スキルが先かマインドが先か。

人によって見方は異なると思うけれど、僕が自分自身を眺めた時、どちらかというとスキルよりもマインドの方を重視しているように思います。

厳密には、マインドのなかでも、目的とか現実的にどう在るかとか、そういう部分を重視。

Being Doing Havingでいえば、Beingありき。WHY HOW WHATでいえば、まずWHYが大切。

これは人の話を聞く時、何かを考える時、人に話をするときにも使える手順、コミュニケーションにおいて大切な技術ということもできるのですが、何を学ぶよりも誰に学ぶかのほうが大切、

しかしそれよりも何のために学ぶかのほうが大切とビーコンライブセミナーでも伝えていることから、技術としてよりもマインドセット的なほうを強調しているのかもしれません。

なぜなら、スキルを獲得したいと願っても、3日坊主ならず3ヶ月坊主、あるいは6ヶ月坊主とでもいうのか、途中でスキル獲得をやめてしまう人を見ているからです。

厳密には、スキルを獲得することを途中でやめてしまったのだろうな、と推測しているにすぎないので、厳密なところはわかりませんが。やり続けてくれていればいいな、と願いつつ。

しかし、だからといってマインドが先かというと決してそうではなくて、その人が置かれた状況により、スキルが先かマインドが先かは変わってくると考えています。

いや、私見にはなりますけれども、これらは同時に必要。それはLicense to beatのレターをご覧の方なら思い出してほしいのですが、車の両輪という風に表現していたことからも、僕自身の考えは見て取れます。

僕自身、セールスライティングやプロモーションなど、何かのスキルを獲得しようとするときは、必ずその目的があると考えておりまして、何の理由もないのにそれを獲得できるかというとそれは怪しい。

何のためにという必然性がない限り、そのスキルを学び続ける動機が薄まっていくからです。

じゃあマインドセットから、という方もおりまして、それは間違いではないと思うのですが、往々にしてスキルのないマインドセットはフワフワ感を生むというか、地に足のついていない人たちを生み出してしまうと考えています。

願えば叶う的な言葉とか、今のあなたでいいんですよとか。

いやいや、今のあなたではよろしくないからこそ悩むんであって、行動して、結果変化しない限り悩みは解消されないだろうに、と思う。

自己啓発とかそういうものは、なんだかその気になる魔法のような力がある。だから、これにハマってしまうと抜けられない。

しかし、僕が今でもドクターモルツのサイコサイバネティクスとか、コヴィー博士の『7つの習慣』とか、マイケル・マスターソンの『大富豪の仕事術』を読み上げたりしているのは、行動を伴うことでエラく効果があることを実感しているからです。

一緒にいる人のように自分はなるなんて、まさにマインドセットだと思いますが、

この考えを実際に「行動している」結果、今の自分になっているわけですから。よく一緒にいる人5人を思い浮かべて、その人達の年収を平均すると自分の年収であるなんて最初は「え、ホント?」という感じでしたが、それは確かにそうなんだろうな、と感じています。

くれぐれも、マインドセットだけではないことは強調しておきつつ。

そうではなくて、両方必要なんですよね。僕はマインドに目的意識も含めていますが、スキルとマインドは両方ないと、現実感のないものになってしまう。そう考えています。

その人の言葉だけではなくて、身体性を伴った行動、経験、その結果を観察する。すべてがそうだとは思いませんが、目で見て取れるその人の生き方は、何らかのスキルが雰囲気としてにじみ出る、一挙手一投足に出てくるもので、それを人は自然と感じ取っている。

現実感のなさを感じ取った時、なんとなくでもその人を怪しいと思う。そういうものでしょう。

個人的にはマインドの方を先に、と言いたい気持ちもあるのですが、マインドを先にした結果そこに逃げて現実逃避してしまっては意味が無いので、

スキル獲得に焦点を当てつつ、ちょっと遅れる感じでマインドを育てていく。

こんな感じのほうがいいのかもしれない、と最近は考えています。

スキルという素材を際立たせる調味料がマインドというか・・・そんな感じかな。

スキル偏重でうまくいっていないならば、調味料を加えた方がいい、みたいな感じにて。

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“スキルが先かマインドが先か。” への2件の返信

  1. 今日は日曜日でゆっくり自宅で時差ぼけ修正中です。ご参考までのコメントです。小野くんの言っていることはいわゆる「卵と鶏の問題」に近いものではないでしょうか。卵が先か鶏が先か。ご存知のようにどちらが先という答えはありません。なぜなら相互依存の循環構造になっているからです。分子生物学でも「遺伝型と表現型」という二つの視点がありどちらが大事かと問われてもどちらも違う意味で大事。生命の起源問題も「DNAが先かタンパク質が先か」みたいな問題があり、どちらもどちらかを必要としている循環構造になっていて、どちらも大事。こういった循環的論理構造を持つ、あるいは相互依存的な関係としてみることができる現象は割といたるところにあると思いますが、ポイントはどちらだけがあっても、どちらかが欠けてもダメいう点です。おそらく小野くんの言うところのマインドとスキルも相互依存的な循環構造になっていると小野くんは考えているのではないでしょうか。生命の起源に興味がある私としては「ではどのようにこういった循環構造が生まれ得るのか、そしてその関係性がどのように発展してきた(発展し得るのか)のか」というところに興味がありますが、またそのお話は機会があれば。ご参考までに。

    1. ありがとうございます。そうです。相互依存的な循環構造。

      僕も「ではそのようにしてこういった循環構造が生まれ得るのか、
      そしてその関係性がどのように発展してきた(発展し得るのか)のか」というところに
      興味ありますので、

      機会をつくることができれば!

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