自分という器クラスのチャットから。

License to beatの自分という器クラスと言えば、島田さんの『ワイルドサイドを歩こうよ』にて、参加した皆さんからの感想を取り上げてもらったこともあり、

何をしようとしているクラスなのかというのは、読まれる人々の間に伝わり、それぞれ解釈されていると思います。

その解釈はどれも正解でしょうし、逆に言うと正解はないとも言えるのですが、ちょうどメンバーの一人が書き込んだこのメッセージが、自分という器クラスの活動を端的に表現しているので、今日はそれを紹介します。

近々募集を始めるかもしれない自分という器クラスに興味がある方はもちろん、そうでない方も眺めてみてくださると。

皆さんこんにちは、いかがお過ごしでしょうか。

島田さんのオフィスにあった「0 To 1」という本を読みまして、その後考えていることがあったので、参考までにシェアします。

著者のピーターティールは起業や研究に専念できるよう、彼のテストをクリアした若者に10万ドルの奨学金をサポートする取り組みをしているとのことでした。

そしてその「テスト」とは、僕らがテーマにしている「誰も気がついていない隠れた真実」や「主張」の発表とのことでした。
(若干うろ覚えなので、誤りがありましたら小野さん訂正お願いします・・・)

なので最近僕は
「僕は自分の主張で誰かに投資してもらえるように説得できるだろうか?」
「もし1,000万円投資してもらえたらどう使うか?」
など考えています。

ちょっと前までは
「会社の束縛から逃れたい」、「満員電車に乗りたくない」、「スーツを着たくない」
といった「やりたくないこと」ばかり浮かんできたのですが
そういった事を投資家に言っても説得力が無いな、と思ったので
最近は「やりたいこと」を中心に考えています。

「僕はこれこれやりたいことがあって、だからこういったビジネスを作ろうと思っているんです!」という話の方が、「それだけ情熱があるのなら君に投資しよう!」となるかなと思いまして。

先日の小野さんのセミナーで出た「本音」と言うテーマが今このコミュニティではホットですが、僕は何だかんだ言って一番やりたい事はバンドだ、と思いました。

仕事をしながら、自由時間や睡眠時間を削ってライティングをやっているモチベーションは正直な話、家族を幸せにしたいとか、金持ちになりたいとか、ではなくバンドをやりたいからです。

具体的なビジネスプランはまだ固まっていませんが、ライティングが何かの足掛かりになると信じて続けている次第です。

ディスカッションの流れから少々反れてしまいましたが、ここ数日書き込みがなかったこともあり、ちょっと書かせて頂きました。

彼を5年前から知っている僕としては、ある種の感慨深さがありますが、初めての場所に行き、初めての経験をし、初めての人と出会うことで、

自分という常識を飛び越えてきているな、と感じています。

エラく好青年印象の彼がこれまでの逆を行くかのように、

仕事をしながら、自由時間や睡眠時間を削ってライティングをやっているモチベーションは正直な話、家族を幸せにしたいとか、金持ちになりたいとか、ではなくバンドをやりたいからです。

と言ってきたところに僕はギョッとしましたし、本音とか主張というのはこういうものだよね、と思いました(一応、私見です)。

みずほっちの名言「結論:文字で読むより、話で聞くより、一緒に行動を共にするほうがよっぽど手っ取り早い」はここにも見て取れるなぁと思い、今日は紹介したく。

普段からチャットワークやスカイプを使い、自分の主張やキャッチフレーズ、それらを構成する言葉の定義を共有することなどなど、

実のところ、License to beatの案内でも書いた通り、割と地味な活動をしているクラスではありますが、半年経ったら目に見える変化をしてきています。

人と会う、人と時間と空間を過ごす、ということの意味合いが、変化してきているんじゃないかな、とも思えます。

どんな投げかけに応えられるよう、在り方も思考も稼ぐ力も、鍛え続けることを願いつつ、そろそろ課題の書き込みをしてくれないかなぁ、とも期待しつつ。

今日はこんなところで。

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ポジティブな言葉を選ぶということは、ネガティブを知らなければできない。

ワイルドサイドのインドツアー最終日。

昨日ハリドワールのバザールを歩いていた時にふと気付いた、

「仮に自分がインドのこの地で生まれていたとするならば、今のような生き方をするだろうか?」

という問いに対する答え。

これはルーツが大切とかコア・バリューとか在り方が大切とか、そんな日々の問いかけに対する一つの答えでもあるなぁ、と感じたのですが、

これについては機会があればまた書きたいと思います。今日はやや関係しつつも、別の話を。

僕は2014年の4月から、セルフイメージ先生と僕が呼ぶ小坂さんに言葉遣いを指摘してもらい、

それ以来脳にとって栄養のある言葉を選んで使ってきました。

例えば、「お金を困らないくらい稼ぎたい」というのではなく、「お金を十分に稼ぎたい」とかですね。

僕らが想像すること、話すことは全て、僕らが経験した、知っている言葉で語られますから、脳への影響を考えるとポジティブな意味合いの言葉を使ったほうがいいと思いましたし、この2年で実際にそれを体験していますから、

僕は常々、ポジティブな言葉を選んで使ったほうがいいですよ、ネガティブな言葉が口癖の人とは一緒にいないほうがいいですよ、と言い続けています。

しかし、先日書いた「気合系の言葉」に関するブログを書いたあとで、気合というのはある意味ポジティブな言葉を使っている結果だよな、とも思っていた次第。

今日、日本に帰る前にワイルドサイドの島田さんや伊藤カンちゃんと話をする中で、ポジティブの弊害という話題になり、ちょうど最近考えていたこととフィットしたのです。

話を聞きながら、確かにネガティブなことをなきものにしてポジティブに在ろうとしても、

そもそもの土台にそれがあるのだから、それをなきものにするって現実的じゃないよね、と。

例えばですが、ライティングをするにしても僕だって毎日毎日書きたい状態ではない。

書きたくないなぁ、とか

今日は休みたいなぁ、とか

なんでこの仕事を受けてしまったのかなぁ、とか

そういう風に思うことも多々ありますし、むしろそういう状態のほうが普通でしょう。

言うなればこれは、ネガティブな状態ですよね。その仕事に対して否定的な感情を抱いているわけですから。

僕の場合はその上で、仕事についてはただやるだけなのですが、だからこそ毎日の日課を行うことで、これがルーティン的な効果をもたらし、ライティングしやすい土壌をつくっている、というわけです。

否定的な感情を眺めた上で、思考する言葉や発する言葉は、ポジティブな言葉を選ぶ。

これは決して、ネガティブな状態をなきものにしようとしているわけではなく、それを眺めた上で、脳にとって効果的だからポジティブな言葉で表現しているってことなんですけど、

人によっては「全てポジティブんじゃないければダメなんだ!」なんて考えている人もいるかもしれないので、今日はこれを書いておこうと考えました。

ポジティブもネガティブも、人は内包しているものですし、両極があるから中庸で在ることができる。

「中庸が大切だと思うんですよね」

というようなことを島田さんが話していましたが、これは僕も同意です。

文脈を伝えるということは大切だなぁ、と思いつつ、

ネガティブを知っているからこそ、ポジティブな言葉を選ぶことができる。

これも伝えておきたいと思いました。

ネガティブもポジティブも眺めて認めた上で、生きていくこと。

中庸で、いきましょう。

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ゴミ拾いの理由(見た目の美しさだけが理由ではない)。

先ほど、神奈川に帰ってきました。明日からは、タイです。

インターネット回線が太いうちに、セールスライティングクラスのレビューをやろうとスケジュールしている最中でして、ライティングしたりプロモーションしたりと、飛ぶ前にやっておきたいなぁ、と考えています。

さて、ゴミ拾いの理由。

この話、ブログで書く予定はなかったのですが、ルーツに関する話に繋がりそうだということで、書いてみることにします。

街を歩いていると、カンとかビンとか、ゴミが落ちていることがあります。

場所によってはそれはそれはとんでもない状態でして、1つ2つ拾ってもどうにもならないようなところもあります。

一方で、え、こんなところにゴミなんてめずらしいな、なんて場所もあったりします。

かつての僕は、ゴミが落ちていると「キレイにしたい」と思いながらも、拾う姿を人に見られなくないので素通りするか、人目がなくなってから拾うかしていました。

しかし、日本でもタイでも、街を歩く度に「キレイじゃないなぁ」と思うのならば、ゴミ拾いした方がいいと考えましたし、

特にビンとかカンの場合、仮に長男や次男が踏んづけたら転んでしまってよろしくないだろうと、そう思うようになったんですね。

両極を経験することを勧める僕にしてみれば、人目があってもゴミ拾いする自分になれば、いずれ人目を気にしなくなるだろうと。それを標準化することで、どんな場面においても分け隔てなく、自分の行動を決めることができるようになるだろうと。

そう考え、今に至ります。

両手がふさがっていたり、一日ひとつ拾ったりすれば、それ以降はゴミ拾いしなくてオーケーという自分ルールを設定し、外出時はゴミ拾いするようにしているわけなんですが、

やはり面白いもので、やっているうちに人目を気にしなくなりました。それどころか、この街はここにゴミ箱があるな、なんてつぶやきながら、一日ひとつだけではなく、目につく限り拾ったりもするようになりました。

ちなみにこのゴミ拾いを誰かに勧めようとかは考えたことがありません。あくまでも僕の在り方に関することですから。

で、ですね。

伊勢神宮の内宮に両親といった帰り道、五十鈴川を車に向かって歩いていたんですけど、

そこで何やら拾い始めた僕を見て、母が

「アンタ、小学生の頃ディズニーランドに連れて行った時も、ゴミ拾っていたわよね」

と言うわけです。

思わず、「え、ホント?」と聞き返しましたが、母に言わせるとキレイなディズニーランドの中において、さらにゴミを拾う僕がいたそうで。

う〜ん、こうなってくるとキレイ好きというか、強迫観念がぐるぐる渦巻く感じの、少年時代だったのかもしれませんが、

人目を気にするあまりゴミ拾いをしなかった自分よりも、今のようにゴミ拾いする自分のほうがストレスが無いなぁ、とも思ったわけです。

ドラゴンクエスト・ミュージアムでワイルドサイドの島田さんが、

「幼いことに夢中になったこと、寝食を忘れて行ったことに、自分のコアがある場合もありますよね」

というようなことを話したのですが、

ああ、ゴミ拾いはオレのコアだったかと。

妙に納得した次第です。

ふとした行動と過去の記憶に、自分が大事にしてきたもののヒントが、あるのかもしれませんね。

P.S.
厳密に言うと、街を見て「キレイじゃないなぁ」と思ったり言ったりするくらいなら、ゴミを拾おう、という行動を僕はしたいんだなぁ、と。

そういう言葉だけの世界を、無くしたいんだろうな、僕は。

見た目の美しさだけではない、在り方の美しさを、求め続けているのです。

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経験が言葉をつくり、言葉が現実をつくる。

「どうすればこのセールスコピーでレジを鳴らすことができるか?」

こう考える時、おそらく人は過去の実績や体験、勉強したことを思い出して「数字を入れることでリアリティを増せば・・・」とか、「オファーを強くすれば・・・」とか、「売れたセールスレターをスワイプファイルにすれば・・・」とか考えると思います。

コア・バリューや在り方、どう生きたいのかを書き出す時も同様で、過去の体験とか憧れる生き方をする人を思い出しながら行うんじゃないかな、と。

現在地点を知るという意味でこのアプローチ方法は必要だと考えているし、すでに望む生き方は知っている、脳の中に在る、という立ち位置からすると、過去にできたことを1,000個書きだすとかのワークはいい方法だよな、と考えています。

しかし一方で、現状を変えたいと考えている自分がいるのだとしたら、過去を振り返るだけだとそこに答えはないかもしれない。そんな風にも考えています。

なぜなら、「どう生きたいか?」を考える時、出てくる言葉はすべて「経験した言葉」だから。

経験した言葉とはこの場合、聞いたことがある言葉、書いたことがある言葉、見たことがある言葉、話したことがある言葉、思考したことがある言葉、カンタンにいうと、自分の引き出しから取り出せることができる言葉。

書き出す時も考える時も、出てくる言葉というのはすべて、実は自分が過去に経験した言葉なんだと僕は考えています。

なるほど、過去に経験したことを思い出したり書き出したりすることはできる。

しかし現状を変化させたいと考えた時、「どう生きたいのか?」を書き出したり考えたりすることができるのだろうか?

なぜなら、自分の引き出しの中にその言葉がないかもしれないから。

引き出しの中にフォークやスプーンがないのに、それらを取り出すことはできない。

自分がどう生きたいのかを書き出す時に、引き出しにそれを適切に表現する言葉がなければ、それを書き出すことはできない。

だからこそ、インプットは大事、ということになるんですけど。経験は大事、人生経験は大事、ともいえます。インプットがアウトプットの寮も質も決めるのです。

僕らの今は、ある考え方によっては降って湧いてきたようなものではない。過去からの連続した運動によって、今が在る。未来も同じでしょう。今の連続によって、未来がつくられていく。

自分で選択をする時、過去の経験から「清水寺に行こう」とか「天龍寺に行こう」とか決めますよね。これはガイドブックを見ながらの選択でも同じです。ある言葉を選択することによって、僕らは現実をつくっていく。

経験が言葉をつくり、言葉が現実をつくる。

なんというか、自分の中に言葉がなければ、変化した現実、未来などつくりだせないんじゃないか、と思うわけで。

だからこそ、自分のエゴを破り捨てて、人と出会ってその人が経験したことを何でも体験するって大事だと僕は考える。選択肢が増えるたびに両極を体験し、経験を増やす。自分という常識を飛び越えた経験を、他者の話をそのまま聞くことで増やしていく。

この本いいですよ、と勧められたらそれを読んでみるとか、この映画いいですよ、と勧められたらそれを読んでみるとか、ですね。

自分が知っている言葉で現実がつくられるわけですから、「どう生きたいのか?」を書き出すならば、まずは知っている言葉を増やすことから。インプットとアウトプットは車の両輪。

ちなみに人の話を聞くときのコツは、思考と思考のハザマに入ること。すなわち、自分の経験を捨てることです。自分の経験と自分の言葉を捨てること。

その人が言いたいように聞く。聞きたいように聞くのではなく。

明日はアートに興味を持ったことについて。これは、僕が言葉の通じない場所に一人で旅をするアプローチと似ていることに気づきました。

では、今日はこのへんで。

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「それは本当にそうなのだろうか?」常識を鳥瞰するスキル。

「思考という器」クラスとして位置づける賢者舎、というよりもLicense to beatの3クラスに関するQ&Aセッション後、賢者舎のプレセミナーへ。

3期の時に比べると会場にはゆとりが感じられるほど、机と机の間が大きく取られていて、コレは今井先生が歩きまわるにふさわしい舞台だな、と。

生ライブセミナーのパフォーマンスは毎回楽しみにしていて、なんでかというと、会場の空気をつくりだす言葉、身振り手振り、そして今井先生の情熱を体感することができるから。なんというか、ああいう会場の顔ぶれや雰囲気見て、即興で空気をつくりだすのは、なかなか見ることができないものだと思う。ちょっと違うかもしれないけれど、職人芸というか、そんな感じ。

Q&Aセッションから参加したウメハラさんと一緒に一番前の席に座り、今井先生に挨拶。ウメハラさんは鳥取から飛行機で来たということで、その行動力に感心。3年前、アプレンティスが大阪開講だったとしたら、僕は行くかどうか正直わからないから。距離というハードルを飛び越えてやってくるというのは、それだけで望む場所で何かをやるということを実現しているということ。だから、いいなぁ、と。

ライブセミナーの休憩時間に、ビーコンメルマガから来ましたとカベさんが挨拶に来てくださり、さらにあたりを見渡すと、木坂さんのインプットクラス時には金髪だったオオサワさんの姿も。沖縄での車の中で、賢者舎について話したことを覚えていたとのこと。木坂さんのセミナーに参加するあたり、本質的なことを学ぶセンスがあるんだろうなということで賢者舎のことを話していたのですが、金髪を黒っぽく変え、早速プレセミナーに参加してくるあたり、行動力があるなぁ。

懇親会時、周りのグラスの空き具合を気にかけ、スッとドリンクを注文して持ってきてくれる(しかも今井先生スペシャルドリンクまで)カベさんの立ちまわりは、人生経験の豊富さを感じさせるもの。セールスコピーでもプロモーションでも、人生経験て大事なんですよね。どれだけいろんなことを経験し、どれだけいろんな人とコミュニケートしているかどうか。

さて、プレセミナー。

「人生は空間と時間と人間の間の限界。その限界を人生と呼ぶ」
「自由とは、3つの間の限界からの解放である」

そして

「あなたのあなた=我からの解放」

これまでもいい続けてこられた内容だけれども、とても簡潔に言い直された形式をみて、今井先生自身の研ぎ澄まされた感というか、スケールアップ感というか、参加者に合わせた形式の選択というか、そういう配慮が感じられるとともに、やっぱりコレはそのとおりだな、と。

自分というものを見つめる時、現在の自分を内側から見つめるだけではなくて、外からも鳥瞰するイメージ。そういう見つめ方じゃないと、自分という間の限界を眺めることはできないし、限界を眺められないということは、そこから外に出ることもできない。つまり、変化させることができない。なぜなら、鳥瞰して外から自分を眺めることができないと、どう変化させればいいかわからないし、変化を実感し得ないから。

コア・バリューや在り方を書き出す時はこの視点が大事。それを簡潔に話してくれるあたり、やっぱりおもしろいな、と。

「あなたのあなた=我からの解放」、という言葉からは、木坂さんがいう「それは本当にそうなのだろうか?」という問いかけを持つこととも通じるな、とも。

島田さんが「抽象度が高まると同じになるんですよね」という話をしていたのだけれど、本質的な話になればなるほど、そうだなぁ、と納得。

「まず自分のLife Styleを決めろ」
「そしてそれに合うことをやれ」

在り方を決める。そしてどう行動して何を得るか。Being→Doing→Having。

また半年、賢者舎で自己研鑚していこう。

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正解はない。

お楽しみ様です。小野貴正です。

1月の訪タイテーマも今日で一段落。

長男の学費を納め、次男の幼稚園を予約し、コンドミニアムも予約した。あとは妻に任せても大丈夫だろうということで、近々日本に戻ります。

戻ってからは打ち合わせとかプロモーションとかセミナー参加、ビーコン合宿に対面とスカイプコーチングなど、2月5日までは割と活発。2月6日からは國學院大學に通って神職免許を取得するため、1ヶ月ほど静かになる予定(表向きはです)。

3月後半にまたタイに戻るので、その時はタイ語の家庭教師をつけることになりそう。たまたま長男が通っていた塾っぽいところの先生が、「弟が翻訳とかタイ語と中国語などの先生をやっているの」となり、「よかったら家まで行って教えることもできるわよ」というので、ぜひ、となりました。タイのことなので、マイペンライでスルーしちゃうこともあるかもですが。

しかし3月からの新生活を迎えるにあたり、準備するのはなかなか面白いものです。食器とかベッドシーツとか、何色にして・・・みたいな話を妻にしています。明日で結婚8年目か9年目に入るのですが、思えばこういうことを今までやってこなかったな・・・とちょっとしみじみ。

生活の空間が変わるというのは、エライインパクトのある出来事だと思っていて、習慣を変えるのにももってこいだと考えています。長男次男が自主的に歯磨きとかごはんを食べるとかできるようになるよう、最初は特にタイでの生活時間を増やす予定。

日本には1ヶ月に一度戻る感じで打ち合わせやコーチング、セミナーなどを行うことができれば、と考えています。

日本でお世話になった家賃35,000円のアパートも、3月いっぱいでお別れ。8年間、結婚生活と同じくらい長く付き合った部屋ですから、やっぱり少しは感慨深くなる。

2016年はいろんなところで、新しい生活が始まります。

さて、正解はない。

打ち合わせやコーチングをしている時によく話す内容の一つに、正解はありません、というものがあります。例えばセールスライティングスキルを身につけることに関して、こうすればうまくいく、なんて方程式はない。

生まれ育ちはもちろん、現在に至るまでの過程が異なるわけですから、ある人にとっての正解が、別の人にとっての正解であることはマレ。正解が似ていることはあっても、同じことはまずないんじゃないかな、と思います。

例外は、原理原則的なこと。コレは在り方とかインサイドアウトとか、なぜそれをするのかとか、そういうもの。しかしこれは「型」としての正解であり、内容そのものではない。自分の価値観が他者と同じということは、まずないのですから(私見です)。

正解がないと、人はもやもやするもの。だから、仮にでもいいから「こうである」という絶対的な解が欲しくなる。

AはBで、BはCだったら、AはCである。こんな風に人生とかライティングスキルアップ方法とかを当てはめることができれば、どれほどラクか想像に難くないですし、こういうものを求めている人こそ、いわゆるノウハウコレクターとかチャンス追求型とかなんだろうと思います。

正解がないというもやもやした状況を、飲み込んでおいておく。望む人生を歩みたいならば、こういう在り方を身につけておきたいもの。

わからぬがよろしいで、いきましょう。

・・・とここまで書いたら、以前もこんなこと書いたな〜と思い出しました。

ついでに、と言ったら失礼ですが、ミスターアルケミストもそんなこと書いていましたので、紹介しますね。

(なんでもいいから)病名をつけて欲しい。
(Be Alchemistより)

P.S.
メルマガもはじめたみたいですよ。錬成陣とは、古風な感じにヤラれた。執行草舟さんに好まれそうだ・・・。

P.P.S.
写真は、長男の制服採寸会場。僕が知るかぎり、タイはどうも幼稚園から制服みたいです・・・高校まで、男の子は半ズボン。

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付き合う相手は変わり続ける。

お楽しみ様です。小野貴正です。

今日はバンコク近郊のサムットプラカーンに来ています。来ています、というか妻や長男次男が普段いるところもサムットプラカーンなんですけどね・・・なんというか、同じ県でもエライローカル色あふれるところに来たので。最近日本でも話題になっている田舎暮らしも、こんな感じなのかな〜って思う。ここは池というか沼というかに建てられた高床式住居みたいなところで、徒歩圏内にコンビニとかはないですし、夜になると足元が見えなくなるので、ハードル高そうです。

ところでサムットプラカーンは、バンコクの空の玄関口であるスワンナプーム空港があるところでもあります。なんかエライ広い県みたいです。

今訪れている家は妻の妹さんの元旦那さんのご実家です。タイでは事実婚が割と多くあり、妹さんもそうだったのですが、まあ一応元旦那さんということで。

娘さんにプレゼントあったらしく、それを代わりに届けて欲しいとのこと。それで僕らはついでに、ムーカタという日本で言うところの鉄板焼きというかすき焼きというか鍋というか、ああいうコンセプトの料理をごちそうになることになった、というわけです。

元旦那さんに会うのは久々でしたが、普通に歓迎してくれているようでよかったです。天真爛漫な妻の性格がなせる技でしょうか。

天真爛漫な妻といえば、日本に行くことを友達に話したところ、オニツカタイガーを買ってきてくれと頼まれていました。長男次男に雪を見せに行って温泉に入って日本の美味しいご飯を食べて、なんといっても日本のおじいちゃんおばあちゃんに長男次男を会わせようというコンセプトだったのに、渋谷で買い物はカンベンしてくれよ〜と思いつつも、冷静に対応。日本で買うとか言わないで、タイで買いなさいと。

タイだと高いからなんて言っているけど、タイでもできることを日本ですることもないだろうと。友達によくしてあげたいという気持ちはわかるけどね。

ケチだと言われたくないと妻は言うけれど、ちなみにケチはタイにおいて最高のよろしくない言葉の一つみたいですが(キーニャオ、と言います)、家族旅行に配慮がない友人なら変えるべきでしょうし、見栄を張らないと付き合えない友人なら、やっぱり変えるべきじゃないかと思う。

コレは僕自身にも同じことが言えて、僕の変化に合わせて付き合う相手は変わっていくもの。逆もまた然り。一期一会。

合わせる必要もなく、引っ張ってあげる必要もない。本来変化を好まない人の脳からしたら変化していく方こそ変わっているので、それに合わせて付き合う相手が変わっていく人ほど変化していると言えるかもしれません。

在り方、コア・バリューに向けて変化しだすと、悪意なく周りはそれを止めにかかるもの。家族であっても、仲の良い友人であってもです。全員では、ないですけどね。変化を好まない人間の習性からしたら、これは当然だとも思う。

だからこそ、そういう抵抗はステージが変わりつつあるぞ、というサインなんですよね。

在り方、コア・バリューに向けて変化するならば、周りの抵抗をチャンスだと捉えたいものです。

やらない言い訳もやる言い訳も全てあっち行けで、突き進みたいものだな〜と木製のリクライニングチェアでiPhone 片手に、そう思いました。

あ、犬に足を舐められました。タイでは狂犬病に注意ですよ〜

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