現在、京王線にいます。
今朝まで実家におりまして、高知行きとタイ、インド行きのために荷物を整理して収納していました。
Macに何かあってはよろしくないと、防水防塵力満載、いざという時にはバケツにもなる「オルトリーブ メッセンジャー プロ」を手に入れ、そこへ必要なものを収納していく。
どうしても角のある機材、ぽっちりライフプロジェクトに必要なカメラや三脚、ワイヤレスマイク、そして車から電源をとるための装置を詰め込んでいくと、カドカドしているというか早くも容量がいっぱいになってしまいまして、
今日の賢者舎や仕事で利用するノートや万年筆、ボイスレコーダーに、Mac、iPhoneなどは手提げに収納。
タイに着いたら、撮影用機材などはおろしますので、多分半分程度の荷物にはできるんじゃないかな・・・。
収納している最中、母がテレビをつけると『24時間テレビ』が放映されており、これは表現を変えたほうが適切だろうな、と思えるテロップがいくつかありました。
例えば、
「多感な中学3年生」
「本当の卒業式」
のような修飾表現。
担任の先生が11月頃に網膜剥離で学校を離れることになり、その時の担当クラスが気になっていたこと、26年ぶりに再会した様子を紹介していました。
話そのものは普通にいいなぁと思ったので、「多感な」や「本当の」を使いたい理由はわかる気もするけれど、これらを書いてしまった結果、どこかに作為を感じるというか、ああ、視聴者を感動させたいんだな、という制作側の意図が見えてしまい、
残念な番組になっているな、と思った次第です。
これが具体的な名詞や動詞で表現されていたら、
制作側が感動したんだろうなとわかるし、涙無くして観ることはできなかったかもしれません(私見ですけどね)。
「多感な」も「本当の」も、それらが意味することは曖昧ですし、特にこの単語を使わなくても、言いたいことは伝わる。
ミニスカート理論からすると必要以上に長くなっているし、不要なものが付いているから、なんか胡散臭いな、となる。
木坂さんが、「7つの鍵」ライティングセミナーでスティヴン・キングの言葉である「不安な文章の根っこには、だいたい不安がある」を紹介しつつ、
「不安があると余計なことを言いたくなるし、余計な言葉を足したくなる」と話していましたが、これはなるほどなぁ、と。
不要な形容詞や副詞などで修飾表現をつくると、僕らは「それ、いらないよね」と、いたずらに長いことを感知してしまい、文章から説得されている雰囲気とか、胡散臭さを看てとるのだろうな、と。
もちろん、形容詞や副詞での修飾表現だけが、「不安な文章」を作り上げているわけではないでしょうが、
誰でも、どんなものにも、どんな時にも使えますからね。そういう修飾表現は。
書き手が商品やサービスに自信を持っているなら、そういう表現にはならない。経験が透けて見える文章になるから、どんなものにも使える表現にはなりにくい。
だからこそ使うべきは名詞と動詞。
「進路選択で自分と向き合い、恋愛など人付き合いで悩む中学3年生」
「当時できなかった先生との卒業式」
などにした方がいいのでは、と僕は思いました。テロップの長さに限度はあるでしょうが、それでも胡散臭さを感じさせるよりかは長いほうがいいのではないかなぁ、と。
実際に経験、体験することで、名詞や動詞を使って表現できるようになるもの。
また、セールスレターをレビューする際、形容詞や副詞が多いとそれだけで、身体性を伴うリサーチができていないだろうな、と感じるものです。
形容詞や副詞を使った文章を見るたびに、その書き手の経験の無さを感じ取ってしまい、残念な気持ちになります。
そこから自信を感じられませんから。
形容詞や副詞で盛り上げる必要はなく、ただ経験したこと、感じたことをそのまま、具体的な名詞や動詞で書く。
こういう言葉や文章が、読み手から信頼されるのだと僕は思います。
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