レジを鳴らす。視点を変える。

現在、クシャダスにいます。

エーゲ海沿岸に位置しトルコの西部にあるこの街はリゾート地のようでして、夏には賑わう様子を感じさせてくれます。しかし現在は観光客も少ない時期のせいか、昨晩街を散策してみたものの静かで閑散とした雰囲気でした。

ホテルの部屋にはエーゲ海を望むバルコニーがあり、海の向こうはすぐそこにサモス島、肉眼で確認はできなかったけれどもサモス島の隣にはキリコス島、そしてちょっと離れてミコノス島がありまして、その向こうはアテネ。ギリシャが目と鼻の先にあります。

かつてクシャダスから南にあるマルマリスという街からトルコに船で入国しましたが、そのときはギリシャのロドス島を出国しました。スピードボートかフェリーで1時間か2時間程度。まさにギリシャとトルコは目と鼻の先なんですよね。

イスラム建築やキリスト教の遺跡を見てきた後でパムッカレに行った時、その遺跡がギリシャのアテネやロドス島で見たそれと似ていると感じました。パルテノン神殿にあるような、あの柱です。あれが遺跡として、パムッカレ上にあるヒエラポリスには残っていました。そして古代ローマ帝国のコロッセオも。

ギョレメからコンヤに向かう道、あの真っ直ぐに何十キロも続くかのような道はかつてシルクロードと言われた道だったとあとで知ったのですが、アナトリアと呼ばれる大地の両側に広がる小麦畑を思い出すと、現在のトルコが古代オリエント文明、古代ギリシャローマ文明、ビザンティン文化、イスラム文化などと行った様々な文化の集結点であることもうなずける気がします。豊かな大地、交通の要衝ということで、当時の為政者、王にとっては必要な土地だったのかな、とか。

トルコとギリシャ。異なる国同士ではあっても、その似ているところから歴史に思いを馳せる(食べものも似ていると言われていたような)。おちたら死ぬ高さと角度だなと感じながらコロッセオの最上段端に腰をおろし、舞台の上で演奏などしているシーンを思い浮かべていました。たぶん、命がけの鑑賞だったはず。

ちょうどこの場所で島田さんが「コピーライティングはココロだ!」の撮影をはじめたので、そこでも話したのですが、「おなかの空くコピーとは?」というテーマに関して僕は、「詳細に描写されているコピー、名詞と動詞で書かれたコピーなのではないか」と話しました。

古代ローマ帝国のコロッセオは教科書で見たし、写真も見たことがある。大きなところでは1万5千人程度収容できることも聞いたことがある。

しかし、その実物はヒエラポリスパムッカレのものからすると、観客側も命を落とす危険性のあるほど、高くて巨大な舞台だったりします。

このコロッセオを、「大きいコロッセオ」を書いても「とても大きなコロッセオ」と書いても伝わるものは漠然としておりまして、なぜなら形容詞は具体的な描写を読み手にもたらしにくいからです。

ですからたとえば、相撲取りのような腕自慢の男たちが10人で一つを運べるほどの巨石を100段ほど積み上げた高さはそこから落ちたら命を落とすと思わせるに十分な迫力で、などと書くことで大きさを伝えたほうがいい、と僕は考えています(時と場合によります)。

そして、この名詞と動詞というのは書き手が体験して感じていないとでてこない、とも話しました。たぶん、いまコロッセオにいる僕たちは日本で一番、コロッセオを描写できると思いますよ、とも。

レジを鳴らすセールスライティングには、読み手の視点を知り、読み手が前のめりになる視点を提供する必要があると考えておりますが、そのためには僕たち自身がそういう言葉を持っている必要があります。

そして言葉は本で読んでも人から聞いても語彙として蓄積できますが、感覚を持ってはじめて使えるようになるとも。

レジを鳴らすコピーに、書き手の身体性を伴った体験は、活きてくると思います。

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