情報の質は、誰で決まる。

バンコクに住んでいるからといって、バンコクの美味しいお店を知っているとは限らない。そんなことを妻や妻の従姉妹と食事に行くと感じることがあります。

先日、トゥ・セープウェーイに行ったときのこと。僕と来た時に妻は、以前一度来た、あまり美味しくなかった、と言っていたのですが、どうやらそれは勘違いだったようで、僕に教えてもらったと。

はじめてきた時に食べたガイヤーン(鶏をまるごと焼いた半身が切られて出てきます。焼き鳥です)やプラーチョンパオ(大きな白身魚を塩でまぶして焼き上げた料理のような…付け合せの茄子が美味いんです)がエライ美味しかったらしく、何度か従姉妹や妹たちと来ているのだとか。

従姉妹のお姉さんがエライ気に入っておりまして、お気に入りの料理があり、店で食べただけではなく、お持ち帰りにもしていました。なんでも、それほど美味しいんですね。

「タカが教えてくれたお店って美味しいのよね」

というので、まあバンコクに住んでいてもそんなものだよね、と思いました。実際僕も、神奈川におりますが、神奈川の美味しい店って知っている?と聞かれても出てこないですから。

じゃあ、美味しいお店を知っている人ってどうやって知るのか、と考えてみました。

たぶん一つは、美味しいごはんを食べることが好きで、お店巡りをすることに卓越性を発揮する人。美食家の方とか、いますよね、そんなに知っているの?という具合にお店を知っている人。

そしてもう一つは、会食場所の引き出しを増やしておきたい人。

さらにもう一つは、彼らに聞いて情報を入手し、お店に訪問してみる人。

インターネットがありますから、3番目の人が相対的には多いのかなぁ、と思ったりします。かく言う僕も、その一人ですね。

なぜトゥ・セープウェーイを知ったかというと、インターネットで検索したからです。確か、「ナラティワート タイ料理」か「ナラティワート イサーン料理」、あるいは「サトーン タイ料理」「サトーン イサーン料理」で検索。

そして出てきたブログ記事のうち、情熱が伝わってくるもの、実体験が感じられるもの、そして記事の好みですね、これらから選び、お店を探しました。

食事の記事というのは、誰でもできるものではありますが、実際にやってみるとエライ手間がかかるものだったりします。

僕が書く中でもけっこう大変だな、と思うのは、写真を撮ってそのメニュー名と価格を覚えておくこと。

記事を書くこと自体は、SEOなど考えなければスラスラ指先が動きますが、写真を撮ることは意識的に行う作業です(僕にとっては)。ですから、よし撮るぞ、と気持ちを入れ替える必要があります。ごはんが出てきたからいただきます、というふうにはならない。

だから、実際に訪れている店の多さ、写真の豊富さ、記事の多さは、この人の勧めるお店には行ってみよう、となる判断基準になっています。

しかし、インターネットで検索するだけでは、知りえないお店もまたあります。検索する際の、想像の外にあるお店です。

例えば、イサーン料理という言葉を知らなければ、イサーン料理と検索することはできません。人が検索できるのは、頭の中に言葉がある場合、もしくは画像などのビジュアルイメージがある場合ですから、何らかのかたちで体験、見聞きしていないと、調べようがない。

では、自分の想像外にあるお店、例えば本当に美味しいと言われるお店を知ろうと思ったらどうするかというと、やっぱりそういう人に聞いてみる必要があります。もし、そういう人と知り合いでなければ、その機会はほとんどないということになります。

知らぬまま人生を終えても後悔しようがないですが、一度でもそういう世界を知ってしまうと、元の世界に戻ろうとは思わなくなります(僕の場合です)。選択肢というのは、いくらでも増えるわけです。そして増えると気づくと、減らすこともできるんですね、自分で判断して。

情報の質というものがあるのだとすると、それは自分自身の生活の質、仕事の質にもまた、影響を与えるのだと思います。

そして、情報の質というのは、誰で決まる。他者も、自分も含めての誰。

新しい経験をして、知性を磨いていこう。

そんなふうに感じた出来事でした。

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