自分という器クラスのチャットから。

License to beatの自分という器クラスと言えば、島田さんの『ワイルドサイドを歩こうよ』にて、参加した皆さんからの感想を取り上げてもらったこともあり、

何をしようとしているクラスなのかというのは、読まれる人々の間に伝わり、それぞれ解釈されていると思います。

その解釈はどれも正解でしょうし、逆に言うと正解はないとも言えるのですが、ちょうどメンバーの一人が書き込んだこのメッセージが、自分という器クラスの活動を端的に表現しているので、今日はそれを紹介します。

近々募集を始めるかもしれない自分という器クラスに興味がある方はもちろん、そうでない方も眺めてみてくださると。

皆さんこんにちは、いかがお過ごしでしょうか。

島田さんのオフィスにあった「0 To 1」という本を読みまして、その後考えていることがあったので、参考までにシェアします。

著者のピーターティールは起業や研究に専念できるよう、彼のテストをクリアした若者に10万ドルの奨学金をサポートする取り組みをしているとのことでした。

そしてその「テスト」とは、僕らがテーマにしている「誰も気がついていない隠れた真実」や「主張」の発表とのことでした。
(若干うろ覚えなので、誤りがありましたら小野さん訂正お願いします・・・)

なので最近僕は
「僕は自分の主張で誰かに投資してもらえるように説得できるだろうか?」
「もし1,000万円投資してもらえたらどう使うか?」
など考えています。

ちょっと前までは
「会社の束縛から逃れたい」、「満員電車に乗りたくない」、「スーツを着たくない」
といった「やりたくないこと」ばかり浮かんできたのですが
そういった事を投資家に言っても説得力が無いな、と思ったので
最近は「やりたいこと」を中心に考えています。

「僕はこれこれやりたいことがあって、だからこういったビジネスを作ろうと思っているんです!」という話の方が、「それだけ情熱があるのなら君に投資しよう!」となるかなと思いまして。

先日の小野さんのセミナーで出た「本音」と言うテーマが今このコミュニティではホットですが、僕は何だかんだ言って一番やりたい事はバンドだ、と思いました。

仕事をしながら、自由時間や睡眠時間を削ってライティングをやっているモチベーションは正直な話、家族を幸せにしたいとか、金持ちになりたいとか、ではなくバンドをやりたいからです。

具体的なビジネスプランはまだ固まっていませんが、ライティングが何かの足掛かりになると信じて続けている次第です。

ディスカッションの流れから少々反れてしまいましたが、ここ数日書き込みがなかったこともあり、ちょっと書かせて頂きました。

彼を5年前から知っている僕としては、ある種の感慨深さがありますが、初めての場所に行き、初めての経験をし、初めての人と出会うことで、

自分という常識を飛び越えてきているな、と感じています。

エラく好青年印象の彼がこれまでの逆を行くかのように、

仕事をしながら、自由時間や睡眠時間を削ってライティングをやっているモチベーションは正直な話、家族を幸せにしたいとか、金持ちになりたいとか、ではなくバンドをやりたいからです。

と言ってきたところに僕はギョッとしましたし、本音とか主張というのはこういうものだよね、と思いました(一応、私見です)。

みずほっちの名言「結論:文字で読むより、話で聞くより、一緒に行動を共にするほうがよっぽど手っ取り早い」はここにも見て取れるなぁと思い、今日は紹介したく。

普段からチャットワークやスカイプを使い、自分の主張やキャッチフレーズ、それらを構成する言葉の定義を共有することなどなど、

実のところ、License to beatの案内でも書いた通り、割と地味な活動をしているクラスではありますが、半年経ったら目に見える変化をしてきています。

人と会う、人と時間と空間を過ごす、ということの意味合いが、変化してきているんじゃないかな、とも思えます。

どんな投げかけに応えられるよう、在り方も思考も稼ぐ力も、鍛え続けることを願いつつ、そろそろ課題の書き込みをしてくれないかなぁ、とも期待しつつ。

今日はこんなところで。

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智頭合宿3日目(自分という器クラス)。

昨晩は早く寝る人はそうおらず、リビングというかホットカーペットがある部屋に集まり各々がライティングなど作業。

そういえば、今朝起きてみると目の前でふたりが写経しはじめまして、これが普通だと思えるようになったら、よほど特殊な世界なんだろうな、と思いました。

自分という器クラスに参加するメンバーでももともとはコピーを通して僕を知っている人が多いので、皆それなりにセールスコピーの腕は持っていますし、セールスライティングをやらせたら結構いいものを書くはず。

そんななかでもスキルじゃなくて、在り方、どう生きるかのほうが大切だと考える人が集まっている、自分という器クラス。

智頭で出会った食事やお店、そして人々から感じたことを感想にしつつ、合間に自分の主張とキャッチフレーズを挿入してもらう発表をし、2泊3日の合宿は打ち上げ。

皆の感想を聞きながら、例によって雰囲気を感じる程度には聴き取ることができているけれども、

実際に何を話しているかは聴き取れず、しかし島田さんが合間にエピソードを話してくださったり、講評やアドバイスをしてくださったりしているので、

その場で聴き取れずとも大丈夫と安心し、全員の発表を映像に収め、合宿は終了。

どんな感じだったかは島田さんがブログで書いてくれておりまして、かいつまんで言うとこんな感じ…

僕もたくさんの学びと気づきがえれたし、
楽しかった。

なにが楽しかったって
リーダーであるはずの小野さんが
8割以上すべっていて、
ほとんどの場面で
メンバーの共感をまったく
得られていなかったってとこ(笑)

(引用:ワイルドサイドを歩こうよ『小野さん主催の智頭合宿2日目、3日目』より)

だそうです(笑)。

これでもコミュニケーションが取れているメンバーには感謝です。

合宿のしめは、日曜日だけ営業している「火間土」というお店でご飯を食べること。

エラく細い道なのでこっちでいいのかと不安になりながら車を走らせ、ようやく到着したときの安堵感とかまどで炊いたお焦げ付きのご飯の美味しさは、

自然なものを食べるというのは本当に贅沢だなぁ、というもの。

昨日も書いたと思いますが、食べても食べてもすぐにおなかがすく。

この2泊3日、つねに空腹の状態を保っていますが、こういう食生活って大切だなぁ、と。

その後はすぐそばにあるカフェ「歩とり」でコーヒーを、と思いきや、島田さんの一声でクロックムッシュセットを食べることに。

「じゃあ僕食べますよ」と手を上げた後藤さんと島田さん、そして僕がクロックムッシュセットで、

この合宿をクラウドファンディングならぬ対面ファンディングで、自分のお金を使わずに楽しんだタクシードライバーのデニーロは、なんだったかな・・・ヘルシーなごはんセット。

さすがにお腹いっぱいだよとはいいつつも、意外にこういうたくさん食べる経験こそが大切だったりする。

限界を決めるのは、自分ですからね。限界を超えるのも、自分です。

初めての経験をしましょうといっているのだから、ちょっと無理だよねと思ったときこそ新しい経験をするチャンス。

だからクロックムッシュセットを頼み、完食してきました。

なんというか、この合宿のテーマとなる言葉のひとつに、「本音」がありまして、

これは魂が共鳴したとか、心の琴線に触れるような言葉で表現されるものと思っており、不思議なもので、考えてもでてこないし、考えるとこじつけになりやすいしで、なかなかに厄介な存在なのですが、

誰の目もなく、自分の目も(人からよく見られたい)ない状態で、ポッとでてきた言葉にこそ、その人の判断基準というか価値観というか、そういうものをひっくるめて本音があるんだと思います。

最後の時間に発表した時に感じたこと、身体が反応したこと、脳からでてきた気持ちと言うか言葉は、

たぶん、本音に近いと思うし、本音そのものかもしれない。

自分で決めつけることなく、ゆるやかにいきていければいいなぁ、と思います。

そもそも誰かと競争する必要のない僕らは、急ぐ必要などないのだから。

自分自身でありましょう。

島田さんと島田さんの奥さんとか、ひふみくんとかいたるくんのね、あんな空気感と一緒に過ごして感じたことを、アウトプットしてみてほしいと思います。

2泊3日の合宿を終え、今度は秘密結社ワイルドサイドの皆さんと一緒に元湯に宿泊中。

自分という器クラスの2名も延泊すると言うので、今現在僕はブログを書いていて、デニーロも多分ブログかなにかを書いていて、で、ミズホッチは城ドラ。

こうしなければならないということは、実は何もなく、それは自分の思い込みにすぎないし、誰かの決めた何かにすぎない。

自分を大切に育んでいきましょう。

2泊3日の合宿、伝えたけれども多くの学びがあり、僕の方こそ学ばせてもらいました。

参加した皆さんと島田さん、そして智頭の皆さんに、ありがとうございました。

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智頭合宿2日目(自分という器クラス)。

お酒が響くとはこういうことか。

半ば初めての酔っぱらいを経験し、今朝は目覚めました。

License to beatの自分という器クラスに参加するメンバーは、「自分の器を広げ、深める」ことをひとつのテーマとしてので、「初めての体験をしていきましょう」と伝えています。

であれば僕自身も初めての体験をした方がいいよね、ということで、今までは下戸だからとか息が吸えなくなるからという理由でお酒を飲まずにいましたが、

そうはいっても「飲んでみたら合うお酒だってあるかもしれないですよね」、という島田さんの言葉に「そのとおりだよな」となり、

昨晩はサングリアを1杯と、ビールを一口いただいてみました。

飲んだ感想はと言うと、甘くて飲みやすい(ビールはちょっと苦手だなぁ、と思いましたが)。

スッと喉を通って、スーッと胃に収まる感じ。

あーこれが酔っ払うということかと気を良くし、昨晩の日課を終えて早起きするぞと就寝。

しかし今朝、どうも頭が重いというか目覚めが良くない。

あーやはりお酒かなぁ、と思いつつ、とは言え初めての体験をしたことに気を良くし、今日の活動に移りました。

11時ころにみたき園に行き昼食、その後は智頭のセラピーロードを通って植林イベントへ。

みたき園の景色や食事が脳や身体にとっていいことはもちろんなのですが、図らずも女将さんがでてきてくださり、食事後にきなこもちを振る舞ってくれた際、いい話を聞くことができました。

*昔はひとつの部屋にひとつの囲炉裏で、家族で座る場所も決まっていた、という話。

*今ではそういう上下関係みたいなものが希薄になり、それはそれでいいことかもしれないけれども、必要でもあるのではないか、という話。

*うまくいくわけないと言われるなかでみたき園をつくり、今に至る話。

難聴を助けてもらうという意味で、自分という器クラスのメンバーに女将さんの話を聞いた感想を書いてもらっているので、詳しくはそれを見てほしいと思うのですが、

なんというか、効率性が優先されるような風潮の中で、非効率で行きましょうよというメッセージに受け取れましたし、

自分という器クラスで取り組んでいる「自分の主張とキャッチフレーズを書き出す」にも通じるところがあるなぁ、と感じました。

自然にいきましょうよ、と。ゆるく、たのしく、てきとーに(まぁ、そこそこにね)。

コア・バリューとか、主張とかを意識的に考えて書き出すことも、時と場合によっては必要でしょうが、

多くの場合それは、意識的にこじつけて書き出してしまうものです(周囲の目が気になるものですし、やっぱりよく見せようとしたくなるのが人間ですから)。

しかしコア・バリューとか主張というのは常日頃から自分が感じていることですし、ハッとした時に思わず選択してしまうことなどは、それらを色濃く反映していると考えています。

だから、ある意味これらは、本音ということもできる。

建前ではなく、本音。

意識して書こうとすると周囲に対しても自分に対しても「よく見せたい」という色眼鏡がかかるから、どうしても建前的なものになってしまいがちだけれども、

人の目とか自分の目を気にすることなく、自然と選択してしまうもの、無意識に選んでしまうものの中にこそ、本音があるんじゃないかなぁ、って僕は思うんですよね。

3年前は、長男の僕を見る目が「どこかの誰か」を見ているような感じだったから、それを恐れて「人生の3分の1をタイで過ごせる」ようになるという、抽象的に言うと子どもと過ごす時間を十分に持てる父でありたい、というような本音がありました。

今ではどうかというと、それができているなぁと感じているからでしょうが、子どもにとって暮らしよい街でありたいという本音がありますし、子どものために世界が平和であってほしいという本音があります。

だからこそ、街を歩けばゴミ拾いをするし、ビート・ザ・コントロールを海外にまで展開していこうとしているわけで。

本音は、その人のステージに応じて変化していく。

それはコア・バリューや主張も然り。

だから、無理やり書き出すものではなく、本音でポッとでた言葉を大切にすればいい。

そう僕は考えているんですよね。

力を込めて声を大にして語ることだけが主張ではない。

淡々と声は小さいけれど、そこにその人の本音があったとき、それは主張になるんだと思います。

多くの人は賛成しないけれど、あなたが信じる大切な真実とはなんですか?

そしてそれはなぜですかと問いかけた時に出てくる言葉に、「身体性を伴った経験」が感じられるならば、

人は多分、その人の主張を信じるんだと思います。

植林イベントでも出会った智頭の方々から感じたこと、多分誰からも力んだ感じはせず、

むしろ「ゆるく・たのしく・てきとーに」を感じたんじゃないかなと思いますが、

ビート・ザ・コントロールって、こういうものだよね、と僕は感じました。

その人が自然と欲する生活ができていれば、それでよし。

無理に力む必要なんて、誰かのために力む必要なんて、ないのだから。

自分がそうしたい時に、自然とそうなれればいい。

もちろん、そうであるために必要であれば、積極的に淘汰圧をかけることも、大切ですけどね。

今日の話は、本音、コア・バリューとか主張とかの書き出しに関することとして、書いておきます。

これから元湯へ移動して、温泉とごはん。

今日もビールかな、やっぱり。

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ハリドワール、リシケシュ。人もバイクも牛も平等な国で考えた。

インドに来て一番最初に印象に残った言葉が、「牛も平等」というもの。

デリーでもコインバトールでもマイソールでも、牛は街の至るところにいましたし、インドにおいてはそれが当然と思うようにもなりましたが、

ふと僕が持っていた主張を思い出しましたので、それを書いてみたいと懷います。

ガンジス川の上流であるハリドワールには沐浴をしにインドの方々が集い、まさに聖地巡礼という雰囲気を感じさせる街でして、手と足だけでもとガンジス川の水に浸してみると、意外な冷たさに神経がピリッとし、前夜のアーユルヴェーダのおかげか覚醒していた脳がさらに研ぎ澄まされる、そんな感じを受けました。

その次に訪れたリシケシュは、島田さんが言うにビートルズが修行をした場所らしく、ツアー幹事の伊藤カンちゃんが言うにはヨガの聖地という位置づけだそう。

ハリドワールからさらに北の山へと入るこの街は、ハリドワールよりは落ち着いたたたずまいをみせ、雰囲気的にはむしろこちらのほうが、沐浴も厳かな感じを覚えました。

他のインドの街並み同様、ハリドワールでもリシケシュでも牛が人と同じように歩き、生活をしているのは変わらず、特にオモシロイと思ったのは、リシケシュに掛かる吊橋も牛が往来していること。

行く手を指示する人はおらず、牛が生きたい場所に行きたい時に行く。人と同じように橋も渡るし、車を避けるかのように端の方を歩く。

人も牛も、バイクも車も、猿も犬も平等に空間を使うというのはいいなぁ、と感じました。

ふと日本で感じる違和感を思い出したのですが、それは「歩行者優先」という空気。

もちろん、歩行者を優先することはいいことなのかもしれませんが、その結果歩行者側に、「歩行者は優先されて当然」という空気を醸し出していやしないか。車は歩行者を避けて当然というような、上から目線を投げかけていやしないか。

僕は、歩行者が優先されて当然という空気には違和感を感じておりまして、

なぜなら、それは本来譲り合いの気持ち、利他的な気持ち、優しい気持ちといった、自然と発生する気持ちから優先されるものだと考えているからです。

弱きを助け、弱きを守る。そんな、気持ちの賜物が歩行者優先なんじゃないかなぁ、と。

しかし歩行者優先という空気からは「それが当然』という雰囲気を感じ取ってしまい、車やバイクが走っているのにそれらに注意を払わず、払わないどころか道路を歩くかのような人々の姿を見るたびに、美しくない、と思うわけです。

私見ですが、タイでも中国でも、車やバイク優先という感覚を持っています。

でもこれはとても健全なことのように思えるわけで、なぜなら衝突して危険な目にあうのは、人のほうだからです。

僕は車もバイクも個人的に持っていないけれど(妻は持っていますが)、安全を考えたら車やバイク優先という社会のほうがいいと思ったりもします。

そんなことを思い出しながら、インドは誰もが平等に道を利用していることを眺めておりまして、これはアリだよな、と思った次第。

たとえ自分の私有物や私有地であっても、自分が優先されて当然、ということなど、ありえないのだから。

駅のプラットフォームで始発電車を待つ列や満員電車の優先席を見るたびに感じる違和感も、同じことです。

権利とか優先されて当然とか、そういう利己性よりも、利他性。

そういう日本になればいいなぁ、と思います。

僕が眺める範囲での私見ですので、そうではない日本の地域もあると思いつつ、記しておきます。

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「主張」がないと、うまくいかない理由。

昨日の続きです。

昨日の最後に、

大切なのは、

一番大事なことを一番大事にしているかどうか

一番大事なことを一番に行うようにしているか

一番大事なことに一番時間もお金も投資しているか

だと僕は考えています。

上記はそのまま、誰かの目的や目標をそのまま自分に当てはめてもうまくいかない理由にもなるのですが、

と書きました。

誰かの目的や目標というのは例えば、

*タワーマンションや一軒家に住みたい
*年収1,000万円欲しい
*年商1億円の会社にしたい

などなど、どこかできいたようなモノを僕は指しています。

もちろん、これらの目的や目標もある条件を満たしていればうまくいく、すなわち必然的に達成できると考えておりまして、

それは何かというと、「主張」です。

何度かこのブログでも紹介しましたが、この「主張」という視点を木坂さんと島田さんから聞いた時、これはなるほどな、と思ったことを覚えています。

木坂さんは「そもそもほとんどの人が主張をしていない」のようなことを言われたのですが、「何々だと思っていたが、何々だった」という鉄板の方程式に当てはめて考えることで、その真意がわかります。この方程式に言葉を当て込める人は、そんなにいませんから(当て込めても、それって普通じゃないかな、ということがほとんどです)。

島田さんはピーター・ティールの言う「隠れた真実」から、「あなたが信じる『賛成する人のほとんどいない重要な真実』な何ですか?」をもって、「主張」とはこういうものだよね、ということを言われています。

主張そのものを辞書で引いてみても、「自分の意見や持論を他に認めさせようとして、強く言い張ること」のようなことが書かれていますから、

そもそも主張すべき対象は、「一般的には認められていないこと」を指すのだな、と。

となると、タワーマンションも一軒家も、年収1,000万円も年商1億円も、「主張」にならないことがわかります。

なぜなら、世の中を見た時にそういうのっていいよね、という空気がそこにあるからです(もちろん主張になっている場合もありますよね)。

賛成する人のほとんどいない重要な真実。

これを主張、すなわち誰かに認めさせようとするならば、よほどの切実さというか、真剣さというか、心の奥から希求するというか、

そんな強い動機が必要になると僕は考えています。

なぜなら、

コントロールを打ち破るということを、人は潜在的に望んでいないから

です。

言い換えると、恒常性とかホメオスタシスとか、そういったものが働くから。

今日も生きられるのだから明日も同じでいいじゃないか。

なぜ「主張」する必要があるんだ?

この脳からの問いかけに「主張する必要があるんだ」と返すことができるとするならば、

やっぱり誰かの借りモノの主張ではなく、賛成する人のほとんどいない重要な真実を持っているからだと思います。

やらなくてもいいことは、やらないですから、普通は。
(ただし本当はやらなければならないことから目を背けるために、それを正当化するために、やらなくてもいいことをやるって結構普通にあります。今日こそは宿題をやるぞ!と決めても、まずは片付けから・・・とか思い出しませんか?)

だから意識的にセルフコントロールして現状を変えようとする場合、主張がないとうまくいかない、と僕は考えています。

行動し続ける動機がないと、やっぱり動けないと思うので。

ただし、習慣化されたのであれば、話は別ですが。

三島由紀夫氏だったと思いますが、

「精神を凌駕することができるのは、習慣という怪物だけなのだ」

と語っています。

明日はこの続きを書いてみます。

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それは主張なのか?(自分という器クラス第三回)

昨日はLicense to beatの自分という器クラス第三回講座。

1年間を通したテーマとして、「どう生きたいのか」を認識し、それを言語化し、他者理解を得るようになる、というものがあるんだけれども、

出てくるものは主張になっていないなぁ、と僕自身感じるし、主張の定義からすると参加者それぞれも主張になっていないな、と理解してくれたと思います。

主張といえば島田さんや木坂さんということで、木坂さんのいう鉄板の公式は「○○だと思っていたが、実はxxだった(と思います)」であり、島田さんはピーター・ティールの「隠された真実」から「あなたが信じる、賛成する人のほとんどいない重要な真実は何ですか?」を紹介してくれています。

さらに主張という言葉を辞書で引いてみると、

「自分の意見や持論を他に認めさせようとして、強く言い張ること。また、その意見や持論。」

とgoo辞書にありますから、そもそも人が聞いて「そうだよね、それはもっともだよね」というものは主張にならない。

例えば、「会社は社員を大事に扱うべきだ」とかね。その実際のところはともかく、この「主張」を聞いても「いや、違うよ」とか「え!ホントにそう思うの?」と言う人は多くはないと思います。

だから、多くの人がそうだよね、そのとおりだよね、というものは主張にはならない。なぜなら、「認めさせる必要が無いから」です。

そこで今日新宿の紀伊國屋書店でみつけたのが、このポスター。堀江さん本のタイトルですね。

『99%の会社はいら…(たぶん、99%の会社はいらない、です)』

コレ見て、思わず立ち止まりました。これは主張だよな、と。

これは個人的な考えですが、主張というのは多くの人にとって(すべてはないと思いますが)、「ギョッ」とするものが多いんじゃないかな、と思う。

しかしそれなら、言葉ではなんとでも言えるわけでして、例えば堀江さんが『99%の会社はいらない』と「主張」するなら、その裏付けを人は感じ取るもの。

たぶんですが、堀江さんがこう言うと主張だと感じますが、オバマ大統領がこういってもギョッとはするけど「本当かな?」となる。

なぜなら、雇用を増やそうとしていることが一般的には知られているからです(裏を取っていないので、私見ということで)。

だから、主張というのは

*自分の意見や持論を他に認めさせようとして、強く言い張ること。また、その意見や持論

であり、

*多くの場合、それを聞いた第三者がギョッとするもの

であり、

*主張する言葉に根拠があるもの(身体性を伴うもの)

こんな感じかなぁ、と。だからこそ、

*○○だと思っていたが、実はxxだった。
*あなたが信じる、賛成する人のほとんどいない重要な真実は何ですか?

という公式や質問から導き出される。

多くの人が話すことは主張になっていないと(いうようなことを)木坂さんから聞きましたが、僕の認識では、人の目を気にするあまり、よく思われたいとか反感を買いたくないとか、そういう欲求が自分の主張から自分を遠ざけているんじゃないかな、と思うこともあります。

何者かになるためには、自分自身を知る必要がある。自分自身を知らないなら、自分が何者であるかを人に伝えることはできませんし、どんな価値を誰に提供できるのかもわからないんじゃないかと思う。

だからこそ自分の主張を書き出すというのは、とても大事なことだと僕は考えています。

まだ第三回。鳥取行ったり、大阪行ったり、アンコール・ワットに行ったりして、自分の器を広げ、深めていきましょう。

あなたの主張は、なんですか?それは人がギョッとするものですか?そしてその主張には、身体性を伴っていますか?

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小野の頭はデカイ!は主張にならない。

バランスが取れた脳というか心というか、穏やかな状態で在り続けるためには中庸であること、両極を知ることが必要、と考えています。

思考は飛躍したがるという言葉の通り、人は割とどちらかだけに偏ってしまいがちですが、両方経験してバランスを取りましょうよ、と。そんなふうに思います。

どんなことが自分に向いているかわからない場合、今の自分を掘り下げてもわからないことは普通だと思っていて、なぜなら、自分の中にその経験、言葉がないから。経験も言葉も無いのに、こんな生き方が向いているというのは出てくるはずがない。

こじつけたところでその場は偏るからこそラクに、いい気分になるかもしれないけれど、それは所詮メッキと同じ。いつかは、剥がれます。

掘り下げるというよりは広げてみて、バランスを取る。そういう両極もあるなぁ、と。

WHY HOW WHAT、Being Doing Havingの考え方について学んだことがあるならわかりやすいと思うのだけど、「どんなことが自分に向いているか」や「どう生きたいか」というのは、HOWやWHAT、DoingやHavingの話であり、「それはなぜか」が抜けている。なぜがないと、どう生きたいかもどんなことが自分に向いているかも自分という存在に紐付けすることはできない。

たとえば、世界中を飛び回る仕事がしたいと思っても、それって自分以外の人でもできるし、これだけを力説したって人には響きにくい。

いわゆる、主張になっていないってことですね。主張というのは前提として、「その主張と真逆の状態があるからこそ、それをひっくり返すために主張したい」という欲求があるはず。

小野の頭にベースボールキャップを被せようとしたら62cmのサイズが必要で、これは一般的な人なら55cmとかならば明らかに小野の頭は大きいとなる。

そんな状況のなかでサッと立ち上がって、

「皆さん、僕は言いたいことがあります!小野の頭はでかいんです!その証拠に普通は55cmなのに62cmもあるんです。こちらのデータを見てください・・・」

と声高に叫んでも、そりゃそうだろう、ってなる。明らかに頭がでかいということを証拠で持って示されていれば、それを叫んだって主張にはならない。

主張を辞書で引くと、「他者に認めさせたい」というような意味もあるようですから。

島田さんや木坂さんが言うところの、「ほとんどの人は主張になっていない」というのは、そうだろうなぁ、と。

データの取り扱いにも気をつけないとですね。誰かの都合が反映された結果、それを客観的であるかのように見せているデータなんてものもあるでしょうから。

結局のところは、なんでまぁこんなことしなければならないのだろう、と思うかもしれないけれども、自分で体感したこと、実際に経験したことに勝るデータというか、客観的な根拠はないように思えます。

自分もそう、他者もそう。頭で決めつけず、眺めて置いておくこと。

そういう決めつけない、宙ぶらりんのグレーな状況に自分をおいておける人ほど、僕はいい生き方をしているなぁ、と思います。

翻って、僕はどうだろう。

常に自問自答しつつ、実体験を求めて動きたいものです。

P.S.
長男次男は妻に似て、ビッグヘッドでないところがうれしいというかうれしくないというか・・・。

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