきますー。

良い日曜日を!

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ダンコレ訪問(自分という器クラス)。

心斎橋のホテル日航大阪に集合後、ダンコレがあるアルグラッドザ・タワーへ。

岡本さんとは2年の付き合いになるわけですが、その空気感を味わってほしいということで、自分という器クラスができてから、いずれダンコレに訪問させてくださいと伝えておいた次第。

半年全5回の講座が昨日で終わったことになりますが、第三回は小坂さん、第四回は島田さん、第五回は岡本さんと、僕が常日頃一緒に過ごすことが多い皆さんと、自分という器クラス参加者に時間を一緒に過ごしてもらいたかった理由は多々あれど、

特に強調したいことというのが、理屈じゃなくて、という部分。

空気感というか、佇まいというか、そんなところ。

人は多かれ少なかれ何かをする際、また何かを購入する際などに、「損したくない」「得したい」をいう意識が顔をもたげてくるものですが、

そういうものってどちらかと、損得勘定という理屈的なものだと僕は考えておりまして、

それを持ち続けている人ってどこか狩猟的というか依存的というか、対峙する相手から何かを奪い取ってやろうとか盗んでやろうとか、この人と一緒にいれば何かいいことあるだろうとか、

そんなことを意図しているように感じられたりします。

それはそれで学びに行く姿勢としてはありなのかもしれませんが、逆の立場になって考えてみると、

例えば僕ならば、損得勘定で動く人はやっぱり損得勘定で付き合う人を決めるだろうなと思い、

例えばこの人から何かを学んだら、次はこの人から学んで、その次はこの人からこんなことを学んでみたいに、フワフワと飛んでいってしまうようなイメージを持っています。

それはそれで勉強熱心でいいのだろうけれども、何かを伝える側からしてみればそういうのを感じ取ってしまうと肝心要のところは伝わらないだろうな、と思ってしまうもの。

本質的なところ、各々にとっていいい人生を送る秘訣のようなものがあるとしたら、それはやっぱり各々異なりますし、一言で集約できるようなわかり易い言葉ではないからです。

それに、奪いに来る人が来たら奪われないように身構えてしまいますから。

だから何も考えず、何かを求めず、ただ一緒にいたいから一緒にいる、というのが大切だ、となるわけです。

自ずとわかってくるというか、そんな感じです。

岡本さんの場合、表向きには、というよりもわかりやすいところでは、そのビジネス経験というか起業家経験というか、

例えば2年で1億5千万円規模のビジネスをつくるとか、年商2千万円とか3千万円の起業家に年商1億円を実現させたビジネスモデルをアドバイスしたとか、そういうところを99%の人が「スゴい人だ!」と評価しているんじゃないかな、と僕は考えておりますが、

岡本さんと一緒に過ごす理由というのはもちろんそれだけではなくて、いやむしろそのビジネス実績とかセンスといった細部より、その佇まいとか空気感といった器にあります。

各々が岡本さんとの話で得るものはあったみたいですが、

岡本さんと別れる際、

「在り方というか生き様的なところは時間もありましたから、話をすることができませんでした。今日はビジネス面というかそういう部分の話をしています」

というようなことを伝えてくださったのですが、このあたり個人的には奥ゆかしさを感じるんだよな、と感心した次第。

時間を過ごすことができれば、よりわかることも増えていくというか、「変わりたいなら、いい人生を送りたいなら、然るべき人と一緒に過ごし続けることって大切ですよ」というメッセージに思えてなりません。

思えば僕も岡本さんとの最初の会話は、仕事でした。

クライアントさんですから、当然なんですけどね。

しかしその仕事の出来すぎるぶりに「とんでもなくスゴい人がきた」と興奮し、定期的に大阪に訪問して仕事もそうですが、食事をご一緒する時間にも恵まれるようになりました。

今では仕事の話をしつつ、ダンコレのバッグやデニムを購入しつつ、岡本さんの熱量を感じ、生き様的な話をすることが多いです(こういうと岡本さんは照れるというか、何いうてるんですかーと笑われますが)。

自分という器クラスの皆さんには、より自分という器を広げていってほしいと思います。

半年の講座を終え、新しい空気感を入れていこうと考えておりまして、近々License to beatの自分という器クラスの募集を始めようと考えています。

興味を持っていても持っていなくても、このクラスには注目してほしいなあ、と思います。

たぶん、世の中に似たようなことをやっている講座はないと思いますし、わかる人はわかると思いますので。

今日はこのへんでー。

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答えはすでに、自分が知っている。

ビーコンライブセミナー@東京が終わり、特典セッションも対面の方々には昨日終え、あとはスカイプと当日休まれた方向けのセッションと残すのみとなりました。

今回のビーコンライブセミナー@東京『Be yourself』を伝えるにあたり、昨年の名古屋、そしてLicense to beatのレターを確認しつつ、

またダイレクト出版の寺本さんからもらったメール、そしてワイルドサイドの島田さんからいただいたメッセージなどなどを見返していると、

自分でも驚くほど、同じことをいい続けていることに気づきました。

つい最近もブログで書きましたが、セールスライティングスタートアップガイドの第1章と第2章も読み返してみると、今セールスライティングクラスで伝えていることと同じでして、

異なることはといえば、木坂さんのセミナーに参加したり、岡本さんからの案件に納品したり、島田さんとのプロジェクトを進めていくにあたり、改善されたところ、新たな知見を得たところ。

あれ、ココまで書いて既視感ありますが、まぁいいや、このまま書きますと、

こう見せようとか自分をつくる必要はなく(相手に対する礼節は必要という意味で、身なりを気にしない、という意味ではないですよ。よく見せるのも控えめに見せるのもナルシストという言葉を島田さんか木坂さんが言っていましたが、そのとおりだと思います)、他者からこう見られたいとか思う必要もなく、自分自身の本音で在るだけ。

本音というのはラクなんですよね。最近、僕もこのラクという意味がわかるようになってきました。

一応くれぐれも、今のあなたでいいんですよ、変化する必要などないんですよ、あなたはあなたでいいんですよ、というような意味ではないことも、付け加えておきます。

むしろ僕が考える、自分自身であれ、Be yourselfというのは、なんとなく甘いというか甘やかされるというか、そういうものとは違うステージのものですので。

昨日も特典セッションに参加する皆さんと話していて思いましたが、すでに答えは自分で知っていたりします。

ただそれに気づいたり、それを口に出したりすることは怖かったりするので、それを見ないふりしてその他大勢の人がそうしているように「建前」で行動する。

人と違っていいと口では言うものの、人と違うことを恐れる。これが普通だと僕は考えています。

だから人と違う自分の本音に気づくと、まぁ、怖くなりますよね。

え、オレって本当にこんなこと考えているの?ってなる。

他者との関係性の中で生きている以上、それは当然だと思いますし、そういう選択を取ったほうがいい人生だと思い込める人もいるでしょう。

いずれにしても、自分の本音。

本音というのは実のところ、自分にしかわからないものですし、すでにそれは知っているもの。

セールスライティングスキルが必要ですと言うならば、それは本当に必要なのか。

自分に問いかけてみた時に、どこかで聞いたようなセリフしかでてこないのであれば、それは建前じゃないかと考えてみることも大切だと僕には思えます。

デニーロのように「セールスライティングは必要ないです」と認めてはじめて、それが実は必要だと気づく場合もある。

本音に耳を澄ませ、それに身を委ねてほしいなぁ、と思います。

セミナーでどんな話をしたのかは、ちょうどデニーロと、角舘さんが書いてくれていたので、あと写真を見たらこれはセミナー開場だということで、京都日々新さんのブログを紹介しておきますね。

http://warashibetaxi.com/2016/11/08/osaka-taxi-blog90/
(こちらはデニーロのブログで)

http://kankakukabin-futoko.com/2016/11/07/セミナーでした/
(こちらは角舘さんのブログ)

http://kyotohibishin.com/mind/real-intention-and-public-position
(写真だけセミナーの画像ということで、京都日々新さんのブログ。内容は・・・偶然にも?本音と建前。数日間のブログはセミナーの内容を先取りしているようで、面白いですよ))

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僕がセールスライターを肩書にしない理由。

現在、蒲田におりまして、これから羽田空港国際線ターミナルに移動します。

昨日のLicense to beatセールスライティングクラスの映像をハードディスクに移し替えている関係で、まだ出発できないので、

ここ3日の間に更新しておこうと思ったことを書いておきます。

僕とあったことのある方はご存じかもしれませんが、僕は名刺を持っていません。

名刺そのものは必要なときもあるということで、作成する気はあるのですが、名刺といえばかつて会社で働いていた僕にとっては肩書も連想してしまうもの。

実際、ダイレクト出版さんの12週間コピーで寺本さんが、

「名刺をつくってセールスライターとしてのセルフイメージを持ちましょう」

のようなことを言っていたので、早速つくったものです。3年ちょっと前ですね、確か。

セールスライターだとわかりにくいかもしれないから、マーケティングコンサルタント肩書の名刺もつくりましたし、実際に名刺を母に渡すと安心したりしていましたから、名刺の効果ってなかなかと思ったものです。

しかし、これは2年ちょっと前になりますが、ワイルドサイドの島田さんからこんなアドバイスを受けたことから、僕は名刺をもたなくなりました。

厳密に言うと、名刺をもたなくなったのではなく、セールスライターやマーケティングコンサルタントを名乗らなくなった、ということです。

肩書をなくした、ともいえます。

島田さんのアドバイスはこんな感じでした。

「小野さんが、セールスライティング(セールスライターだったかな・・・)にこだわらずになんでもやると、うまくいくと思いますよ」

このアドバイスをいただいた時の文脈は覚えていないのですが、多分時期的にプロモーションとか事業を立ち上げるとか、

そんな状況だったのだとは思います。

当時の僕はこのアドバイスを受けてもその意図は理解できておらず、

島田さんが言うのだから覚えておこう、

その程度の受け止め方だったと思います。

しかし、セールスライティングスキルを使ってセールスレターやステップメールなどを毎日書き、やがてビーコンコーチングやプロモーション、License to beatを進めていくにつれて、

肩書をなくしたからこその今かもしれないな、と思うようになりました。

これは私見ですし、僕自身は他の理由もあると考えていますが、

一般的に肩書を持つと、そういう人物として見られるようになるもの。

自分のセルフイメージだけではなくて、相手からのイメージもそういうふうになるとうことです。

例えば「清掃人」肩書の人にコンサルティングを依頼しないですよね、普通は。

肩書というのはまず、相手に先入観を与えてしまうんですよね、たいてい。

しかも例えばですが、「セールスライター」と聞いて、同じ意味合いの「セールスライター」をどれだけの人がイメージできるかというと、多分ライティングする人というイメージは持つものの、共通イメージを持つことって難しいですよね。

これはコンサルタントとかマーケターもそう。

言葉が意味を持ちすぎていて、コミュニケーションをする人の環境に応じ、その意味合いを変える。

それに何より、自分自身を「セールスライター」とか「コンサルタント」という、その他大勢にすることってどうなんだろう、というのが、

多分僕が肩書を自分でつけない理由かもしれません(人が言ってくれる分には大丈夫です。そういう風に見られている、ってことですから)。

誰でも名乗れますからね。

そして、自分自身もそういう目で自分を見てしまうということに、危うさを感じたんです。

専門家っぽく見せなさいとか、なんでもやることは何もできないことだとか、そういう話はよく聞きますし、僕も時と場合によってはそう言いますが、

こと独立時、仕事を受ける時のスタンスとしては、

「どうすれば目の前の人をうれしくできるだろうか」

ここを見つめてきました。

それに肩書は不要だったんですよね、決めつけてしまうし、決めつけられてしまうので。

セールスライターなどの肩書をつけてうまくいく人もいるのでしょうから、僕は肩書を否定するわけではありません。

仕事はと聞かれて、今井先生のように「無職です」とは言う勇気がなく、「会社を経営しています」とか「代表取締役です」ということもありますから。

肩書ひとつで人生が決まるとは思いませんが、セールスライターやコンサルタントの肩書を持つ、セルフイメージを持つことについては「本当にそうなのかな」と考えるようにしており、

印象的だったのは、島田さんがここ2年の間に、ダイレクト出版さんのレスポンスマガジンに登場していたんですけど、

そこでインタビュアーの楠瀬さんと肩書の話をしていたんですよね。

「島田さん、肩書はどうしているんですか?」「島田晋輔です」「楠瀬さんは?」「実業家かな・・・セールスライターと書かれてしまっていますけど」

この話がエラい印象に残っているんですよね。

その肩書を使う時、そういう風に周りから見られたいならオーケーだと思いますが、それは必ずしもセルフイメージと一致しないんだなぁ、と。

そういえば寺本さんも、僕が持っている名刺は「取締役」だったな、とか。

なんというか、「セールスライター」や「コンサルタント」というセルフイメージで、こういう風に生きられるといいよなって人を、僕は知らないってことです。

しかし島田さんの、「職業は島田晋輔です」にはシビレた。

だから僕は名刺をつくるなら、「小野貴正」と「ビート・ザ・コントロール株式会社」かなぁ、と思います。

P.S.
更新は羽田から。サクララウンジのカレーはオススメです。

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