聞くと聴く。

久しぶりに寝違えました。変な体勢で眠っていたことが原因とみています。ワイドスクワットやランニングでカラダを痛めることはなくなりましたが、寝違えとは、、、カラダは正直ですね。

単に寝違えで片付けてもいいのですが、変な体勢で眠ってしまったことはなんでだろう、と振り返ってみるのも、大切なのではと感じまして、身体からのメッセージに耳を澄ませています。

こういう場合、僕は「聴く」と書くことが多く、セールスライティングをクライアントさんに納品するものでない限り、「聞く」とは使い分けています。

納品物は基本的に「聞く」。ブログやメルマガでは「聴く」と「聞く」を使い分ける。

どんなふうに使い分けているのかといいますと、聴こうとして聴く場合は「聴く」、実音、声、メロディーが耳に入ってくる場合は「聞く」です。耳をすませば、「聴く」ですかね、例えば。

じゃあ無意識のうちに「きく」場合はどうなのかというと、「聴く」を使うことが多いです。無意識なのだから音が勝手に聞こえてくるのではないかと考えたのですが、無意識を僕は聴くようにしています。だから、聴く。

身体の声を聴く、がそうですね。

僕と対面したことがある人は、僕が難聴であることをご存じでしょうし、どの程度難聴なのかも体感したことがあるかもしれません。

3人以上集まると言葉を聴き取ることはほとんどできないので、周囲の人に会話をサポートしてもらうことが度々あります。

しかし面白いことに、そういう事実はあるのですが、人によっては「小野さん、耳が良くなったんじゃありませんか?」と質問してくださる場合があります。

それはたしかにそうだなぁ、と感じることは僕自身にもありまして、コレ以上なく明確に子音が聴き取れたりすることもあります。

が、たぶん耳が良くなったと感じられるのは音の聴き取りにあるのではなく、相手の意図、文脈、会話の流れが聴き取れているときなんじゃないかな、と思うんですよね。

相性という一言で済ませる話ではないかもしれませんが、相性、波長はあります。ああ、この人の声(のようなもの)は、聴き取りやすいな、という人は確かにいますので。

じゃあ相性、波長がよろしくなければ聴き取れないのか、というとそういうことでもなくて、聴き取れるようになります。

そのためには、その人を知ること、が一つの条件になるのですが。

人と会話をするとき、僕は音や声を聞いているのですが、聴き取れることはほとんどないかもしれません。

しかし、その人と会うことによって表情や雰囲気や動きを知ることができます。コーヒーを挟んで座る席の中心に、なんだか妙な空気を感じたりすることもありますし、破顔一笑的な空気を感じたりすることもあります。

すると、その人を知る、こんな感じかなと感じられるようになってくる。

誤解を恐れずいうと、その人の名前は聴き取れていないけど、その人がどんな人なのかは知っているというか。

その人に耳を澄ましている、その人を聴いているってことかと思ったので、残しておくことにします。

難聴の僕が言う話ではないですが、聞こえない世界、見えない世界に配慮できる人が増えたらいいなぁ、と願っています。

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