アイデアを生み出すのはアウトプットじゃない。

セールス・スタートアップ・ライティングで新しいクライアントさんとの付き合いがはじまったこともありまして、新しいセールスレターやステップメールを書く機会が増えています。

そんな中で気づいたことは、セールスレターのアイデアを生み出すのは、アウトプットじゃない “アイデアを生み出すのはアウトプットじゃない。” の続きを読む

経験してみないとわからない。

座学で学んだり、オンライン教材で学んだり、セールスライティングを学ぶ方法は結構な数があると思いますが、だいたいどれも共通して言えると思うのは、インプットはできるけどアウトプットはできない、というものです。

本来であれば、インプットと並行してアウトプットの場を獲得する、また営業してクライアントを獲得するとか、紹介してもらうとか、そういうことが必要になってくるわけですが、なかなかここまで歩を進める人はいない、と僕は感じています。

単純に、営業すればいいのにとか紹介をお願いすればいいのにとか、そう思ったりもするわけですが、多分そんなカンタンなことではなく、何らかの理由があってアウトプットの場を求めない人もいるのだろうと。

学んでいる自分が気に入っているとか、まだ早いと思っているとか、実は変化を望んでいないとか。

いっときの感情で何かに飛びついてしまうことはよくあることですし、ついついカツカレーを食べてしまったり、カツサンドついでにカレーを食べてしまったりというのは僕自身あることですので、感情で動くことを否定することはありません。

しかし、こと人生において大切な局面を迎えているときには(もちろん一度のみならず、二度三度とあるかもしれません)、適切に判断をする必要があると考えています。

これは怖いと思うのは、ある人物の言葉や本だけを見て盲信している状態で、その人物に会ったり書かれていることを試してみたりしていない状態。

経験してみないと、本当のところはわからない。

これは僕がここ2年でよく思うことです。

考え方や見た目が洗練されていても、一緒に行動してみたら言葉だけの人かもしれないと感じたり、マーケティングの知識があって実績もありそうに見えても、自分自身をマーケティングできていないと気づいたり、この場合は誰かと一緒にいることの利点的な話になるのですが、一緒に行動してはじめてわかることだってあります。

というよりも、それが本当のところです。

僕自身、自分でも唖然とすることがありますが、やっぱり言葉に惑わされたり、実体を見ないで表向きにつくられた幻想がその人だと信じてしまっていることもある。

人はピンチになったり焦ったりするほどに、スッと入ってくる言葉というか、救いの言葉というか、いい気持ちになれる言葉を求めるものだと考えていますが、

そういう言葉に惹かれつつも大切なのは、実体験を伴うこと。自分で試してみること。可能であれば、その言葉を発している人と一緒に行動してみること。

僕らが今生きるのは言葉の世界ではなく、身体性を伴った、この現実世界なのだから。

経験を、増やしたいですね。

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ライティングの手が止まった。そんな時にチェックしてみるべきこと。

セールスライティングクラスに限らず、このブログをご覧の方、僕に興味を持っている方は少なからずライティングを生業としていたり、今後はライティングで独立しようとしていたり、と考えていらっしゃると思います。

僕はここ2年ほど、コーチングやLicense to beatやセミナーを開催するなどしており、クライアントさんから依頼されるプロジェクト的な仕事もありまして、

結果プロモーション全体のライティングは増えているものの、毎月納品する1本いくらのライティング案件の数は減っています。

しかし3年前から1年前にかけては、それこそ毎日のようにセールスレターなりニュースレターなりを書いては納品していました。

小野さんは手が止まることってないんですか?と聞かれることもありましたし、どうなんだろうと思われる方もいると思いますが、手が止まる、というよりも文章が出てこない時は確かにあります。

しかし、必要なので書かなければならない。

そんな時にどうしていたか。あらためて書いておきたいと思います。

*リサーチ不足でないか?

まず僕がチェックするのはここ。いわゆる読み手や見込客のリサーチ、商品やサービスのリサーチ。

リサーチ結果を事実として並べられないようであれば、まずリサーチが不足していますし、〜だと思うとか〜らしいのように伝聞推定のカタチでリサーチ結果が並んでしまった場合も、リサーチ不足だと判断します。

この場合の自分に向けた処方箋は、急がば回れでして、

すなわちリサーチをきっちりやるということです。

この時役立つのは、例えばですがダイレクト出版さんで発売されている15ステップリサーチだったかな、そういったものと、

確かセールスライティングスタートアップガイドにも書いたと思いますが、そこに書いてあることをただやる。

急がば回れとはよくいったもので、実際に体験することに勝るリサーチはない。

見込客を観察することもそうで、一足飛びにリサーチできると思ったらその傲慢さを改めるべきで、たんに自分の思い込みでリサーチのようなことをしていたと気づくときもあります。

だから伝聞推定ではなくて、事実としてのリサーチ結果、素材を机の上に並べられるか。

これを僕はチェックするようにしています。

*アウトプットは日々の習慣になっているか?

最初に紹介したリサーチはいわばインプットですが、インプットと両輪であるアウトプットを、毎日の習慣にしておく必要があります。今でこそその意味は変化しておりますが、もともと僕がベネマンのブログを始めたときというのは、毎日書くことで文章の引出しを増やそうと考えていました。ダイレクト出版の小川さんが、毎日書いていたのに書かなくなったらパフォーマンスが落ちた。だから、1日3000文字をノルマとして書くことを課してみたらパフォーマンスが良くなった、みたいなことを知ったことも、動機になっています。

僕の場合は1日3333文字以上、1ヶ月で10万文字以上をノルマとして書き続けたのですが、すると文章が指先から出てくるようになっていました。これは徐々に変化するので劇的に変わるかというとそうではないですが、ある時2時間かけて書いていたブログが、15分でできるようになっていたりします。

この時、インプットした言葉を意識せず、「考えずとも」アウトプットできるようになっているわけですが、手が止まるときというのは「考える」とか「悩む」とか、そういう状態の時でしょうから、考えずとも書けるようになれば、手が止まらなくなるのは、まあ当然なんですが。

経験ある人なら、わかると思います。ああ、そうだよね、と。

少々大雑把な話ですが、考えずに書けるように毎日アウトプットする、これを意識して書き続けてみてください。

車も自転車もスキーも、考えてはやりませんよね。身体が反応する、という感じでしょう。

ライティングも、同じことができます。

*ヒマなのではないか?

これを認めることは勇気が必要ですが、考えるというよりも悩んでいる状態というのは、ヒマだからと僕は考えています。

まさに目の前に危機が訪れていて、即断しなければ命の危険が、という時に、「手が止まってしまって」なんて悩まない。

だから、そういう悩む時間がある分だけ、ヒマ、もしくはヒマのような状態なんだと認めてみるといいかと。

その後どうするかというと、まず締め切りを決める、かつ予定を入れる、しかもライティングに関係のない予定ですね、デートでもいいですし、ナイターを観に行くのもライブに行くのもいいでしょう。

リラックスする効果もあるものだと思いますが、締め切り時間が差し迫るほどに、僕らは「どうすれば納期に間に合うか」とシンプルに考えるようになります。

これは自分を追い込むというよりも、脳の習性みたいなものを利用する感じです。

1時間使っても3時間使っても出来栄えは変わらなかった、というのは割とある話だと思います。僕自身も、そういう経験はしていますし、納期が短いほどにシンプルに考えて書くようにしていました。

だからあえてスケジュールを入れる、というのを試してみるといいでしょう。ただし、納期は決して延ばさないこと。クライアントさんには「約束の時間までに納品します」とあらためて伝えた上で、スケジュールを入れて書くようにしてくだされば。

以上、参考になれば幸いです。

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早く書くためにはリサーチ量にこだわる。

早く書くことはある局面においては大事ですが、もっと大事なことは納品に足るものであるかどうか。

例えばクライアントが全くそれを見なかったとしても、WEB上にアップすることでクライアントが望む成果を得られるかどうか。

アクセスを集めるならキーワードの選択はもちろん、本文との整合性は必須ですし、滞在時間を延ばすならば読み手が求めている情報を書くことは必須。

僕はセールスライティングクラスにおいて、早く書くことを勧めていますが、精確に言うとクライアントの求める成果を約束する記事を、早く量を書くことを勧めているわけであり、単に早ければいいというわけではない。

書き続ける限り文章力は増しますからドンドン書き続けて欲しいのですが、お金をもらう立ち位置である以上、それにふさわしい細やかさは欲しいなぁ、と思います。

自分がクライアントなら、そのファイルを受け取るかどうか。

この問いかけってごまかすことはできないと思っていて、自分がそのファイルにお金を払うとなったら、誤字脱字が気になるかもしれませんし、文法のミスが気になるかもしれませんし、句読点の少なさが気になるかもしれません。

そういう視点を持って書けるかどうかが、結局のところ依頼され続けるかどうかを決めるのだと思います。もちろん、そういう箇所は評価せず、文章の独自性を見るクライアントさんもいるでしょう。クライアントに応じて、評価は違う。

だから、早く書けるようになるためにはリサーチ量にこだわる。これはクライアントそのもののリサーチも含めて、ですね。市場と商品のリサーチというと、どこかで聞いたことある話でしょうが、市場は二つあるというと「?」な人もいるでしょう。クライアントさんとクライアントさんのお客さん。どちらも、ライティング担当にとっては市場だと思いますよ。

なぜリサーチ量にこだわるかというと、

自分が好きなこと、夢中になっていることを文章にして書こうと思った場合、自分の言葉で表情豊かに書くことができるでしょうし、

書き言葉は得意でなくとも、話し言葉で語り続けることができるでしょう。自然に語ることができるようになるからです。

ライティングを行う場合、リサーチによってこれに近い状態を作り出すことが求められます。

ダイレクト出版の寺本さんがアプレンティスで、

「興味の湧かない商品なら、コピーを書くことをパスしてもいいですか」

と聞かれた時、

「パスしてもいいですが、リサーチすればするほどその商品に興味が湧くものです」

と返していました。

これには深く頷くところでして、例えば本のセールスレターを書く場合、僕はブレットを書きながらリサーチを進めていました。

最初は興味が湧かず、書き出せるブレットも本に書かれた特徴を書き写すだけ。

しかし、読み進めるうちに興味が湧いてくると、「ああ、こんなベネフィットがこの特徴から生まれてくるな」となり、さらに興味が湧いてきたんですよね。

だからその商品やサービスに夢中になるほどリサーチをする。

そのためには量をこなす必要があるでしょうし、広くリサーチすることも深くリサーチすることも必要でしょう。

結果として早く書けるようになるのであり、早く書くことは目的にならない。

目的はクライアントの要望に応えること。

そのために、アクセスを集め、滞在時間を延ばす記事を書く。セールスレターならば、レジを鳴らすレターを書く。

そのために、それを満たすリサーチなどインプットやライティングなどアウトプットが必要になる。

そのために、量にこだわる。

量は質に転化するとはよく言ったものですが、クライアントが求める結果をもたらすにふさわしい質は、量をこなすことで自然に、そして必然的に得られるのだと思います。

クライアントが支払う報酬に見合う価値を提供できているだろうか。

常に、問いかけて欲しい質問です。

答えは、クライアントが教えてくれるはずですが、その答えが望ましいものであるように、日々鍛錬してほしいなぁ、と思います。

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鳥瞰してみると意外に書けることもある。

現在、香港航空のバンコク行き機内にいます。

驚くべきことに夕方の時間であるのに、香港航空は定刻通りに離陸するようです。これが上海だと、1時間から2時間程度の遅れは当然なのですが。

そんな上海でも午前中は定刻通りに飛び、午後になるに連れて遅れが生じていき、夜になるほどに遅れが累積されていく、そんな感じ。

日本の航空会社ならそんなことはないのかもしれませんが、中国大陸だと夕方以降は遅れて当然というイメージがあったので、香港とはいえびっくりしました。搭乗券に記載されていたとおり、17時20分からの搭乗開始。おそらく、1分の違いもないです。これはすごいな、と。

香港もシンガポールと同じく、外資を招き入れて空港をハブ化している印象がありますが、それを徹底しているというかそんな感じ。香港に入国したことはないのですが、日本の東京みたいに、中心部に出るのにアクセス不便ということはないのでしょう。割と中心部まで距離があるように思えるバンコクでさえ、24時間体制で空港にアクセスできるようになっています。もっとも深夜は、タクシーですが。

タクシー。そういえば日本ほど海外と比べ、また国内の物価と比べて運賃が高い国って僕は今のところ知らない。もしかしたらアメリカがそうだったかもしれませんが・・・どうだろう。思いのほか、ベルギーのアントワープからオランダのスキポール空港までのタクシーが安いと感じたのですが、日本よりもあれはもしかしたら高いのかな・・・。

ただ、食べ物の価格に比べ、日本のタクシーは高い印象があります。いま東京の初乗りが700円台でしたっけ。バンコクだと円換算で100円程度で上海だと200円程度。一概に比べられませんが、リーズナブルな麺類を食べるとすると東京だと400円から500円、バンコクだと円換算で100円程度、上海だと120円程度。こう見てみると初乗り運賃イコール麺類の価格がほぼ同等。日本ではタクシー運賃のほうが高い(上海もタクシーのほうが高いですが、割とポピュラーな牛肉湯麺、まぁ汁そばですね、それだとタクシー運賃同等です)。いわゆる先進国のタクシー運賃が、気になるところです。

僕がよく行く国の事情がこんな感じなので、タクシー運転手の収入が低いと(それだって何に比べて低いのかわかりませんが)、タクシー運賃の値上げが話題になるたびに、本当にそれって必要なのかな、と思ったものです。特に東京は。

おお、前置きが長過ぎましたが、今18時。なんと予定通りの出発です。1分の違いもない。これは日本以上に、精確なんじゃないかな、と思います。

ところで沖縄香港間の飛行機では、ダンコレのランディングページを加筆していました。購入者向けのプレゼントを加筆する箇所です。

修正依頼があった際は、エライたくさんの修正がありそうに思えたものの、自分を含めて鳥瞰し、客観的に全体と修正箇所を眺められるようになると、結構あっさりと修正できることが多いもの。

今回もその経験があたり、機内にいる間、多分時間的には1時間もライティングしていないと思いますが、加筆を終了。地上にいる時と違い、インターネットは使えませんでしたし、メールもチャットワークもFacebookもありませんでしたから、集中して書き上げることができました。

なんだかんだ理由をつけて、メールチェックなどをすることが増えていますが、改めてライティングそのものに集中するならば情報を遮断した方がいい。そんな気づきを得られたのは、収穫だなぁ、と。

書けない場合、インプット不足の場合もよくありますが、単に集中して書く環境を用意していないだけだったりすることもまた多いです。

もしライティングが進まないな、と気づいた時は、情報から遮断された環境をつくりだすことをやってみるといいでしょう。

おそらくですが、思いのほかあっさりと、ライティングできると思いますし、捗りますので。

P.S.
香港の空港内おもちゃ売り場で長男次男にプレゼントを購入。長男はレゴブロックの腕時計で次男はトミカの赤いスポーツカーと消防車。自分が子どもの時は海外で購入したプレゼントをもらうなんてことは想像もしなかったですが、長男次男にとってはそれが当たり前なのだろうなぁ、と。むしろバンコクで一緒に何かを買いに行ったほうがいいのかもな、と思ったりしています。

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息が合ってきてうれしいです。

あうんの呼吸とはよく言ったもので、メールとかチャットワークでのやり取りだけなんだけれども、我が意を得たりというメッセージが届いたりすると、うれしくなる。

野球をやっていた頃、父に教わったのは、ピッチャーと呼吸を合わせなさい、というもの。割と打つ方だったのですが、それは呼吸を合わせていたことが原因なのかもしれません。

バッターボックスに入る前、ピッチャーを観察して「あ、いま吸って・・・吐いた」と確認しつつ、バッターボックスに入って同じように吸って吐く。

するとピッチャーが投げるタイミングも伝わってくるのでリラックスしてボールを待てるようになる。

後は来た球を打つだけ、という感じで打っていました。まぁ、ストレートかカーブかまでは呼吸を合わせられなかったので、ストレートのタイミングで待ってカーブはおっつけて打つ。久々に、野球を思い出しました。

不思議なもので、野球の場合は敵であるピッチャーでも、呼吸を合わせて打たせてもらうとなんか親近感が湧くんですよね。ほら打ったでしょ、そうだね打たれたね、みたいな。

一塁ベースとか二塁ベースからピッチャーに対して微笑みかける。ある意味イヤらしいバッターだったのかなぁ、と。ついでに、サイン読むのも、得意だったんですよね。読むというより、キャッチャーのサインが見えたら分析するだけですが。今は、やってはいけないそうですけど。

呼吸が合うと、距離感が近くなるというか、そういううれしさを僕は感じます。

人間同士、地面とか空間を通じて意思疎通しあっているというか。そういうものが感じにくくなっているような今だからこそ、息が合ってきてうれしいです、と言われるとうれしくなる。

人に何かを伝える時、アウトプットするときは論理的に根拠をもって実存を伝えたいと思うからこそ、インプットを学ぶわけですが、僕自身が一人でどこかにいる時には、人の表情とか放つ雰囲気とか、木々や草花のざわめきやゆらぎとか、風がもたらす感じとかね、そういうものを胸を開く・・・肋骨を開いてそこから目一杯取り込むようにしています。

もっというと、僕が今いる新宿の三井ビルとか橋梁部とか、そういう一見無機質なものからも表情をもらうというか、波をもらうというか。

最近はダンコレのコピーを書いているので、堂々と人を凝視する機会でもありますし、実際人のファッションは面白いなぁ、と。着ているものからもいい雰囲気が伝わってくるなぁ、とか。

妻と話したことがないから、この感覚についてはわかりませんが、例えば光に対して強い目を持っているのは日本人だと聞いたことがあります。

太陽の光に眩しいは眩しいけれども、別にサングラスを掛けるほどではない、という意味での強い目です。もちろん個人差はありますが。

妻と一緒にいると、どうもタイの方々は光に対してそんなに強いわけではないっぽい。

光に強いということは、様々な色彩を感じられる目を持っているとも言えるのかなぁ、と。

日本の四季が育ててくれた目なんじゃなかな、と私見たっぷりに思ったり。

あうんの呼吸とか以心伝心とかもそうですが、息子たちにはこういう感覚を伝えていきたいなぁ、と。

そう思った今日の午前、新宿にて。

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経験が言葉をつくり、言葉が現実をつくる。

「どうすればこのセールスコピーでレジを鳴らすことができるか?」

こう考える時、おそらく人は過去の実績や体験、勉強したことを思い出して「数字を入れることでリアリティを増せば・・・」とか、「オファーを強くすれば・・・」とか、「売れたセールスレターをスワイプファイルにすれば・・・」とか考えると思います。

コア・バリューや在り方、どう生きたいのかを書き出す時も同様で、過去の体験とか憧れる生き方をする人を思い出しながら行うんじゃないかな、と。

現在地点を知るという意味でこのアプローチ方法は必要だと考えているし、すでに望む生き方は知っている、脳の中に在る、という立ち位置からすると、過去にできたことを1,000個書きだすとかのワークはいい方法だよな、と考えています。

しかし一方で、現状を変えたいと考えている自分がいるのだとしたら、過去を振り返るだけだとそこに答えはないかもしれない。そんな風にも考えています。

なぜなら、「どう生きたいか?」を考える時、出てくる言葉はすべて「経験した言葉」だから。

経験した言葉とはこの場合、聞いたことがある言葉、書いたことがある言葉、見たことがある言葉、話したことがある言葉、思考したことがある言葉、カンタンにいうと、自分の引き出しから取り出せることができる言葉。

書き出す時も考える時も、出てくる言葉というのはすべて、実は自分が過去に経験した言葉なんだと僕は考えています。

なるほど、過去に経験したことを思い出したり書き出したりすることはできる。

しかし現状を変化させたいと考えた時、「どう生きたいのか?」を書き出したり考えたりすることができるのだろうか?

なぜなら、自分の引き出しの中にその言葉がないかもしれないから。

引き出しの中にフォークやスプーンがないのに、それらを取り出すことはできない。

自分がどう生きたいのかを書き出す時に、引き出しにそれを適切に表現する言葉がなければ、それを書き出すことはできない。

だからこそ、インプットは大事、ということになるんですけど。経験は大事、人生経験は大事、ともいえます。インプットがアウトプットの寮も質も決めるのです。

僕らの今は、ある考え方によっては降って湧いてきたようなものではない。過去からの連続した運動によって、今が在る。未来も同じでしょう。今の連続によって、未来がつくられていく。

自分で選択をする時、過去の経験から「清水寺に行こう」とか「天龍寺に行こう」とか決めますよね。これはガイドブックを見ながらの選択でも同じです。ある言葉を選択することによって、僕らは現実をつくっていく。

経験が言葉をつくり、言葉が現実をつくる。

なんというか、自分の中に言葉がなければ、変化した現実、未来などつくりだせないんじゃないか、と思うわけで。

だからこそ、自分のエゴを破り捨てて、人と出会ってその人が経験したことを何でも体験するって大事だと僕は考える。選択肢が増えるたびに両極を体験し、経験を増やす。自分という常識を飛び越えた経験を、他者の話をそのまま聞くことで増やしていく。

この本いいですよ、と勧められたらそれを読んでみるとか、この映画いいですよ、と勧められたらそれを読んでみるとか、ですね。

自分が知っている言葉で現実がつくられるわけですから、「どう生きたいのか?」を書き出すならば、まずは知っている言葉を増やすことから。インプットとアウトプットは車の両輪。

ちなみに人の話を聞くときのコツは、思考と思考のハザマに入ること。すなわち、自分の経験を捨てることです。自分の経験と自分の言葉を捨てること。

その人が言いたいように聞く。聞きたいように聞くのではなく。

明日はアートに興味を持ったことについて。これは、僕が言葉の通じない場所に一人で旅をするアプローチと似ていることに気づきました。

では、今日はこのへんで。

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発想は移動距離に比例する。

島田さんの「ワイルドサイドを歩こうよ」ブログで、「発想は移動距離に比例する」と高城さんが話されていたことを聞き、その後アパホテルのアメニティに印字された言葉でも「発想は移動距離に比例する」と見ました。

そういえばそうかもな、と思い当たるのが、セールスライティングスタートアップガイド第1章。これを書いたのは2014年12月の上海でしたし、他にもLicense to beatの動画撮影やメール配信は、沖縄とバンコク、そして上海などから行っていましたから、確かに発送は移動距離に比例するのかもな、と。

ここ3日間は実家で過ごしているのですが、朝から晩まで机に向かっているとブログを書き出すのにものっそりのっそりですし、書く内容はあるものの外に出ないから写真がない、ということで、なんかブログを更新するのも普段通りにはいかないのです。

「発想は移動距離に比例する」

これの是非は僕の感覚からすると是でありますが、個人的には言葉の通じない場所に行くと、より顕著になる感があります。

言葉が世界をつくりだすこともそうだろうし、逆に言葉がなくたって世界は在る。言葉は大切だけれども、それほど大切ではなかったりもする。

そんなふうに考える僕は、言葉が通じない世界での経験をとても気に入っていて、なぜなら感じたこと、感じる雰囲気がそれそのものだから。

言葉が通じる世界においては、余計なことを言ってしまうもの。たとえば、喉が渇いた時に烏龍茶を仲の良い友人からごちそうになった時、「まぁ、これでガマンしといてやるかな」とかウケ狙いで話したり、妹が職場で活躍していると聞くと、「まぁ、オレの妹だからね」とか鼻高々で話したり。

時と場合によってはこれらの言葉が場を和ませたりすることもありますが、一方で場の雰囲気を損ねてしまうことも在る。なんというか、アソビのない言葉はどうかと思いますが、文脈が共有されていない同士の会話である場合、仲がいい間柄であってもこじれてしまうこともある。状況により、人間の感情の状態により、どちらにでも解釈されてしまうのが、言葉の面白さであり、怖いなぁ、と思うところでもあるのです。

言葉なら、なんとでも言えてしまうといいますが、これはまさにそうだなぁ、と。

しかし言葉が通じない世界の場合、相手が浮かべる表情や身振り手振りなどの仕草、発せられる雰囲気がある意味すべてです。

うまくできているなと思うのは、言葉が通じなくても表情と仕草、雰囲気でコミュニケーションが成立すること。

これを意思疎通と言ってはわかりませんが、大方のことはわかる。というか、感じることができる。そうでなかったら、僕がロドス島へ向かう船でアルバニア人のおじいちゃんと船上で火をつける方法とかギリシャ語の練習とか、サフランボルで少年たちにサッカーをしようと誘われ、チャイハネでトルコ式チャイを飲みながら、エルトゥールル号事件とイラン・イラク戦争を学ぶなんてこともなかったでしょうから(エルトゥールル号事件とイラン・イラク戦争は、確か碑文と筆談で教えてもらったので、言葉も使っていますが)。

なんというか、「考えても仕方がない」状態になるんですよね。そうすると、委ねようというふうになる。

こうなると我が外れた状態になるから、こう書くのは照れますが「心と心のキャッチボール」が成立するようになる。イノックさんの言葉を借りると、「魂の共鳴」。まぁこれは、誰とでもそうなるわけではないですけど。

完全に言葉でのコミュニケーションをしていない、というわけはないですが、

タイやカンボジア、ギリシャやトルコ、オーストリアやスイス、ドイツやベルギーで僕が「ココには行かないほうがいい」と言われる場所でも安全に過ごすことができたのは、感覚に委ねることができていたからだと思うし、だからこそ本当に危ないと感じるところには行かなかったんだと思います。感度が高くなっていた、というかね。

言葉をほうっておくことができると、経験や常識からくる「余計なこと」を考えないようになるし、話さないようになる。

僕は常々、「人は思考する言葉、発せられる言葉通りの人になる」と考えていて、余計なことを言えば言うほど、ウソっぽい人間になっていくんだと感じています。自信過剰というか、考え過ぎというか、内容が伴わないというか、外見だけ、というか。

「発想は移動距離に比例する」

この言葉に僕の解釈を加えるとすると、「発想は、言葉の通じない世界における移動距離に比例する」、のように言い換えることができます。

もちろん、これだけではないでしょうし、日本国内であっても出雲大社に行ったり沖縄に行ったり萩に行ったり網走に行ったり、大神神社に行ったり智頭に行ったりタルマーリーに行ったりすることで、アイデアが湧いてきますし感覚が広がっていくのを感じますから、単純に「発想は移動距離に比例する」にもそのとおりだと考えています。

インプットなんですよね。僕の解釈では、「発想は移動距離に比例する」というのは。

インプットの土壌をつくる、というか。

License to beatの自分という器クラスでやるのは、これ、ということで。

インプットあってのアウトプット。インプットの土壌あっての、アウトプット。

循環させるイメージでいきましょう。

P.S.
マジメな話、セールスコピーのアイデアは移動距離に比例すると思いますし、ライティングというアウトプットはインプットありきです。人生経験が、本当にモノを言うのです。そして人生経験を豊かにする条件のひとつが、人への興味なんだと思いますよ。

P.P.S.
明日から、バンコク。神奈川に戻ってくるのは、月末かな・・・。

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