可能性を開けておく(抽象度のコントロール)。

神戸の雰囲気が思いのほか気に入りまして、その理由はなんだと考えた時、目の前には海があり、背後には山々が連なる、というのがそうなのかな、とふと思いました。

古さと新しさが混ざりあうというか、そういう感じもまたいいなぁ、と。

今日は先程までクレイジーパパの集いがありまして、その後はスーパーコンピューター京の見学に。

キラキラと淡々と担当者さんに質問を繰り出す伊藤カンちゃんが頼もしいと感じたひとときでした。

現在、ホテルに戻ってきまして、これを書いています。

さて、昨日話した抽象度のコントロール。

これってコピーを書くときとかには割と聞く言葉かもしれませんし、一方ではじめて聞いたという方もいるかと思いますが、

ここでは抽象度って何、ということには触れず、コミュニケーションをするためには抽象度のコントロールが役に立ちそうです、という話をしようと思います。

僕は抽象度のコントロールをする利点というのは、他者や自分とのコミュニケーションを円滑にすることにもあると考えています。

コミュニケーションを円滑にするの反対は、コミュニケーションが円滑ではない、すなわち、意思疎通ができていない状態を指すと思います。

どんな時に意思疎通ができていないと感じるかというと、たとえば、「これは僕の価値観に合わないから結構です」などと言われた場合。

相対主義になっている場合ですね。僕は僕、あなたはあなた。お互いに干渉なし、みたいな。

わかりやすい例があればいいな、と思うのですが、たとえば「フルオーダーのスーツを購入すること」に対して、「それは僕の価値観に合わないから結構です」と言われたとします。

オーダースーツに対して抱いているイメージが、高価とか完成まで時間がかかるとか、そういうものだとその人が考えており、服装にそこまでお金も時間もかけたくないと考えているならば、確かに「価値観に合わない」かもしれません。

しかし、この人が例えば、「持ち物は長く使えるものを好む」ような性質、コストパフォーマンスに価値があると考えているのだとしたら、

むしろフルオーダーのスーツを購入することに興味をもつかもしれません。メンテナンスをし続ければ、10年でも20年でも着ることができると聞きますし、そう考えればそれほど高いわけではない(私見です)。

価値観というのは抽象度を変えることにより変化する側面もあると考えておりまして、

服装にお金も時間もかけない、というところだけ着目してしまうと高価であるだけでフルオーダーのスーツを購入することは「価値観に合わない」となるわけですが、

コストパフォーマンス重視、というところに気づくことができれば、メンテナンスすれば長持ちすることを考慮すると、むしろフルオーダーのスーツっていいんじゃない、となる。

つまり、ある抽象度、視点からするとフルオーダーなんてもってのほか、であるのだけれども、ある抽象度、視点からするとフルオーダーってお得だよね、となるわけです。

うーん、たとえとしてこれがいいかどうかはわからないのですが・・・ちょっと眠くなってきたので、このへんで。

明日は、大阪から更新しますね。

セールスライティングスタートアップガイドの無料入手はココから↓




原風景。

新興住宅地としての再開発が進められている眺めもそう。周囲を見渡す限り視界を遮るような建造物はなく、田んぼがあり畑があり用水路があり、遥か彼方には男体山などの山々が雪化粧をしてたたずむ景色もそう。

どこかで見たことがあるなぁと、島田さんが通った小学校や中学校の通学路を歩きながらふと思ったのは、僕自身が通った小学校や中学校の景色に似ているということ。

もちろん、そっくりそのまま似ているわけではないけれど、自然に囲まれて幼少期から少年期を過ごしたというのは似ているなぁと思い、

ああ、これが時折感じる価値観の近さとかそういう親近感を覚える理由なのかもしれないな、とも感じました。

先日参加した木坂さんの、確か西洋思想史クラスでの話だったと思いますが、人には本来、共感する力があると。ではなぜ共感するのかといえば、「似ている」「近さ」を感じるから。

抽象度をうんと上げてみれば、「人」というくくりでも似ているとなるので、人は誰もが共感し合えるという感じになるのかなと僕は思いましたが、幼少期を過ごした市町村が同じであったり、学校が同じであったりすると、「え!ホント!?」と思わず身を乗り出してしまうことを思い出してみれば、確かに「似ている」とか「近さ」とかは共感を呼び起こすものなのだと思います。

3月3日の島田さんグレートジャーニーに参加した皆さんには怪訝な目で見られていたように思いますが、僕は最初この観光地でもない場所に参加者が集い、通学路を歩いたりすることの面白さというか、老夫婦が目を丸くして車から僕らを眺めたりすることに思わず吹き出してしまいまして、

なかなかユニークなことをやっているなぁ、と客観的に捉えていたわけですが。

しかしやはりというかそうだよねというか、一緒に歩いて見ると、たとえそれが島田さんの通学路であっても、再開発が進められている生家付近であっても、自分ごととして捉え、自分はどうだったけな、と自然と思い出している自分がいました。

参加した誰かが言っていたように思いますが、言葉にならないけれど、価値がある。まさに、それはそうそう、という感じです。

より良く人生を歩むには人とのコミュニケーション、自分とのコミュニケーションが大切だとは誰もが頷くところだと思いますが、同じ釜の飯を食うじゃないですけど、同じ空間と体験を共有するということがあってこそ、言葉が生きる。

言葉の先にその人を見る。言葉の先に自分自身を見る。

これがコミュニケーションを円滑にして、僕らを先にすすめる秘密なんじゃないかと感じた一日でした。

次回は、茨城かな。僕自身は幼少期を過ごした東京で行う予定。

良い週末を。

セールスライティングスタートアップガイドの無料入手はココから↓




長男次男のケンカに母がしかめっ面。

現在、群馬県のみなかみ町に来ています。

1月1日から3日にスキーへ行く予定だったのですが、まさかのスタッドレスタイヤ装着レンタカーが満車。

これは人口雪のスキー場を探すかな、と思っていたら、妹が車を使っていいよと言ってきたので、急遽本日出発を決めました。

降雪情報を見ると群馬県の川場スキー場が近場で積もっているということで、どうも子ども用のスノーパークもあるみたいだしここがいいかな、と宿探し。

しかし宿がない・・・ので、1時間圏内の場所で一泊してから川場スキー場へいこう、とあらためました。

30日には木坂さんのセミナーがあるので29日中には帰る必要があります。だから29日には早起きしてそり遊びして、スキーもできそうならスキーもやって、という感じにて。

それで見つけたのが、みなかみ町の宿。

この時期に空室があるから、エラく高いか、エラく人気がない家のどちらかかなと考えていたところ、思いのほかいい感じの宿でして、

温泉をのぞいてきましたが、結構人気のある場所みたいです。

露天風呂も白い湯気と雪があって、なかなか風情がある。

そんななかで城ドラやったらいい気分だろうな・・・と想像力はたくましくなり、しかし現実は長男次男がごはんを食べないので、このあたり一緒に過ごしていかないとなぁ、と反省したり。

本当はまだ実家にいて、のんびりする予定だったんですけどね。

急遽実家を出てきたのは、スキーをするなら28日と29日だということの他に、長男次男が家にいるとケンカして騒々しいので、

母がなんだかしかめっ面していたからなんですよね。

今日は僕も朝はレビューしたり銀行を訪問する準備をしたりと慌ただしかったので眉間に皺を寄せていたと思いますし、母や妻への配慮が足りなかったかもしれません。

いずれにしても長男次男は家を走り回っているので、これは外に連れ出して、今日は母に休んでもらったほうがいいだろうという気持ちのほうが、行動理由になっていたのかもしれません。

温泉に行くと告げたとき、妻がシンガポールのお姉さんも一緒に行くって、といった時はドキリとしましたが、どうもタイ人ドライバーサービスの車がいっぱいだったみたいで行けないことになりまして、

妻には恐縮ながら、ホッとした次第。

ディズニーランドで寒い寒い言っていたのに、スキー場に来たらどうなるかは想像に難くありません。

そういう意味でも、年末年始で車がいっぱいでよかったなぁ、と思いました。

しかし言葉も通じないなかで、母も父もよく面倒見てくれてありがたい限り。

日本人同士ならばもっとうまくやるのかなぁ、と想像してみるものの、実際のところ言葉が通じるかどうかはそう影響を及ぼすものではないのかもしれません。

相手を観察して、相手が求めていることを判断する。

やっぱりコミュニケーションは、聴くこととか見ることからかなぁ、というわけで、今日はそろそろ眠ります。

おやすみなさいー。

セールスライティングスタートアップガイドの無料入手はココから↓




雨が降って気持ちが落ち着く。

現在、実家最寄り駅の橋本駅にあるスターバックスにおりまして、この記事を書いています。

レンタカーを返却しなければと早起きしたものの、なぜだか再び眠っておりまして・・・再度起きてなんとか返却、という感じです。

今日は木坂さんのセミナーに参加するため、一人で行動。

実家の両親に妻と長男次男をよろしくーとお願いし、一人で行動できることに感謝です。

ちょうど雨が降っておりまして、そのせいか気温も高め、今日はジャケットひとつでも十分な暖かさという環境もあるのか、とても落ち着いた気持ちになっています。

思えば昨日までのタイから来た親族たちと一緒に過ごす時間というのは、エラくはやい時間軸で動いていたのかもしれないなぁ、と思いまして、

はるか遠くの出来事のようにも思えます。

昨晩はプロジェクトのミーティングをスカイプで行っていたのですが、

「ブログを読みました、僕だったら2回目あたりで逃げ出していると思います」

という感想をもらいまして(笑)、

いや、実のところ僕は100回程度は感情的に疾走しそうだったのですが、これも心の鍛錬であると自分を俯瞰してみることで、その度に深呼吸し、気持ちを鎮めることで親族たちはどうすればうれしくなるのか、このコミュニケーションを帰結させるためにはどういう気持ちになればいいのかを考え、行動してきた次第です。

とはいっても僕の場合、感情が顔にシュッと出る方でして、妻からも母からも、アンタの眉間の皺なんとかして、と言われているのがその証拠なのですが、

大魔神の顔が変化するかのように、憤怒から微笑への変遷が度々行われていたかもしれません。

それを感じる度に、ゆとりを持つことって大切だなぁ、とか余裕を持つにはもっと動かないと行けないなぁ、とか考える日々でもありました。

先ほど妻からLINEにメッセージが入り、お姉さんと一緒に行動してた日本在住の親族が怒ってばかりいるから、お姉さんたちは今東京タワーのそばにいるんだって、とのこと。

ああ、これは妻をどう東京タワーに送り届けようかと即座に考えていた自分に気づきまして、しかし今日はこのままスルーさせていただこうかと思う次第です。

ワイルドサイド部の中平さんからアドバイスを受けまして、あ、中平さんの場合、頼みもしないのに勝手に陰陽五行の分析結果を伝えてくれるという、

ある意味振り向けば奴がいた的な、え、いつの間にオレは鉄砲を突きつけられていたのだろうという、

ああ、そうそう、まさに「Gun to the head」な状況をつくりだすことに長けた人物なんですけど、

財布についてのアドバイスを貰ったんですね。

それでその言いつけを素直に聞きまして、これでもかという程度に長財布にお札を入れまして、一晩過ごしたところ、

厳密には1週間ほどになるわけですが、ああ、こういうことかと感じたことがありました。

これは僕の場合かもしれませんが、財布にたくさんのお金が入っていると、これが余裕を生む側面もあるんだな、ということです。

もちろん、これだけが余裕を生む要因ではなく、他にもいろいろありますが(僕の場合は、例えば絶望とか)、未来預金のことを思い出してみても、お金を持っているというイメージは余裕をもたらし、落ち着きをもたらしてくれます(私見です)。

天気も雨ということで、これが不思議と落ち着かせてくれて、まあ慌ててもどうにもならないからね、という気持ちにさせてくれます。

まさに恵みの雨を享受できた次第ですが、何がいいたいのかというと、余裕が生まれるように行動するといいなぁ、ということで。

木坂さんのセミナーに行ってきます。

セールスライティングスタートアップガイドの無料入手はココから↓




カオス感は和らぐも、やはりバンコクは混沌さが似合う。

昨晩は羽田に到着した後、スキーに誘ってくださった学校法人の先生方と野口さんにお礼を伝え、その後は銀座へ。

小樽で電話して予約しておいた革製品を受け取るついでに、何か食べるものはありますかと聞いたところカレーがあるというので、

小樽で食べたくても食べられなかったカレー・・・ゴロッとしたマッシュルーム入りのカレーを頂きまして、中平さんオススメのモノを手にしました。

そのお店のオーナーと、ちょうど来店された常連さんぽいナカハラさんに伝えたのですが、僕はお酒が飲めないということもあってこれまでバーにいくことはなかったのですけれども、

お酒が飲めないから行かないというよりは、日本語での会話を成立させなければならないということがプレッシャーでストレスだったんですよね、実のところ。

しかし、僕にとって「小さな声の人は有意義な人である」という僕の考えは、どこでも同じだなぁと思う次第でして、オーナーもナカハラさんも声そのものが小さいわけではないですが、僕が行かない場所にいるという意味では、声は小さいんですよね。

自分の経験の外に出ることが自分の器を広げていく。

そんな経験をまた昨晩も銀座のお店でできたことを、うれしく思いました。

その後は羽田に戻り、今度は国際線ターミナルへ。

チェックインを済ませた後はシャワーを浴びに移動。

シャワー後はセールスライティングクラスでいただいていた質問に回答し、搭乗口へ。

6時間の飛行時間は割とあっという間に感じましたが、寝不足のせいか身体のむくみが気になるようなひと時でした。

家に帰ったらタイ式マッサージでもんでもらおうかな・・・。

それで現在、バンコクのスワンナプーム空港にいます。

昨日のお店でオーナーと話したのですが、ドンムアン空港に比べるとカオス感がなくなりましたが、やっぱりバンコクは混沌としているし、その混沌さがいい、ということを先ほどふと思いました。

一人の中華系と思いきやタイの女性がコーヒーを飲んでおりまして、大柄な白人男性がやってきたかと思うと満面の笑みで抱擁し、接吻です。

一度のキスでは十分ではないようで、その後もくっついてはキス、を楽しんでおりました。

そうそう、ドンムアン空港でもそんな男女間コミュニケーションとか、異国感コミュニケーションとか、ギラギラ感とか、あったよな、ということを思い出しつつ、

最近感じたのは六本木がそれに近い雰囲気かもしれないな、ということなんですよね。

人前では礼節をわきまえなければならないというのはもちろんそうですし、そうでありたいと思うのですが、一方で、ちょっとくだけた楽しみ方というか、そういうものが混じり合った空間に僕は、魅力を感じることも事実。

異なる人々が集うからいいんだよね、と思いますし、そんな異なる人々とどうコミュニケーションをとっていくかということもまた、僕は大切なことだったりします。

ひとりきりで人は楽しめるわけでは、ないと思いますから。

土門さんがいうところの「コミュニケーションでメシを食っている」僕にとって、清濁入り混じったバンコクの雰囲気には魅了される要素がある。

混沌のなかでどうコミュニケーションをとっていくか。

人とどこまでも寄り添うことができた時、それはきっと成立するのだろうけれども、なかなかそれができないところに挑戦したくなるんだよなぁ、と思いつつ、

そろそろ家に帰ります。

明日は香港から更新しますね。

セールスライティングスタートアップガイドの無料入手はココから↓




コミュニケーションのために、と業務の棚卸しを考えた。

朝食を食べるつもりはなかったのですが(昨日食べたものでお腹がいっぱいでして・・・)、コーヒーでも飲もうとホテルのレストランへ。

せっかくなのでと中華麺やヨーグルトなどをいただいた後、スタッフさんに「コーヒーのテイクアウトはできますか」と聞くと、できますよ、とのことで、

やっぱり聞いてみるって大切だよな、と思った次第です。

聞き逃したらどうしようとか、聴き取れなかったらどうしようとか考えるあまり、

基本的に僕は自分でかってに解釈してしまう傾向にあったのですが、聞いてみないとわからない、聞いてみてどう判断するかは相手次第ということに気づいてからは、ビビったらゴーではないですが、よく聞くようにしています。

ゲーリー・ハルバートとテッド・ニコラスのASKも同様ですね。

自分で解釈することの大切さはもちろんあるかと思いますが、人との関係性において成立する場所であれば、自分一人で解釈するよりも、相手とのコミュニケーションから解釈することって大切なんだろうな、とあらためて思いました。

部屋に帰ると僕が借りている部屋のドアが開いておりまして、やはりというか中ではハウスキーパーさんが清掃中。

中国語で喋るも僕が中国語を理解しないことに気づき、しどろもどろしておりましたが、僕は身振り手振りでこっちにいるから、掃除をお願いします、と伝えると、

笑顔になって清掃が始まりました。

僕が朝食に出かけたことをどう知ったのか、それが謎なところではありますが、部屋に一人きりではない時間もまたいいものだなぁ、オレはもしかしたら寂しがりなやなのかもしれないなぁ、と思ったり。

先ほど、週刊オノタカマサなるLicense to beatの2つのクラスで更新しているエッセイというかコラムというか、そんな感じのものを投稿しました。

その時に書く内容は、参加する皆さんへのメッセージであったり、自分自身が置かれた状況を表すものだったりします。

現在、法人口座設立をはじめとして、自分でやる仕事、自分でやらなくてもいい仕事、そもそもやらなくていい仕事、という感じで区分けを進めているのですが、

これまで全て自分でやってきたからこそ区分けができるんだろうな、と思えたことには自己満足しつつ、時間を使うべきところで時間を使うようにしないとならないな、と考えるようになったことは、ビーコンのサービスに自己投資してくださるメンバーさんに感謝するとともに、反省もまたしているところであります。

最近思うのは、というか至る所で話しているのはコミュニケーションの成立の難しさでして、

この場合コミュニケーションの成立の難しさというのは、意図していない意味で言葉をとらえられてしまうことを指しているのですが、

どこにもそのような意味で使っていることがうかがえないのにもかかわらず、そういうふうに解釈されてしまう怖さを感じています。

想像するに、言葉そのものよりも感情的な何かがあるからこそ、拡大解釈されているのだろうな、と思いますが、

これは裏返すと僕自身の提供する価値が至らないところもあるからではないか、と思う次第です。

コミュニケーションを相互に成立させるためにこそ、現在行っている業務の棚卸し的なことは必要なことだと考えており、

それを今回は上海で、マスタープラン書き出しとともにやっています。

上海では屋台の焼きそば屋さんが姿を消し、物価も上昇して日本人の姿が少なくなったような気がするなど、7年前から今日まで、随分変化していると感じますが、

1年に一度の振り返りは変わらずやっていく意味を感じつつ、今日はこのへんで。

セールスライティングスタートアップガイドの無料入手はココから↓




人は見たいものしか見ない。

現在、浅草の蔵前にいます。

浅草と言っても目の前に雷門があるわけでも浅草寺があるわけでもなく、住所に浅草がよく登場するのでこのへんは浅草なのだろうと推測している次第です。

明日は両国で木坂さんの西洋思想史クラスと(歴史学だったかな・・・)、その前にはケイコさんと島田さんとでプロジェクトのミーティングがあるため、

また朝にはスカイプでのセッションを予定していたため(ご自愛くださいー)、前乗りして今ホテルにいます。

浅草と推測していることもそうですが、人は一般的に、見たいものしか見ていないと常々感じています。

僕がよく「9割聴こえていないのです」というと、島田さんが

「小野さん、普通に聴こえる人でも聴こえていませんから、大丈夫です」

と冗談のような話をするのですが、

これは言い得て妙だなぁ、とつくづく思います。

例えばですが、僕が浅草にいますというと、僕が上に書いたように「浅草寺にいるんだな」とか「雷門にいるんだな」とか、「天ぷらでも食べているんだな」と人は想像するかもしれません。

想像する内容はなんでもいいのですが、多かれ少なかれ、僕が「浅草にいます」というと、これを読んだ人は独自の浅草を思い浮かべている、ということです。

これ、当たり前といえば当たり前ですが、コミュニケーションを行うにあたっては怖いなぁ、と思うことでもありまして、

ある言葉を発した瞬間に、意図していない意味合いでそれを受け取られてしまう可能性があるからです。

これは情報発信する側の力量によるところもあるのですが、例えば僕の発するメッセージをシロと受け取る人もいればクロと受け取る人もいる。

この違いはどこから来るのか。

私見ですが、ひとつは感情的なもの、僕に対する感情的な気持ちに左右される感があります。

好意的ならば好意的に見るし、好意的でないならばそのように見る。

そして言葉の定義。

これは一緒にいる時間の長さ、共有する経験の数により、文脈が共有できるようにもなりますので、僕の話すように聴き取れるようになってくるようですし、逆もまた然り。

このブログを初めて読む人は「男は女のATMであれ」を「なんてマッチョなやつだ」と読むかもしれませんし、ブログを読んで長い人は「まぁ、まっとうだよね」と読むかもしれません。

いずれにしてもわかるのは、人は自分の見たいようにみるものだし、それは訓練でなんとかなるのだけれども、なかなかそれは骨が折れるよなぁ、ということ。

よく「我を外したほうがいいですよ」といいますが、これは逆にいうと、いろんな色メガネを付けたほうがいいですよ、ということでもある。

自分を相対化してみるというのは、コミュニケーションの上ではもちろん、コピーを書くときにも大切なんだよなぁ、と思いつつ、

それもそうだけれども、自分の伝える力というものを鍛えないといけないなぁ、と思う今日このごろです。

セールスライティングスタートアップガイドの無料入手はココから↓