教師という憧れ、情熱、原点。

「shi-juku」というコンセプトはスッときましたね、とは日比野さんだったか後藤さんだったか、それとも島田さんだったか、恐縮ながら覚えていないのですが、僕が教員免許を持っているんですよ(今は失効しているのかも。中学の社会科です)、と言っても驚く人はそういません。というか、似合いますよね、と言われます。

だから雰囲気というか、行動というか、そういうところに何かにじませるものがあるのかもしれないなぁ、と感じることがあります。百聞は一見に如かず。なるほどですね。

僕は先生には恵まれたほうだと思っておりまして、同級生やそのご父兄が「先生に恵まれなくて・・・」と言う度に、僕から見たら皆いい先生に見えるけどなぁ、と思ったものです。妻が「あなたはなんでも美味しいっていうでしょ」と同じで、誰でもいい先生に見えるのかもしれません。ある意味、人を見る目がない、と言えるのかもしれません。

クレイジーパパという、島田さんが主催するコミュニティで紹介された課題図書、『奇跡の教室』を新幹線のなかで読んでおりまして、ふと思い出したことがあり、これを書いておこうと思いました。昔話になりますが、もしよかったらおつきあいください。

どもりがちで人の顔色をうかがうように育った僕は、そうはいっても目立ちたがりでリーダーシップを取りたがるので、小学校でも中学校でも、先生から重宝される子どもだったように思います。

学級委員とか、生徒会とか、そういうものを小野ならやるだろうという空気があり、それに応えることが当然のようになっていました。

これはこれで当時の僕にしてみれば普通のことなので、特にしんどいなぁとか考えもしなかったのですが(意識的には)、中学2年生の時に出会った宮本先生により、変化が訪れます。

以前もブログで書いたような気もしますが、若い時にバイクを持って朝鮮半島に船で渡り、無銭旅行ということで、行く先々でアルバイトのようなことをしながら、そして確か絵を描きながらアジアを横断してスウェーデンへ(今思えば本当かな、と思いますが、たしかそんな話だったような)。

スウェーデンで奥様となる女性と出会い、お子さんをもうけて日本へ。

元々が絵描きだったのか先生だったのかは覚えていませんが、美術教師として中学校に赴任。

まあこれまで出会ってきた先生という枠には収まらない器の先生でして、彫刻刀を使った授業の際、「ケガというのはこのように指が手から取れかかった状態を指すから、切り傷程度でケガしたなど言わないように」、なんていうわけです。

個人的にはこれは面白い先生だぞ、と思い、他にも生徒のケンカを決着がつくまで止めないなど、ちゃんとやらせてくれる先生なんだ、と思った記憶もあります。女性の先生が目を丸くしていたのが、印象的でした。

普通とは異なる先生ということで、風あたりも強かったのか、1年で私立高校へと転任。

ハタから見て、周囲の期待に応えようとしていた僕に気づいてくれたのか、家庭訪問でもないのに時折家にやってきて、母に僕の様子を伝えてくれるような先生でした。

離任式の時、宮本先生が3年生になった僕らの前を通り一言二言交わしていくのですが、僕の前を通りかかった時、「3年生まで面倒みれずにゴメンな」のように話してくれたときは思わず号泣してしまいまして、あとから友だちに「男泣きだったよね」と言われたのは恥ずかしかったな・・・。

自分でも気づかないところに気づいてくれた初めての先生ということで、僕のなかでは今でも真っ先に思い出す先生です。有名になって、僕の名前が先生に届けばいいな、なんて思ったりもします。

どんな子どもにも、ひとりひとり気づいてほしい悩みごとってあるんじゃないかと僕は思っており、そこに気付ける先生ってステキだなと思うようになったは、宮本先生の出会いが大きい。

周囲によって貼られたレッテルで判断せず、ひとりひとりをただ眺める。その子どもに寄り添ってその子どもを見る。

その子ども自身を認める。

いつから教師になりたいと思ったかは覚えていないのですが、宮本先生との出会いがそのキッカケになっているとは思います。

shi-jukuという塾のコンセプトのひとつに、「師と出会い」という箇所があるのですが、これは僕にとっては宮本先生であり、社会人になってからは土門さんという先輩だったりします。

自分の経験からでてきたコンセプトを、今になって近いことをやっているなと感じ、だったらそれをやっていこうという情熱みたいなものが湧いてくるから、おもしろいものです。

そのためにこそ、誰もに師との出会いを、というのがありまして、子どもたちと一緒に旅をしようと思うのは、子どもたちに師との出会いを求めているのかもしれません。

誰が誰の師になるかは誰にもわかりませんが、少なくとも人生に情熱を感じられる人物でないと、師にはなれない。

自分自身、毎日誰かの師たるにふさわしい情熱をほとばしらせているだろうか?子どもたちにとって父たるにふさわしい情熱をたぎらせた背中を見せているだろうか?

自問自答しながら、今日も文章を書いています。

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“教師という憧れ、情熱、原点。” への2件の返信

  1. 毎度どうも。

    私も宮本先生クラスでしたがいろいろ初耳です。今思えば、小野くんの難聴のこともメルマガを読むまで気づかなかったわけですし、観察能力やコミュニケーション能力がかなり欠如していて自分のことも周りのことも世界観構築どころか世界が全く見えていなかった時代だったと思います(今は逆にメガネに色がつきすぎて真実が見えなくなっているような…)。たしか掃除の時間にスウェーデン人の奥さんの写真を見せてもらった記憶があり、すごい美人だった、ような記憶をかすかに覚えている程度です、私にとっては。

    今宮本先生はどうしているのでしょうね。小野くんの宮本先生に対する思いのように、私も誰かの心の中に自分の生きた証が残るような生き方をしたいものです。

    1. 僕は奥さんの写真、覚えていないんですけどね、、、

      人それぞれなんだろうな、と思います。

      マーボーくんを師とする人も、きっといるはずですよ!

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