浄化。

チャイナートの朝、僕の耳でも聞こえてくる雨の音と雷の音で目が覚めました。

妻の叔母に促されて外に出てみると、バケツを引っくり返した、という形容がフィットするような雨。はじめてタイに来た時、夕方近くになると必ずスコールに見舞われた記憶がありまして、久しく体験していなかったそれを、思い出しました。

一瞬でドカンと雨が降り、一瞬でやむ。

実際には一瞬でやんではくれませんでしたが、地面の熱を冷気に変え、南国の熱帯感を涼しくしてくれるスコールは、恵みの雨のようにも感じます。

そばを流れるチャオプラヤ川の上流は常に豊かな水量をたたえているイメージがありますが、溢れ出してこっちに流れてこないだろうか、なんて考えていたら、家の裏手では浸水がありました。川の水とは関係ありませんが、エラい水量でしたね。

個人的には、雨は浄化の作用もあると感じておりまして、なぜなら雨上がりは清々しい気持ちになるからです。あくまで、個人の感想です。

個人の感想ついでに書きますと、タイのソンクラーン、水掛け祭りとして世界的にも有名なお祭りは、一年で最も暑い季節である暑季から雨季へと変わる時期に開催され、その意図は雨が降りますように、という儀式なのだとか。

コムローイというミニ気球飛ばし(?)、ディズニーのアニメのワンシーンのようで有名になったロイクラトーンも実際には灯篭流しのお祭りでして(確か)、恋人同士の日、日本でいうところのクリスマスイブとかバレンタインデーとかの位置づけにタイではされているように思いますが、もともとは別の儀式だったように思います。

お祭りというのは祈りの儀式であると僕は認識しているのですが、コレは日本においても同様だという理解です。

そして日本の神職、また天皇陛下の仕事というのは、祈りであるとも。

例えば五穀豊穣を祈願するということは、雨が降りますように、ということでもあるでしょうし、太陽の光が地上に降り注ぎますように、ということでもあるのだと思います。

自然の驚異から人を守るよう、地震や火山の噴火がないように祈ることもまた、あるのでしょう。

現代においても残り、営まれている祭祀からは、豪雨や地震、自然の力を目の前にすると特に、その存在意義を感じることがあります。

実際に祈りが伝わるのかどうかはさておき、心を晴れやかにする効果もあるんじゃないか。

そんなことを思った、スコールの朝でした。

P.S.
グレートジャーニープロジェクトで日本人のルーツを辿っておりますが、精神的、文化的なルーツに目を向けてみると、祭祀の存在が浮かび上がってきます。

『魏志倭人伝』に記された邪馬台国の卑弥呼も、日本神話における天岩屋戸隠れも、連想するのは祈りの祭祀です。

お祭りがあると、だいたいウキウキしますから(僕だけですかね)。

日本人のルーツに祭祀の存在は、切っても切れないモノなのかもしれません。

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