自分が思うほど、自分はやっていないもの。

ビート・ザ・コントロール
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今朝は実家から新宿のセミナー会場まで移動。毎月、License to beatのセールスライティングクラス開催前日にホテルへ移動し、翌々日の自分という器クラスを終えてからタイに行くか実家に戻るか、他の場所に移動するか、という流れが定まっていましたが、久々に実家に一人でいたこともあるのか、寒さのせいなのか、今回は朝移動することに。

朝の移動もこの時期はいいもので、寒いというよりもキリッと冷える空気で目が覚めますし、脳の研ぎ澄まされる感覚もまたいい。

たぶん僕自身がセミナー時に装う服装もそういうキリッとした気持ちにさせてくれるようで、そういう風に見られているという意識がまた、背筋を伸ばしてくれます。

人として男として、魅力的で在り続けるというのは大切だと思いますし、僕が男は女のATMであれ、というふうにいうのも、一つの魅力を追求した結果の話だったります。

あとから気づいたことも含め、なかなかにこの言葉は奥が深いなぁ、と考えているところです。

さて、自分が思うほどに自分はやっていないもの。

僕の場合に限らずこれは誰もがそうだと思いますが、どんなに人から「エラく頑張っていますね」と言われても、僕自身はそうは思っていない、もっとやらなければ、と考えています。

確かに相対化して眺めてみたら、一般的にはほかの人よりやっているのでしょうが、そもそも目的が異なる人と自分を比べても仕方がない。しかし目的が似ている人、こういう人っていいなという自分を比べてみると、行動量としてはいい感じかもしれないけれど、出している成果が異なるのであれば、もっともっととなる。

自分自身の基準値にもよりますが、この基準をどこに置くかで、コア・バリューをもとに立てたマスタープランが実現するのかどうかが決まると僕は考えています。

相対的にそこそこの目標設定であればそこそこの行動量でいいと思いますし、それがその人にとっての基準値であれば、満足度もあるでしょう。

しかし、「こういう人になりたい、こういう人で在りたい」と考えたとき、その人の行動量や出している成果が雲の上なのであれば、自分自身も雲の上に行く必要があります。

その「こういう人」の行動量はせめて上回らないと、とてもとてもそんなところに行くことはできないものです。

身の丈を知りましょうと人はいいますが、僕はこの言葉を大切だと思いつつも、やり続ける限り身の丈はどこまでも伸びると考えています。

だからそんな声に日和ることなく、ただこう在りたいと思える人がいるならば、その人以上に行動すること。

そしてその人から「やっていますね」と認められるまでやり続けること。

僕にとってこれこそが、自分を相対化して「やっているな」と自分で認められる基準です。

自分自身で「オレやっているな」なんて評価はいらない。評価は常に、他の誰かがするものだと僕は考えていますから。

料理をつくって美味しいかどうかは料理人じゃなくて、食べる人がする。

セールスレターを書いてレジを鳴らすかどうかは書いた人ではなくて、読んだ人がする。

自分の評価も、僕は同じだと思います(時と場合により、例外もあると思いますが)。

今の自分を変えたいなら、自分で自分を評価することをまずやめてみると、いいかもしれませんね。

そしてその他大勢が「そこまでやらなくても・・・」など言ってきても、そんなの言わせておけばいい。

脳のやらない言い訳に耳を貸したら、自分に克つなどできるわけないのだから。

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