『Wake Up, Now!』を写経して思い出した、ある理不尽さの解決策。

『Wake Up, Now!』を写経しています。木坂さんが2014年に書いたレターです。

つい先日は、『Stay Gold』のレターも入手することができましたので、次の写経テーマも決まりました。こう書いてみると、もはやセールスレターを書くための写経というより “『Wake Up, Now!』を写経して思い出した、ある理不尽さの解決策。” の続きを読む

伝道師。

「時速60マイルで走るロールスロイスの中で、一番大きい音は電子時計の音」

シェムリアップのメインロードは基本片側2車線で、あるいは片側1車線しか無くともアンコールワットの本堂よりも高い建物を建ててはダメなことに関係するのか、それとも道路建設の設計が良かったのか、とても見晴らしがいいので時速60マイル程度の速度を、昨日は体感できていたと思います。

それで今朝起きてふと思ったのですが、デイヴィッド・オグルヴィはロールスロイスの車内でこれを体感していたんだろうな、ということ。

このコピーは好きな人には好きというか、興味をそそられるものになっていると思いますが、例えば僕なら、ここから得られるベネフィットというのは、

*優雅さ
*重厚感
*安全性
*他では味わえない感
*排他性

などなど、特別感とか自分が何者かになったかのような、そんなキーワードで表現できそうです。

他にも、あのオグルヴィのコピーの世界を体験できた、なんていうのもベネフィットになりますね。これらのベネフィットから二次的・三次的・四次的・五次的・・・ベネフィットへと展開していく。

僕ならどのようにすればこんなパワフルで上品なコピーを書けるだろうか、と考えるのであれば、いったいなぜオグルヴィは未だに評されるコピーを書けたのだろうか、と考えてみるとその方法が見えてくる。

一つ言えるのは、実際にそれを体験していること。

そしてこれは人それぞれだと思いますが、その商品やサービスに惚れ込むこと。

最近、これは多くの人が実行していないけれど、ライティングやプロモーションで世の中に価値を提供するために必要なこととして、

その商品やサービスに惚れ込み、それらを人に勧めたくなること

・・・があるんじゃないか、と考えるようになりました。

ライティングの技術以前に、そもそもその商品やサービスは人に伝えたくなるものなのか、人に勧めたくなるものなのか、実際に勧めているのか。

その昔、アプレンティスで寺本さんが、「リサーチをすることで、商品やサービスを好きになるものです」と言っていましたが、これはそのとおりだと思いますし、一つ補足すると、自分でその商品やサービスを体験することで、人に勧めたくなるものだとも思います。

もちろんどうしても、よろしくない商品やサービスというのはあるのでしょうから、そういったものは仕事として引き受けないことも、独立起業してくらしをつくっていくためには必要でしょう。

しかしそれがよろしくないと判断するには?やはり体験が必要です。根拠をもって語れるだけの、体験が。

ライティングやプロモーション、プロデュースの役割を担う僕らはたぶん、伝道師のような存在なんだと思います。

たとえば僕は最近、鈴木さんのファンクショナルトレーニングを出会った人に勧めているわけですが、必要としている人に勧めたくなるのは、僕自身がトレーニングを体験し、通いたくなり、実際に通っているからなんですよね。

ユニクロの柳井さんが勧める『プロフェッショナルマネジャー』を著した実業家であるハロルド・ジェニーンは次のようなことを言っています。

「報酬の得方は2つある。1つは現金、もう1つは経験。先に経験という報酬を得ること。そうすれば現金は、あとからついてくる」

伝道師になるためには?

ライティングやプロモーションの対象となる商品やサービスを体験することです。

リサーチは、経験という報酬でもあります。本物とか一流とか、そういう人たちがやっていることを素直に真似し、そういうふうに称される人に、なりましょう。

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別け隔てなく接するために、あらゆることを日常にする。

鳥取の智頭にいます。

昨日は八坂神社と肉専科はふう、そして平安神宮と回ってからスーパーはくとに乗り込み、智頭に来たわけですが、あ、スーパーはくとのお手洗いがウォッシュレットだったことには度肝を抜かれたわけですが、実ははふうで極上カツサンドを食べている時、

「そもそも島田さんに極上カツサンドを持って行く必要ってあるんだろうか?」

と考える自分がいました。タイミングとしてはお持ち帰りをお願いするならもうここしかないというタイミングでして、あと3切れ食べたら席を立たなければならないという、そんな時。

だから行こうという意識はあったのだけれども、無意識の僕はやらない理由を次々に探しだすわけです。だって、カツサンド持って智頭に行ったって短期的なベネフィットは何もないに等しいのですから。

しかしこのタイミングで島田さんから「ここにいますよ」と智頭の写真が送られてきたので、これには背中を押されましたし、もう一つ背中を押したのは「普通ならやらないことをやる自分でないと一流ではない」という僕の考えでした。

一流という言葉を定義すると僕の場合、以前も書いたことがあるかもしれませんが、あ、昨日でしたね、誰とでも別け隔てなく接することができる人を一流だと考えています。これが一流のすべてではなく、要素のひとつとしてです。

極端な話ですが、僕の息子とであっても、タイでボケーっとしているホームレスの方々であっても、スティーブ・ジョブズであってもローマ法王であっても、全能神であっても。

誰に対してもほかの人と接するようにそうすることができる。配慮と尊敬、愛情の念を持って。

そういう人でありたいと考える僕は、そういう人たちの生活を経験する必要があると考えるわけでして、だからこそあらゆることを経験するといいだろうと、そう思うわけです。

まさに京都から東京に帰ろうとしている時、はふうの極上カツサンドを買って逆に鳥取に行くというのは普通とは真逆です。普通ならば経験しないことだろうと。だったらこれは経験しないと、という論理です。

「この人はスゴイ、僕なんて・・・」と遜って接することも、「この人たちはこんなことも存じあげないのか」と驕って接することも、僕は違和感を覚えます。

遜るのは、目の前の人物がエライ実績を残しているからかもしれませんし、驕るのは自分のほうが実績を残しているからかもしれません。

だから、両極を経験する。

これは私見ですが、両方を経験しておくと心が穏やかになります。一般的に見てエライ有名な人が来ても心に波が立たなくなりますし、一般的に見て良い環境にいらっしゃらない人が来ても、同じように心に波が立たない。

すると、目の前の人をそのまま見て聞いて、対峙できるようになる。

あらゆることを経験するのは、そういう意図です。あらゆることが日常になれば、その行為についてスゲーと自画自賛して驕ることはなくなりますし、そういうことをやる人が登場しても、その人に対してスゲーと感じすぎてしまって遜るということもなくなります。

まぁ、たまには、オレってスゲーとか自画自賛したいなぁ、という自分もいることは、告白しておきますね。

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