考えるからダメなんだよ。

ビート・ザ・コントロール
この記事は約3分で読めます。

昨日に続いて富士山を拝んでの朝に感激。雪が降っている場所の方々には恐縮なのだけれども、雪が降っていない場所の冬の澄んだ空気はどこまでも見渡せる感じがしていい。昨日泊まった新宿の高層ビル群ぽいのも見えるし、今日泊まった品川からのほうが富士山までの距離は近く見えます。

富士山の前に連なる山々のどこかが実家のあたりだと考えると、想像力がたくましくなるというか、その場所に行っているような気分になる。体験したことであればなおさら。

音楽と記憶が結びついている人もいると思いますが(僕は大学時代の記憶と結びついています・・・)、場所や景色と記憶が結びついている人もまたいると思います。

僕の場合は・・・関西国際空港ならシンガポール航空とバンコク、バンコクのRCAならリーバイス、高幡不動なら保育園時代とかの幼年期、こんな感じ。まだまだ、あります。八方尾根とか草津とか那須とか。あーセンチメンタル。

奇しくも昨日は、自分という器クラスでした話と銀座の大将がした話に共通点があったので、そのことについて。

人は考えているというけれど、そのほとんどは悩んでいるんだと僕は感じておりまして、なぜなら根拠のないたらればの話をもとに「考えている」と見受けられるから。

すべてがそうだとは思わないけれど、脳が囁くやらない言い訳、現状維持したいという声に耳を傾けてしまっているがゆえに、根拠なく、損得を頭に思い浮かべては、やらないほうがいいとつぶやいてしまうもの。

それよりは、例えばセールスライティングを学ぶにしても、写経をするにしても、ブログを書くにしても、

ピクンと身体が反応していわゆる「前のめり」になったら、ただやる。脳からやらない言い訳が聞こえてきても、それは無視。

現状維持しようとするのは普通の機能ですし、三日坊主であることが普通。やり続けられる方が、おかしいのですから。

だから僕は、「考えないでください」と言います。「前のめりになったらゴーですよ」とも言います。「ビビったらゴー」はその裏返しかもしれませんし、シンプルに初めての経験でビビるのは普通なのだから、自分という器を広げるならやりましょうよ、と。

銀座の大将は、寿司職人の息子さんだか弟子さんだかが4万円から5万円の包丁を買うことであれこれ考えていたらしく、一言、

「考えるからダメなんだよ」

ああ、これよくわかる、と2時間の話のうちこれしか耳に入ってこなかったのですが、いい言葉が届いてきたな、と感じました。

やらない言い訳もそうですが、考えるとか悩むとか、そういう風になるときって損得があるものだと思っています。

やった結果失敗したら・・・

やらないほうがいいのでは・・・

やると大変そうだししんどいし・・・

損得ですよね、これらは。大将がそういう話を妹にしていたのですが、同じことをいうものなのだな、と感じていました。

考えるのは行動してからでいい、とか僕は時に思います。行動したら、そういうふうにつじつまを合わせるために、これを根拠に考えるものですから。

だから行動と思考はワンセット。特に変化しようとしている時は、なおさらです。身体性を伴った行動とか経験とかがあってはじめて、僕は考えることができるんじゃないかな、と思うこともあります(それが全てではないかもしれませんが)。

島田さんが確か『ワイルドサイドを歩こうよ』で書いていたと思いますが、ビビったらゴー、をルールにすることもまた大切、と僕は考えています。

セールスライティングスタートアップガイドの無料入手はココから↓




コメント

タイトルとURLをコピーしました