語るに足る。

読み手は書き手以上に書き手を知っているというか、たぶん精確に言うと「書き手を感じている」。

そんなことを昨日の島田さんとのプライベートセッション後、そして今朝起きて眺めてみたあるメルマガから思ったので、自戒を込めて書いておきます。

そのメルマガでは起業家の失敗談、そして失敗はしたけれども

救いの手が差し伸べられたこと、またなぜ救いの手が差し伸べられたのかが書かれ、

さらに、ほとんどの人はなんだかんだ言い訳をして安定を選んで挑戦しないこと、たった一度の起業家人生を後悔しないよう、挑戦しよう、

と言った言葉が述べられておりまして、個人的には熱くなるというか、鼓動の高まりを感じられました。

しかし・・・

この人が書いたメルマガだから読むけれど、その内容には違和感を感じたんですね。何だ、この気持ちがよろしくない違和感は、と。

ちょっと考えてみたところ、昨日島田さんが話していた信頼残高の話がよみがえってきまして、たぶんコレなんじゃないかなと思ったのは、

その書き手自身を、僕は起業家だと認識していない、ということです。その人のメルマガを読むのは、起業家云々ではなくて、別のところで挑戦しているというか、歩みをとめていないというか、ゼロイチではなくてイチを十にも百にもする、そういうところに敬意を持っているからです。

敬意は持っているけれど、それは起業家としてではないと僕が認識している人から(もちろん定義にもよりますが)、起業家人生を後悔しないように・・・と言われ、ちょっと戸惑ってしまったんですけども・・・

コレと同じで、自分自身もそういうことを話してしまっているんじゃないかってこと、を振り返る機会になりました。

自分自身が、読み手の方々からどういう風に認識されているのか、ということをです。

信頼残高とはよく聞く話ではありますが、家族や身近な人に対してのそれは考えやすいものの、メルマガの読者さんにまで信頼残高があるとは考えが及ばず・・・

昨晩は島田さんとのセッションを終えたあと、打ちひしがれていました、実は。

どういう風に認識されているのかとは考えてこなかったな、って。

たぶんですが、セールスライティング、だけではないし、タイ、だけではないし、難聴、だけではないし、おしりに情熱、だけではないし、男は女性のATMであれ、だけでもない。

無意識を意識することをセールスライティングをする際、心がけているわけですが、僕らは読み手側になった時、無意識のうちに書き手のことを感じ取るものだと僕は考えています。

いいこと書いてあるんだけれども、なんか違うな、とか。確かにもっともなのだけれども、この人がそれを言うのはなんか違うな、とか。

面白いと思うのは、こういう無意識というのは言葉として出てくるわけではないということ。なんとなく、そう感じるだけのことが多いと思います(セールスライティングをやっている人ならば、言葉として出てくるかもしれませんが)。

昨日のプライベートセッションで出てきた、自分の土俵、自分の要塞の話。

『要塞のなかで捕まえて』という木坂さんがその昔書いたレターを写経していた時には印象の残る程度でしかなかった言葉が、島田さんとの対話のなかでこれが土俵であり、要塞なのか、と認識できてきたこととあいまって、

土俵や要塞を構成するものは、読み手から見ても「ああ、そのひとはそうだよね」というものでなければならないし、そうでなければ土俵も要塞もつくることができない。

読み手は、見ていますよね、その書き手がそれらを体現しているかどうかを。

在り方が大切であることはもちろんですが、どう在りたいかのまえに、自分がどう在ってきたのか、現在どう在るのかを認識する視点が大切と思った次第。

その言葉は語るに足るのだろうか。

こういう問いかけを持っていたいと思いますし、そしてこの問いかけをすることは、客観視できれば実際カンタンだったりします。

判断基準は、その人自身のなかにあるのですから。

P.S.
じゃあ経験していなければそれを書けないのかというと、そういうことではないと僕は考えておりまして、経験すれば語るに足る。そう考えています。実際にやることなんですよね、それを書くからには。僕らはそれを感じ取るもの。認識しておきたいですね。

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