写経の秘密を暴露。

現在、メールを書きつつチェックしつつ、ブログを更新しています。

昨日から実家にお邪魔しているわけですが、土曜日と日曜日に宿泊した部屋のように、いや、実家とホテルはまあぜんぜん違う部屋なんですけれども、不思議なものでそこにいるかのような感じを覚えています。

ビジュアライズをする時、理想の一日を読み上げる時に現実感がない場合、それは単にその経験をしていないだけであって、それを経験すれば現実感が増してくるもの。

プリウスに乗りたいというならば、プリウスを試乗する。

BMWのX4に乗りたいならば、それに試乗する。

ただ読み上げるだけでも効果があると僕は思いますが、それでも実際はそれそのものの経験をしたり、近い経験をしに行っているので、「小野さんはただ読み上げているだけなんですか?」と聞かれたら、それは違う。

習慣化するためには「ただやり続ける」ことが大切といいますが(もちろんその前には、なぜそれをやるのかという必然性ですね)、実際には考えている・・・らしいです、人に言わせると、読み上げているだけではない。

いずれにせよ、実際に体験することが大切であり、時間と場所の自由を云々言っても、そこにリアリティがなければなかなか到達することが難しいだろうと。

会社勤めしている人が営業しているのを横目に人力車に乗ってみたり、同僚が東京で仕事している時にバンコクで仕事してみたり、妻が子どもと出かけている時に沖縄でミーティングしたり、

時間と場所の自由という言葉からもたらされる各々の定義は異なるでしょうが、それを経験することなしに「時間と場所の自由を手に入れる」ってわからないもの。

写経も同様で、いや、ワイルドサイドを歩こうよの島田さんが「小野さんも考えて写経していますよ」というようなことを書かれていたので、僕も気づいたわけですが、

*ただやり続ける

というステージの人もいれば(習慣化に取り組んでいる場合などですね)、

*セールスライティングスキルを上げる

というステージの人もいれば

*選ばれる人になる

というステージの人もいるわけで、各々により取り組むべき姿勢は、たぶん違う。

確かに僕の場合、ただ書き写しているだけともいえますが、写経題材は今必要なものを選んでいますし、例えばですが、その文章から書き手の人物像、考え方、コアなどなどを読み取ろうとしています。

例えば島田さんが書いた『PAPA PAZZO STRONZO』のレターを写経するとして、なぜこれを写経するのかというと、その書き手の人物像とか考え方とかこれまでの行動が見えてくるからです。

僕の場合難聴で、セミナーに参加してもほとんど聴き取れないこともある。しかし本質が同じである人物であれば、セミナーで話すこともレターで書くことも、抽象度を高めれば同じだろうと。木坂さんのレターを写経しているとこれに気づいたので、木坂さんのことを知ろうとして写経するわけです。

だからただ書き写しているとも言えるけれど、その実そうではないですよね、ってことで。

ある行動を習慣化し、3ヶ月とか6ヶ月で何らかの変化が自分自身を客観視した時に見られなければ、たぶん何かが足りないのかもしれません。

いずれにせよ、同じことをやり続けるにしても、変化ありきだと僕は思います。

その人の言葉だけではなく、実際の行動と得ている結果を、見ることもまた必要ということで。

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誰に学ぶかは「損得」じゃない。

セールスライティングを学ぼうとか、プロモーションを学ぼうとか、コンサルティングを学ぼうとか、そういう技術を学ぶ場合は「誰に学ぶか」が大切ですし、

目的意識というか、「何のためにこれを学ぶのか?」という視点もまた、大切かもしれません。

特に「何のためにこれを学ぶのか?」に必然性がないと、その技術を学び続けることはできないと考えていますから、僕の話を聞いたことがある人なら「ああ、そういえば」と思い出すかもしれません。

ビーコンライブセミナー@名古屋でも同じ話をしましたが、ことセールスライティングスキルについては、そのとおりになっていると感じている人もいるんじゃないかな、と思います。

1年前にセールスライティングスキルを身につけるぞと決め、今ではそれで収益を上げている人もいれば、そうでない人もいます。

セールスライティングを教える立場にいながらこういうことを言うのはどうかと思いましたが、実のところセールスライティングスキルを得るも得まいもそんなに大切な話ではなくて、

なぜならこれは、手段にすぎないからです。

目的を成し遂げるための手段。目的地に到達するための乗り物、ですね。

だから、タクシードライバーのデニーロみたいに、1年経ってから「ライティングは大切だ」と気づくなど、ステージが変化することでそれを学ぶことに必然性を見出す場合もありますが、

逆に今のステージにおいてはセールスライティングはいらない、と考えて、それを手放すこともまた大切だと僕は考えています。

もちろん、今のステージにおいて必然性を見出しているならば、やり続けることもできるでしょう(相応の追い込みは必要ですけどね)。

セールスライティングスキルを身に着けたいと思っている人たちの多くはそれ自体が目的になってしまっているので、僕からすると途中で迷走をはじめてしまうように見えるのですが、

本来であれば、何らかの実現したい生活とか世界観があって、そこに到達するためにこそセールスライティングスキルという手段を身に着けようとしているわけです。

これが、「何のためにこれを学ぶのか?」への回答、すなわち必然性が大切です、と言っている理由です。

すると自ずと次は、「じゃあ誰に学ぼうか?」となる。

これは誰でもいいというのが正直なところですが、個人的には身体性を伴った経験が見える人、という条件は必須とした方がいいと思います。

たまに、というか中には、どれだけたくさんのセールスレターを書いたとか、クライアントさんにどれだけの売上をもたらしたとか、有名人と写っている写真を掲載して権威性を醸し出しているとか、

そういうことをアピールしている方もいらっしゃいますが、個人的には僕はそういう人たちと距離を置くようにしています。

なぜなら、身体性を伴った経験をしているかどうか、実際にその人がそういう体験をしているかどうかはわかりえないので。

例えばダン・ケネディやマイケル・マスターソンと一緒に写った写真をFacebookとかに掲載している人がいたとして、それをいいなぁ、とは思うものの、

この人から教わろうとは思いません。なぜなら、

権威性を借りることで、自分の権威性を高めているように、僕には感じられるからです。

もちろん、ダン・ケネディやマイケル・マスターソンと一緒に何かをしていることが見て取れるならば、そんなことはないですけどね。

ダイレクト出版の小川さんみたいに。

損得じゃなくて、その人から身体性を伴った経験が見て取れるかどうか。

損得で考えてしまうと、数字とか写真とかに目が行ってしまいますから(証明できるならいいんですけど)。

自分の無意識、いわゆる「ビビったらゴー」とか「前のめりになったらゴー」とかを信じてほしいと思います。

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その行動に必然性、ありますか?

お楽しみ様です。小野貴正です。

コア・バリュー発見&自分プランニング合宿の旅館に電話して、合宿場所を確保。合宿場所を確保するついでに妻と長男次男の訪日航空券も手配しておこうということで、航空会社に電話。タイと日本、どちらのパスポートで航空券を買っておいたほうがいいのかを確認し、4人分を購入。初めての家族での訪日も決定しました。

これまで一度も日本には来たことがなかったので、個人的にも妻としてもエライ楽しみ。長男が「雪を見たい」と話していたことが、年末年始というタイミングでの訪日を決めました。妻が言うに、次男が2歳でエライ可愛いので、僕の両親にもまた会わせておいたほうがいいんじゃないか、両親も喜ぶのではないかとのこと。前回は次男の誕生時に、両親にはタイに来てもらい、会ってもらっていました。あれからもう2年。長男も次男も大きくなったので、確かに会ってほしいな〜と思っていたこともあり、いいタイミングかな、と。

というわけで今日は、必然性があることを2つ、行ったことになります。

最近、この必然性という単語を結構目にする機会、また体感する機会が増えています。『生くる』にも必然というテーマの章が登場。これは大事なことなんだろうな、と改めて思います。

氣になったら、というよりも違和感を感じたら、メルマガもFacebook広告も解除を進めていますが、一部は勉強のためにとまだ解除していません。すると届くのは、「◯◯のスキルを身につけよう」や「◯◯のスキルを身につけて自由になろう」というようなもの。そこに必然が透けてみえない。まず大事なのは◯◯というスキルではなく、どう在るべきか、だと思うのにな・・・。順番が逆、なんですよね。

これだと、お店や売り手は儲かっても、買い手であるお客さんはうまくいかないだろうな、と感じます。

そろそろ、氣づいていいと思う。

「こういう状態になれば成功だ」という、他者の洋服を借りてきて自分に着せるのは、無理があると。生まれも育ちも環境も違うのに、「成功の定義」が同じであるはずがないだろうと。もちろん、言葉としての成功は同じかもしれませんが。ゴールとしての成功は、違うものになるんだと思うんですよね・・・。

そのスキルを獲得することに、◯◯さんとしての必然性はあるのか?
なぜ、◯◯さんはそのスキルを獲得するのか?

なぜなぜなぜと繰り返し、そして俯瞰して自分を眺めることで、これらの回答がスッと出てくることもある。この回答が必然性を生み出すのだと思います。

現状維持を好む脳をゴールへと走らせようと思ったら、必然性がないとできない。誰でもいつでもゴールへと到達できるなら(できるんですけどね)、「3日坊主」という言葉は希少なはず。

セールスコピーを学ぶなら、セールスコピーに踊らされるのはどうかな、と思う。踊らされている自分を俯瞰して楽しめるくらいのスタンスが、ちょうどいいと思います。

素直に告白しておくと、躍らされるのは楽しいですけどね・・・。

とても多くの人が教材やセミナーを買っては次のものを買うようなので、それはそれで大事だよな、と思うものの・・・どうしたものか、と思う自分もいるので、ちょっと今日は必然性がらみでこんな内容を書きました。

参考になれば、幸いです。

P.S.
写真は父方で預かる八幡宮の狛犬(だったかな)。神職免許を取るのも、必然性がないとできないんだろうな、って思う。

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必然性、ある?

お楽しみ様です。小野貴正です。

昨日ベネマンのブログを見たときに、今年中に1,000回超えるな・・・というようなことを考えている自分に気づきました。それでコレはいよいよやめどきかな、と。「やる言い訳」は脳からウジャウジャ出てきそうですけどね、、、

1,000回超えるとか1万回超えるとか、そういう数は僕の場合、目的にはならない。たぶんコレをゴールにしていたら書き続けることはできない。書くなら書くなりの必然性が必要。そう僕は考えています。

ベネマンのブログの場合、今でも新しい読者さんを連れてきてくれますからコレはコレで役割の一つを実行してくれています。しかし、タイで人生の3分の1を過ごすための、というタイトルからすると、コレはすでに成し遂げているので目的を見失っている感はあるわけです。

僕は朝晩の日課を第2領域の仕事としているのですが、ココでやることは将来の自分への投資になるものを置いています。ルーチン化することで、ただやるだけで効果のある状態を生み出す。時間対効果が高くなるようにする。

以前も書きましたが、そろそろベネマンのブログは不定期更新に切り替え、別のメディアを更新し始めます。別のメディアはタイでタイバーツを得るための事業でもありますから、僕にとっては必然性がある。だからコレはやり続けることができる。

最近、賢者舎のスカイプゼミでも仕事でもビーコンコーチングでも、必然性という言葉をよく聞きます。もしくは、よく思います。コレは一つの、ゴールへと向かう動機なんじゃないか、いや、コレなしにゴールへと向かうことはできないんじゃないか、って思う。

40代に入った僕にしてみれば、必然性なしのスキル獲得もライフスタイル獲得も難しいんじゃないか、って感じています。一方で10代とか20代とかの若い人たちなら、お金そのものが動機になったりステータスが動機になったりもするのかもしれませんが、どうなんでしょう。

思えば今のライフスタイルを志向したのだって元はといえば、子どもが何か選択する時に、お金を理由にしてそれを諦めない、という願望があったからです。だから時間も場所もお金も自分でコントロールできるライフスタイルを獲得しようと決めた。

コレが人よりいい暮らしをするとかマンションを買うとか一軒家を買うとかだと、僕の場合はちょっと違う。もちろんあればいいし、欲しいは欲しい。でも、何かを差し出してでも欲しいかって言うと、そうはならない。

なぜならそれらはなくても僕自身生活できるからです。だから必然性がないってこと。

何となく思うのですが、それなりの年齢になれば単にお金とかモノって余程の状況にある人でない限り、動機にはならないんじゃないかな・・・。

だから自分の中に秘める必然性を探すこと。必然性っていうのは言い換えると、コア・バリューでもあるんじゃないかなって最近はよく思います。

P.S.
子どもにとっては見て聞くものすべてが必然性ありなんだろうな、って思います。この視点、大事だと思うんですけどね、、、

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