神話、宗教、グレートジャーニーの共通点。

旭川ではアイヌ民族の歴史と神話の世界を体感してきました。札幌よりも寒いのか、旭川に着いた翌朝は雪化粧の街並みに変わっておりまして、北の大地の寒さ、厳しさを体験。

その後は晴れ、今朝まで降っていた雪がすっかり溶けてしまうと思った頃、カムイミンタラと呼ばれる大雪山系の山々に近づくとともに雪が深まってきて、旭岳ロープウェイの入口はスキー場のような様子でした。そういえば、スキーをしている方々も既にいましたね。12月末から3月にかけて長野などでも見られるようなスキーの光景が、早くも垣間見えた大雪山系でした。

沖縄では琉球民族の神話の地、高千穂では大和民族の神話の地、そして旭川ではアイヌ民族の神話の地を訪れ、各々が思い思いに博物館や記念館を鑑賞。

旭川へ戻る車の中だったか、ホテル到着後のカフェタイムでだったかはうろ覚えなのですが、参加する皆さんにこんな質問をしました。

「神話と宗教、グレートジャーニーには共通点があると思っています。なぜ、それらが必要なのか?次回台湾ジャーニーまでに考えてきてください」

正直なところ、この問いに正解のようなものはないと考えておりますが、僕としてはこうなんじゃないか、と思うことはあります。参考になりそうなのが、神話学者であり学習院大学文学部教授の吉田敦彦さんの言葉。

彼は、神話は大地の崇拝からはじまったと話しておりまして、神話なくして人間は生きられません、とも言っています。

引用しましょう。

(前略)まず基本的なことですが、「神話」とはどういうものなのでしょうか。

吉田 そもそも人間は、いつの時代どの時代でも、物事がどうやって始まったのか、なぜ存在するのか、どういう仕組みなのか、神話によって説明してきました。社会システムから死生観、自分達の行動、物の起源、価値、社会のアイデンティティーまでも、神話で説明しています。

──なぜ、人間はそのような神話を持つようになったのでしょうか。

吉田 例えば、ミツバチやアリは、非常に複雑な社会システムを営んでいます。しかし、彼らは皆インプットされた本能に完全に従っているだけで、働きバチは蜜を運ぶことに何の迷いもない、まさに自然な行為なのです。それに対して人間の生き方は、反自然的です。集団ごとに異なる文化が形成されており、自分の文化の中で当り前のことが他からは野蛮に見えたりします。ですから、その文化で行なわれている一つひとつの習俗、システム、その文化が持っている価値観などをきちんと説明、定義しておかないと、自分の行動に迷い、ためらいが生じてしまいます。そうなると、文化は解体してしまいますからね。

──文化がある以上、必ず神話があるということですね。

吉田 そうです。神話のない文化はあり得ない、つまり人間は、神話がなくては生きられないといって良いでしょう。

(後略)

答えのないことに答えを与える、ということでしょうか。自分は何者なのか、という問いに対する答えを、神話や宗教は与えてくれ、実際のところどうなのだろうと、現実世界におけるなぜを解明するために、グレートジャーニーという試みが発生したのかなぁ、と。僕はそんなふうに思いました。

世界から眺めても似たような神話がある、天地開闢などですね、コレもまた興味深い点ではあります。それら神話が宗教を経由して、日本で言うと神社とかお寺とか、教会もですね、このあたりから人々に伝わっていく。

思考するゆえに生まれた知恵のようなもの。うーん、なかなか言葉にするのはやさしくないかな・・・。

台湾ジャーニーでまた言葉が生まれるといいなぁ、と願いつつ。

ビート・ザ・コントロールのメルマガはこちらからどうぞ




コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です