その美学のようなものを疑ってみる。

今朝は妹に駅まで送ってもらい、スターバックスへ。

このブログはスターバックスで書いておりまして、この後レンタカーを借りに移動します。

車のなかで妹と話していたところ、教師としてずっと現場で生徒たちを教えるのか、それとも管理職、マネジメント側に行くのかという話題になりました。

個人的に思うのは、ずっと現場に出て生徒と接することというのはその温度を知るためにも必要だと思いますし、僕が教師であればそれを望んでいたかもしれないな、と思うものの、

主観に基づいた考えだけでずっと現場にいるというのは、果たしてどうなのだろう、とも思います。

現場に出ることでマネジメントに現実感をもたらすことはもちろん大切だと思いますが、一教師としてずっと現場に出続けると発言することには、違和感を感じる次第。

世の中的には「ずっと現場に出続けたい」という先生を「いい先生だ」と思うのかどうか、僕にはわかりませんが、僕個人の意見としては、その「ずっと現場に出続けたい」という先生も、自分一人の視点からではなく他の先生や生徒、そしてご父兄の方々、地域社会の方々の視点から自分を眺めてみるといいのではないか、と考えています。

なぜなら、25歳のときと35歳のときでは、求められることが同じであることってないのではないか、と思うからです。

求められることが異なっても、現場に出続けることが必要な先生ももちろんいるでしょうが、人によっては他の先生方をマネジメントしたほうがいいことだってある。

一人の先生が1年で受け持つ生徒の数は、1クラス40人だとしたらそれが限界だけれども(担任の先生としてはですね)、マネジメントする役割を受け持つのであれば、担任の先生×40人、つまり120人にも160人にも、200人にもなるわけです。

自分のやりたいこと、志向を一番に尊重しつつも、周囲から求められていること、期待されていることに耳を澄ませることも必要なんじゃないかなぁ、と(逆になってしまうと、本音の声が聞こえなくなるので・・・個人的にはどうかな、と思います)。

それにこの先生の話の場合、「現場に出続けたい」という考えそのものも疑うべきというか・・・そんな気がします。

何らかの思い込み、自分自身で決めつけた美学のようなものがあればなおさら(そういう美学も、僕は好きだったりしますが)。

僕は自分自身のやること、できることには限界はないと考えておりまして・・・ええ、もちろんこれは、夢物語的なものだとも思っておりますが・・・しかしこの世の中で、自分一人でなんでもできる、解決できるとすることの途方もなく絶望的な、無力感もまた、併せ持っているのかもしれません。

より良い価値を生み出し、より多くの人にその価値を届ける。

どこまでも自分自身については体力も脳力も鍛え続けていこうとしつつ、誰かに任せ、また委ねることも大切だと考えています。

清濁併せ呑むというか、ちょっと違うかな、でもそんな感じ。

野球でもサッカーでも、バスケットボールでもバレーボールでもそうだと思いますが、より良い成績を収めようとする場合、個人プレーだけだと限界がありますし、チームプレーだけでも限界がある。

両方、必要なんだと思います。

160キロのストレートを投げるピッチャーがいても、それを受けるキャッチャーがいなければ、という感じ。

だからこそ、自分を決めつける必要はないんじゃないか、と思うわけですが・・・あれ、話がそれました。

今日はこのへんで。レンタカーを借りてきます。

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