成功法則はたった2つのことをやるだけです。

成功法則
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「成功法則とは、たった2つのことをやるだけです。徳を積むことと、カルマを解消することです」

どのように徳を積み、カルマを解消するのかは置いておきまして、面白い成功法則が出ました。しかしこれシンプルでわかりやすいな、と感じたのは、個別性があることを感じさせるからです。

徳を積むこともカルマを解消することも、原則としては同じなのでしょうけれど、個人個人によって異なります(たぶん)。

たとえば、親孝行は徳を積む行動だとされていますが、あなたの親御さんと僕の親は違います。だから、個別性がある。

卓越性と徳という単語に惹かれる今日このごろですが、昨日のブログのコメントに友人のマーボーくんからこんな書き込みがありました。

そもそも「卓越性」とは何だと考えているのか。

そんなことも一ブログ読者としては気になるところです。例えば、日本語ではともに「卓越性」と訳されますが、ドラッガーさんはExcellenceという言葉を、エイブラハムさんはPreeminenceという言葉を使いますが、アリストテレスさんはArete(徳とも訳されます)という言葉を使いMesotes(中庸)が大事と説きます。ミステリー小説のように?いずれまたブログでヒントを書いてくれることを期待しています。
(引用:http://beatthecontrol.jp/subetenohitoni-takuetsuseiha-arunoka/へのコメント)

コレ見たとき、おお、と感じたのは、「アリストテレスさんはArete(徳とも訳されます)という言葉を使いMesotes(中庸)が大事と説きます」、と書かれていた箇所。そうでした。木坂さんのインプットクラスで読む『ニコマコス倫理学』でも、卓越性とアレテー、徳ですね、目にしていたのです。

タイムリーなコメントに感謝です。

僕自身はすっかり覚えていなかったのですが、卓越性と徳という単語には『ニコマコス倫理学』を読むたびに触れています。

卓越性という単語には2年前か3年前から触れていますが、最近になってようやくこういう意味かもしれないな、と腑に落ちる感覚を覚えるようになりました。

また、彼らの生活はそれ自身に基づいて快適である。すなわち、快を楽しむということは魂のうちにおける善に属するのであるが、ひとがそれぞれ何々好きと呼ばれるその愛好の対象となるものがそのひとにとって快適である。たとえば馬の好きなひとにとっては馬が、芝居好きのひとにとっては観劇が快適なのであり、それと同様に、正しい行為は正義を愛するひとにとって、また総じて卓越性に基づく働きは卓越性を愛するひとにとって快適である。多くのひとびとの場合にあっては種々の快適なものが互いに相剋するのであるが、それはこれらが本性的に快適なものではないことに基づく。だが、うるわしきことがらを愛するひとびとにとっては「本性的に快適であるもの」が快適なのであり、卓越性に即しての行為は、しかるに、まさしくかかるものなのであって、したがってそれは、このようなひとびとにとって快適であるとともに、またそれ自身快適なことがらでもある。だから、これらのひとびとの生活はその上にいわばお添えもののようなものとしての快楽を全く必要とせず、それ自身のうちに快楽を含んでいる。
(引用:『アリストテレス ニコマコス倫理学(上)』(岩波文庫刊/高田三郎訳)より)

マーボーくんの問いかけに対する回答としては今のところ、「自分を全うする」が近いと感じますし、「マズローさんの言うところの超越者(Transcender)になるのを見据えている状態なのか、も近いかも、と感じています。

あるいは、昨日の新宿における会話で出た、「ニルヴァーナへ行く」、という状態なのかもしれません。

まあ僕の行く先は神のみぞ知る、という感じですが、そうはいっても僕がやるべきことは徳を積むことです。

親孝行はもちろん、アリストテレスの言うところのアレテー、卓越性、徳を発揮する、ということでもあります。

カルマの解消は、、、よくわかっていないので、語るに足らず。

そうそう、面白いと感じたのは、タイに行くと妻と一緒によく行う「タンブン(タムブン)」という言葉が、日本に伝わる密教においても同じ意味で通じることです(たぶん同じ意味かと)。

わかりやすく、お布施をするとか、お墓参りに行くとかの意味で解釈をすることもありますが、「徳を積む」です。

お義母さんにお小遣いを渡しても、お寺に行っても、お墓参りに行っても、日常的にタイで徳を積めるというのは、いい環境なのかもしれませんね。

10月2日に一度福岡に飛び、その後タイへ飛びます。

仕事を含めて僕がやるべきことはとてもシンプルで、それは徳を積むこと。

「今自分は徳を積んでいるのだろうか?」と語りかけ、いいものを生み出していきたいと思います。

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コメント

  1. webmaster より:

    (マーボーくんからの投稿を紛失してしまったので、、、代わりに再投稿します)

    毎度どうも。コメントがお役に立てたようで何よりです。

    神主の資格を持つ(持っていた?)小野くんのことですから、他の宗教に関しての洞察も深いのだろうと想像しています。

    今でこそ学問は細分化専門化され自然科学と宗教は別物的な見方になっていますが、自然科学も昔々は「自然哲学」と呼ばれており、宗教と哲学(と倫理学)が混ざっていました。最近の認知科学や脳科学、生物学の動向を見ていると、西洋哲学を基盤にしつつも、根底には東洋哲学的な視点(思想)が少しずつですが混ざってきているように感じています(私見です)(アインシュタインやシュレディンガーなども東洋思想に影響を受けていたようです)。逆にいえば、現代科学にブレークスルーが起きるとすれば、西洋哲学と東洋哲学の融合にあるのではないかという予感すらあります(私見です)。

    素人知識で申し訳ないですが、マーケティングやセールスライティングなども、おそらく西洋哲学的な思想の上に発展してきていると思うのですが、日本やアジアでビジネス展開する時には、同時に東洋思想に関する洞察も大事なのだろうと想像しています。

    いつか何かのご参考までに。

    • webmaster より:

      (上記への返信を再投稿します)

      他の宗教への洞察はなんとも、、、です。

      神主の資格は直階というものを修得しています。
      いわゆる神主、宮司になるには権正階が必要なので(確か)、
      僕が神社で担える役割は、禰宜(ネギと読みます)です。

      そういえば、西洋と東洋とをアウフヘーベンして
      治療やトレーニングをしているのが鈴木先生です。

      おかげさまで、線が浮かび上がってきたような。

      ありがとうございます!

  2. 某氏の人 より:

    小野さんこんばんわ。僕はお変わりなく次回のインプットクラスが楽しみです。

    「徳を積むこと」ってとてもシンプルでわかり易いですね。(カルマは文脈からすると悪徳なのかなぁ。。調べたけどよくわかりませんでした。)

    僕はトレーダーに当てはめて倫理学を読んでますが、「正しいあり方(相手本位・訓練・検証・正しい手法・規律遵守など)を積み上げ、間違ったあり方(自分本位、利益優先、短期的、怠惰、感情的)を継続的に無くしていけば、資金は自然と増えていく(幸福・成功)」みたいな解釈かなぁと個別的に当てはめて読んでます。

    快適のところの話ですが、木坂さんが帝王学の何回目かのセミナーで「まずく(不快)て栄養がある(正しい)食べ物も、継続的に食べてる(積み上げていく)とそのうち美味しく(快適)感じるようになってくる」ような事を言っていたので、美味しいと感じるのはオプションで、それ(正しいもの)を好んで食べてる状態が望ましい(善)のかな。

    ってことは、裏を読むと、今の自分がどんなもの(食べ物、持ち物、付き合う人、習慣、行動)を快適と感じるかで自分のステージが測れるのかもしれませんね。

    もっと精進せねば。

    • ono takamasa より:

      某氏の人さん、ありがとうございます 笑

      思い切り私見ではありますが、
      快適さというのはカラダがスーッと動いてしまうもの、
      なのかな、と思ったりします。

      まずくて栄養がある、食べたくないんだけれども、
      スーッと食べてしまうというか。

      昨日食べた蓮の実みたいな感じかもです。
      いや、栄養があるかどうかわからないのですが。

      確かに、今の自分がどんなものを快適と感じているかは
      自分のステージが測れるのかもしれませんね!

      はい、精進して卓越性を発揮したいと思います。

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