国際電話でコミュニケーションをとるコツ(回線が混んでいる場合)。

セミナールームを予約するために、現在2社とやりとりしつつ、ランチ会用のレストランともやりとりしているのですが、

レストランはスカイプからの着信を受け付けない仕様にしており、セミナールームの2社からは携帯電話あてに連絡が入るので、

スカイプが使えない場合はローミングで国際電話をしています。

1分あたり200円程度かかるので、10分話したら2,000円か・・・中国なら葱油まぜそばが20杯食べられるな、なんて計算していると仕事にならないんですけどね。

しかし他の方法を探している時間よりも今解決したほうが、脳のエネルギーを余らせることができるので、国際電話を使っています。

着信したとしても国際電話料金は全て受け手に来ますから、掛け手にとっては良い仕組みですよね、このローミングは。

さて、国際電話のコツ。

これは国際電話に限らず、回線状況がよろしくない場合に使えることだと思うのですが、それは

「ゆっくり話して、ゆっくり聞く」

です。

自分の経験から、国際電話の場合は相手の金額負担を考え、また回線状況がよろしくないと、「急いで伝えなきゃ」、となるものですが、

国際電話も回線状況がよろしくない場合、急いで伝えようとすると会話が噛み合わなくなることが多いです。

なぜなら、声が遅れて届くので、それを加味した上で会話を組み立てる必要があるからです。

また急いで伝えようとすると、滑舌が滑らかではなくなり、呼吸も浅くなって声が聴き取りにくくなるもの(私見です)。

だからこそ、声が遅れて届いているな、とか、混線しているな、と察知したときは大きく深呼吸をし、

「ゆっくり話して、ゆっくり聞く」

を意識するようにしています。

ゆっくり話すもゆっくり聞くも大切でして、特にゆっくり話したあとは、反応がしばらくなくとも気長に待ち続けるほうがいい。

経験から、そう感じています。

実際今日のオペレーターの方は混戦で声が遅れているからと、「早く伝えなければ」とエラい焦って話をしているようで、その結果浅い呼吸のせいか呼吸の音が大きくなってしまい、聴き取りにくくなりました。

ゆっくり話すときのコツは、「ミニスカート理論」と同じで、大切なところが隠れる程度には長く、です。

話すときは隠れてしまうとアレなので、ここは真逆に読んでほしいのですが。

国際電話料金を考えると、早く話したくなる気持ちはわかりますが、ゆっくり話したほうが結果的に早く会話を終えることができるとも感じています。

相手からの返答がなかなか来ないと、自分の声が相手に届いているか、不安になるものですが、

不安になったときこそ、相手の立場に立って考えて見る必要があります。

「遅れて声が届いているから、まだ聴き取れていないのでは」
「もう回答しているのに、遅れているから声がこちらに届いていないのでは」

セールスライティングの「お客の脳に忍び込む」はこういうところにも有効ということです。

タイや中国、先日のインドと訪れて感じるのは、日本における通信環境の良さです。

しかし日本にいるからといって日本を標準としてしまうと、海外に出た際にストレスを抱えることになりますから、僕の場合、通信環境がよろしくないところでも、コミュニケーションを円滑にする工夫が、とても大切なんですよね。

便利なツールは活用しつつも、環境を過信しない。

ある意味両極を内包するというか、そんな感じでいきたいなぁ、とあらためて思った次第です。

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両極は意識した方がいい(仕事や役割に貴賤はない)。

インド最終日はひとりで目覚め。

タージマハールホテルには3つの意味でビビリ、やらない言い訳をしまくりの僕でしたが、島田さんの「その価格ならオーダーシャツをつくれますからね」という一言に気を良くし、

いやいや、そうはいってもビビったらゴーだよね、というネガティブな気持ちを抱えたままホテルにチェックイン。

結局泊まったホテルはインディラ・ガンジー空港そばのエアロシティーにあるノボテルホテル。

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このホテルはバンコクのスワンナプーム空港徒歩圏にもあり、一度泊まったということで安心感もあり、おいおい、それじゃ新しい経験していないじゃねーかよと思いつつも、新しい体験の対極にある既存の経験も大切だよね、バランスとって中庸だよね、ということで、心穏やかに眠ることができました。

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タージマハールホテルと比べるとどうかはわかりませんが、バンコクに比べると総じてスタッフのサービスレベルが高く、

僕が「聴きとり苦手なので」と伝えると、ゆっくり喋ったり指差しで会話してくれたりしてくれ、

インド、と一括りにはできないと思いますが、特に古都っぽいマイソールのホテルスタッフのホスピタリティの高さとサービスレベルの高さを思い出しつつ、

この国はそれぞれがジェントルマンだよな、と感じました。

対価としてのチップはありますが、とはいえなければないで大丈夫(と感じます)。むしろデリーのHansホテルだったかな、そこのボーイさんはチップを丁重に断っていましたから、

なんというか、ちゃんと自分の仕事をすることに集中しているんだな、と見て取れる。

空港のトイレを清掃する方は、順番待ちする人のために個室の空きを確認しつつ、空いたらサッと清掃して案内してくれ、

荷物を沢山持っていると見るやスッとお手洗いの水と石鹸を出してくれる。

その後はインドでお馴染みの胸に手を当てた礼とともにほんの傾けるというか振る首。

一直線にこちらを見る眼差しを受け、スーッと気持ちが穏やかになっていきます。

もちろん、スラムのような場所はありますし、空港やホテルだって皆が皆そうではないけれども、泊まるところとかも両極を経験すると、その国のことがよりわかるんじゃないかな、と思います。

僕が思うに、日本の「おもてなしの心」というのは、インドもそうですしタイもそうですが、どこの国にもあるんじゃないかなぁ、と。

そうは思いつつも、日本のおもてなしの心はいいですよね、と世界の人々が言ってくださるのは、やっぱりインドにもタイにもない何かがあるのかもしれません。

道をゆくインドの方々と目が合うと、自分から進んで笑顔と会釈をするはるか嬢のそれは、日本人が持つ何かなのかなぁ、と思いました。

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さて、先ほど流れでホテルからお願いしたリムジンタクシーに乗り、セダンタイプなのに後部座席も電動リクライニングと電動シェード、そしてエアコンのコントロールまで備えたその車に驚きつつ、

ハリドワールで見たスクールバスの光景を思い出していました。

マイソールのホテルやノボテルホテルのスタッフもそうですし、スクールバスに乗る子どもたちもそうでしたが、

こう言っては誤解があるかもしれないですけれど、生活の違いというものを感じました。

ハリドワールで乗ったロープウェイでは、2時間待ちの列がある一方で、待たずに乗ることができる特別レーンがある。

日本でも飛行機のファーストクラスやビジネスクラスレーンがあるように、それはどこの国にもあるのでしょうが、

あからさまな優先搭乗には恐縮しつつ、しかし2時間待ちの列に並ぶ人たちの一部がこちらに手を振ってくれ、

そういう状況を受け入れているんだな、という空気を感じました。

すべての人がそうではないと思いますけどね。

僕は仕事とか役割とかに貴賤はないと考えており、あるのは仕事とか役割の、世の中においてそれぞれが果たすべき何かだけだと考えています。

インドにおける、昔のカースト制度のような、厳然たる階級社会だとどうにもならないのかもしれませんし、これを僕が語ることは、それを経験していない以上語るに足りませんが、

僕らは日本に生きる以上、自分で選ぶことができます。

そうはいっても何でも選べるかというとそうではなく、選ぶには語るに足る必然的な何かが必要だと思いますし(なんでも選べるのですが、やり続けられないであろうことは、経験上感じています)、それは自分自身の生まれや育ち、ブラッドラインであったり、夢中になったことであったり、

島田さんが言うところの「ルーツ」にそれが在る。

決して言葉にする必要のないほど、自分にとっては自然で普通で当たり前の、大切な何か。

言葉にすることでそれを人に伝えることも大切だと思いますが、それ以上に大切なのは、自分自身が言葉にならなくてもそれを大切にして生きていくことだと思います。

ルーツを辿るとともに、例えばタイや中国、インドに行って、両極を経験することもまた、それを発見するには大切であることを、加えておきます。

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ウーティーの朝。両極のある場所。

インド4日目の朝はウーティーでの目覚め。

デリーやコインバトールとは異なり、暑さの欠片も感じれらないようなこの街は、さながらスイスのグリンデルワルトとか、タイならカオヤイとか、日本なら軽井沢とかかな、そのあたりの雰囲気にとても似ています。

そのせいか朝の空気は冷たくて凛としており、思わず背筋がぴっしりと伸びるかのよう。

その空気感から標高が高いんだろうなということは伝わってきますが、ここウーティーにやってくる過程で僕は、インドの地理も気候も何も知らなかったんだな、ということに気づきました。

人はどこかで聞いた話、どこかで読んだ話をさも自分が体験したかのように仕舞いこみ、それを当然のように捉えてしまうことがあるものですが、

今回の訪インドで学んだのは、

「行ってみて体感してみないと、実のところはわからない」

ってことだなぁ、と。つくづく、思います。

デリーやコインバトールでは熱いお湯がでなくても、バンコク同様に「暑い国だから」と一括りにしたようなことをつぶやいていましたが、

ウーティーではシャワーを浴びる前に「熱いお湯がたっぷり出るといいなぁ」とつぶやいているわけですから、人の五感というか身体性を伴う経験というのは、本当に素直なものです。

不思議とこのブログを書く今現在、僕自身も素直な感覚で胃腸から食道を通り、喉の奥からスラスラと出てくる感じで言葉を出すことができています。

いつもスラスラ書くといえばスラスラ書いているわけですが、脳を空っぽにして言葉を出していくというのは、ストレスとかそういうものがあるとなかなか難しい。

考えずに書くというのが僕自身のライティングにおけるテーマですから、文章の頭からオシリまで、首尾一貫して無意識で書くということができれば、その文章はオーケーということになります。

しかし頭からオシリまでそういう状態で書くというのは、結構ホネなんですよね。

どこかで一瞬、邪念が入るというか。

*もっと自分をよく見せよう

とか

*ちょっとくらい話を盛ってもいいよね

とか

*人の経験を自分の経験のように書いてもいいよね

とか。

そういう邪念が入る度に、客観視する僕が「経験以上に見せようとしないほうがいいよ」とささやき、僕は現実世界に戻ってくるわけですが。

今日はそういうことをする必要がなく、ここまで書き続けることができています。

グリンデルワルトの空気感は今でも覚えていますが、あの朝の肌寒い、そういう触れるだけで肌が切れそうな、尖った空気と太陽のやわらかな暖かさ。

ああ、そうか。

僕は両極を感じられる場所が、好きなのかもしれないな、と思う。

それは人もそう。

どちらかに偏った人など、本来存在しないだろうと感じるので。

今日はウーティーからマイソールへ。マイソールは2連泊するようなので、ニュースレターのライティングをする予定。

では、また明日。

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能動的に行うべきことと、受動的に待つべきこと。

現在、四谷にいます。

アイソレーションタンクの原田さんをワイルドサイド部で訪問するということで、路線を検索すると四谷経由で行ったほうが良いとのこと。だったらわかばのたい焼きをおみやげに買っていこうと思い、現在購入してそばにあったドトールでブログを書いています。

ぽっちりプロジェクトのレター修正を待ちつつ、ブログをライティング。ついでにと言ってはアレですが、アイソレーションタンクに行くのならとエイトスターダイヤモンドにも立ち寄り、指輪を磨いてもらっています。四谷のあたりって落ち着いていていいですね。

さらについでに、今日から3日間は新宿御苑に宿泊。セールスライティングクラスのレビューとかを行う予定もありますし、岡本さんに納品する予定もありますので、実家に帰るよりは新宿御苑かなぁ、と。

明日は新宿で税理士さんと決算相談をしてから、木坂さんのマスタークラス歴史学・地政学クラスに参加、その後は四谷でマイスピーの懇親会に参加し、土曜日は何もないのだけれども日曜日は賢者舎なので、やっぱり新宿御苑がよさそうです。

さて、能動的に行うべきことと、受動的に待つべきこと。

僕は割りと能動的に、前のめりになったりビビったらGOという感じで行動していますが、何でもかんでも能動的に動くかと言ったらそうでもありません。

受動的に待つことももちろんある。それはどんな時かというと、

自分の意志ではなんともできない場合、です。

たとえば、人に何かをお願いした時とか、人からの連絡を待っている時とか、ですね。

基本的に、こちらから背中を押すこともしません。もちろん、クライアントへの納品予定があり、そのライティングをお願いしているときは別ですが、というか背中を押しまくりますが(クライアントへの礼儀が大事ですからね)、そうでない場合はただ待ちます。

こちらが背中を押して動いたとしても、相手のためにならないことがほとんどだと思うので。

かつてはお節介なほどいろいろ先回りしてやっていましたが、今では半歩か一歩先程度にとどめています。

誰かの行動、誰かの思考を変えるのは結局のところ、その誰かにかかっているので。

時折、能動的にやるべきなのに待ち続けている人、逆に受動的に待つべきなのに前のめりに動いている人がいますが、

バランスが大事です。

『7つの習慣』ではないですけれど、自分がコントロールできることに焦点を当て、そうでないものは置いておく。

これも選択ですね。なにをやってなにをやらないか。

変化の時というのは、いろんな誘惑も多いものですから、どんな情報を能動的に取りに行き、どんな情報を能動的に遮断するのか、といった選択も大事でしょう。

能動的に行うこと、受動的に待つこと。

よかったら、参考にしてみてください。

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別け隔てなく接するために、あらゆることを日常にする。

鳥取の智頭にいます。

昨日は八坂神社と肉専科はふう、そして平安神宮と回ってからスーパーはくとに乗り込み、智頭に来たわけですが、あ、スーパーはくとのお手洗いがウォッシュレットだったことには度肝を抜かれたわけですが、実ははふうで極上カツサンドを食べている時、

「そもそも島田さんに極上カツサンドを持って行く必要ってあるんだろうか?」

と考える自分がいました。タイミングとしてはお持ち帰りをお願いするならもうここしかないというタイミングでして、あと3切れ食べたら席を立たなければならないという、そんな時。

だから行こうという意識はあったのだけれども、無意識の僕はやらない理由を次々に探しだすわけです。だって、カツサンド持って智頭に行ったって短期的なベネフィットは何もないに等しいのですから。

しかしこのタイミングで島田さんから「ここにいますよ」と智頭の写真が送られてきたので、これには背中を押されましたし、もう一つ背中を押したのは「普通ならやらないことをやる自分でないと一流ではない」という僕の考えでした。

一流という言葉を定義すると僕の場合、以前も書いたことがあるかもしれませんが、あ、昨日でしたね、誰とでも別け隔てなく接することができる人を一流だと考えています。これが一流のすべてではなく、要素のひとつとしてです。

極端な話ですが、僕の息子とであっても、タイでボケーっとしているホームレスの方々であっても、スティーブ・ジョブズであってもローマ法王であっても、全能神であっても。

誰に対してもほかの人と接するようにそうすることができる。配慮と尊敬、愛情の念を持って。

そういう人でありたいと考える僕は、そういう人たちの生活を経験する必要があると考えるわけでして、だからこそあらゆることを経験するといいだろうと、そう思うわけです。

まさに京都から東京に帰ろうとしている時、はふうの極上カツサンドを買って逆に鳥取に行くというのは普通とは真逆です。普通ならば経験しないことだろうと。だったらこれは経験しないと、という論理です。

「この人はスゴイ、僕なんて・・・」と遜って接することも、「この人たちはこんなことも存じあげないのか」と驕って接することも、僕は違和感を覚えます。

遜るのは、目の前の人物がエライ実績を残しているからかもしれませんし、驕るのは自分のほうが実績を残しているからかもしれません。

だから、両極を経験する。

これは私見ですが、両方を経験しておくと心が穏やかになります。一般的に見てエライ有名な人が来ても心に波が立たなくなりますし、一般的に見て良い環境にいらっしゃらない人が来ても、同じように心に波が立たない。

すると、目の前の人をそのまま見て聞いて、対峙できるようになる。

あらゆることを経験するのは、そういう意図です。あらゆることが日常になれば、その行為についてスゲーと自画自賛して驕ることはなくなりますし、そういうことをやる人が登場しても、その人に対してスゲーと感じすぎてしまって遜るということもなくなります。

まぁ、たまには、オレってスゲーとか自画自賛したいなぁ、という自分もいることは、告白しておきますね。

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小野の頭はデカイ!は主張にならない。

バランスが取れた脳というか心というか、穏やかな状態で在り続けるためには中庸であること、両極を知ることが必要、と考えています。

思考は飛躍したがるという言葉の通り、人は割とどちらかだけに偏ってしまいがちですが、両方経験してバランスを取りましょうよ、と。そんなふうに思います。

どんなことが自分に向いているかわからない場合、今の自分を掘り下げてもわからないことは普通だと思っていて、なぜなら、自分の中にその経験、言葉がないから。経験も言葉も無いのに、こんな生き方が向いているというのは出てくるはずがない。

こじつけたところでその場は偏るからこそラクに、いい気分になるかもしれないけれど、それは所詮メッキと同じ。いつかは、剥がれます。

掘り下げるというよりは広げてみて、バランスを取る。そういう両極もあるなぁ、と。

WHY HOW WHAT、Being Doing Havingの考え方について学んだことがあるならわかりやすいと思うのだけど、「どんなことが自分に向いているか」や「どう生きたいか」というのは、HOWやWHAT、DoingやHavingの話であり、「それはなぜか」が抜けている。なぜがないと、どう生きたいかもどんなことが自分に向いているかも自分という存在に紐付けすることはできない。

たとえば、世界中を飛び回る仕事がしたいと思っても、それって自分以外の人でもできるし、これだけを力説したって人には響きにくい。

いわゆる、主張になっていないってことですね。主張というのは前提として、「その主張と真逆の状態があるからこそ、それをひっくり返すために主張したい」という欲求があるはず。

小野の頭にベースボールキャップを被せようとしたら62cmのサイズが必要で、これは一般的な人なら55cmとかならば明らかに小野の頭は大きいとなる。

そんな状況のなかでサッと立ち上がって、

「皆さん、僕は言いたいことがあります!小野の頭はでかいんです!その証拠に普通は55cmなのに62cmもあるんです。こちらのデータを見てください・・・」

と声高に叫んでも、そりゃそうだろう、ってなる。明らかに頭がでかいということを証拠で持って示されていれば、それを叫んだって主張にはならない。

主張を辞書で引くと、「他者に認めさせたい」というような意味もあるようですから。

島田さんや木坂さんが言うところの、「ほとんどの人は主張になっていない」というのは、そうだろうなぁ、と。

データの取り扱いにも気をつけないとですね。誰かの都合が反映された結果、それを客観的であるかのように見せているデータなんてものもあるでしょうから。

結局のところは、なんでまぁこんなことしなければならないのだろう、と思うかもしれないけれども、自分で体感したこと、実際に経験したことに勝るデータというか、客観的な根拠はないように思えます。

自分もそう、他者もそう。頭で決めつけず、眺めて置いておくこと。

そういう決めつけない、宙ぶらりんのグレーな状況に自分をおいておける人ほど、僕はいい生き方をしているなぁ、と思います。

翻って、僕はどうだろう。

常に自問自答しつつ、実体験を求めて動きたいものです。

P.S.
長男次男は妻に似て、ビッグヘッドでないところがうれしいというかうれしくないというか・・・。

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やあやあ、ここにもひとり、奇人がいましたよ。

セールスライティングであれコンテンツライティングであれ、というか個人的には、コピーはコピーということで色分けするのはどうなんだろうと思ったりするのですが、まぁ、これはまた別の機会に。

いきなり脱線しましたが、コピーライティングするならばリアリティを感じられる文章を書かないと響きませんよね、ってことで、リサーチって大事だよね、となる。人間が持つ無意識の感覚とはなかなかすばらしいもので、どんなにもっともらしい言葉を並べても「なんかウソっぽいな」と脳は反応するもの(だと僕は考えています)。ウソっぽいと感じてもそのサービスを購入してしまうのはまた別の話で、それは変化を好まない脳の本領発揮というか、ウソっぽいものを買う→変化しない→脳の思惑通り。こんな感じかなあ、と。私見たっぷりですが。

僕がこのコピーいいなぁ、と思うのは、そこに体験が感じられた時。セールスライティングでもコンテンツライティングでも、まとめてコピーライティングスキルを志す人がまず手を抜きがちなのがここです。実際に体験しない。実際に外に出て、それを体験しないってことが割と普通だったりします。

そもそも外に出たくないから、人と話したくないからコピーを勉強するんです、という人もいるかと思いますが、それならそういう人向けのコピーを書くなら、いいでしょう。しかし、服を買ったり釣りに行ったりする人向けの記事を書くなら、彼らがどんな時にうれしいと感じるのか、もう買いたくて買いたくて仕方がない状態になるのかを、経験した方がいいと思うんですよね。レジを鳴らすことが、コピーを担当するものの役割なのですから。

そんなことを考えながら、時には自分への戒めとして、「よし、両極を経験するぞ」と現地での体験を自分に課すわけなのですが、

時に自分が変態なんじゃないか、って思うことって多々あります。わざわざ女性の下着売り場を通って視線を感じてみたり、女性率99%のカフェに行って背筋をピンと伸ばして視線を感じてみたり、『女性自身』や『週刊女性』などの女性誌を女性たちに並んで立ち読みしたり、男心の研究と称してエロ本を立ち読みしたり。

なんというか、見られる快感て言うのがあるんですよね、正直申し上げますと。ふと我に返った時、あ、オレ今、変態扱いされているかもな、っていう。

MはSを兼ねるといいますが、そんな感じでMっ気を発揮していると、メラメラと極を経験したくなるもの。

次は女性用下着の試着とか、ふんどしはいてカフェでスイーツ山盛りとか、化粧して女性誌を立ち読みするとか、ふんどしはいてエロ本購入とか、そんな体験をするときも来るのかもしれないなぁ、と思っています。

実は上記のような告白をするのは初めてなのですが、なんで今日、これをお伝えしようとしたかというと、奇人を発見したからです。

普通、歯医者に行って歯科衛生士さんとのコミュニケーションにハァハァする男性はいても、予防歯科の話を聞いて「ウンウン、今は予防歯科の時代だよね」とか、歯科衛生士さんから歯周ポケットや歯石取りの話を聞いて、「リサーチ通りだ」なんてニヤニヤしている人っていないよなぁ、と。

歯医者に行ったら「痛くないかな」とか「歯を削りたくないな」と思う人がほとんどのなか、喜々として歯医者を予約し、健診の説明を聞いて「うんうん、インフォームド・コンセントだよね」なんていう人はいないでしょう。

しかも、記事のライティング中に気になったから、「健診の予約を入れちゃいました」ですから。

まさにライティング担当の鏡。セールスライティングというスキルを求める者よ、奇人であれ。

フリー画像サイト「ぱくたそ」の河村さん画像使用比率が妙に高い男こそ、京都日々新その人です。

セールスライティングだろうがコンテンツライティングだろうが、コピーライティングに携わる人なら、ぜひ見て欲しいと思います。

コレが、プロフェッショナルだ。

P.S.
というわけで、京都日々新さんの奇人記事はこちら。
http://myasp88.com/l/u/dJHfXRXuT6EyXYT0

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