「なぜそれをやるのか?」は経験から生まれる。

コンドミニアムそばのスターバックスに来ています。

オフィスビルの1階に位置するこのスターバックスは平日こそ賑わいますが、土日は人もまばらで割と静か。

それでいて音声に寛容なタイだからか、店内でスカイプや電話で通話していても誰も僕を振り返らないし、皆思い思いに音声を楽しんでいます。

このへん、先ほどまでスカイプで打ち合わせをしていた日比野さんに伝えたのですが、文化の違いというか、電車のなかでの携帯電話の通話をマナー上おやめくださいという日本と、電車のなかでも携帯電話の通話をオーケーとするタイと、常に僕は二律背反のようなものを経験しているんですよね、だからいわゆる普通の感じ方や考え方とはちょっとずれているのだと思います、こんな感じに。

日本の文化はいいなと思うし、携帯の利便性を考えたら電車のなかで通話がしにくいってどうなのだろうと思うゆえ、タイの文化もいいなと思う。

両方よしでいいんじゃない、っていうのが僕のスタンスだったりします。

大体において、「こうでなければならない」ということは思い込みだったりしますから。

日本の電車しか経験していないと、電車のなかでは通話はやめておこうとなる人がほとんどだと思いますし、タイの電車しか経験していないと、電車のなかでは通話もオーケーとなる人がほとんどだと思います。

「なぜ、電車のなかで通話をしないのですか?」「なぜ、電車のなかで通話をするのですか?」

この「なぜ」に対する回答は、日本とタイとでは異なるでしょうし、なぜならそこで経験してこそ、この回答ができるはずだから(伝聞推定もありますね)。

経験してこそ、「なぜ」が生まれる。

僕は事業とかビジネスはもちろん、何かをはじめようとする時に必要なことを一つだけあげるとしたら、「なぜ」なんじゃないかな、と考えています。

「なぜ、ダイエットするのですか?」

「なぜ、タイと日本を行ったり来たりするのですか?」

「なぜ、会社員をやめて独立起業したいのですか?」

この時たぶん、伝聞推定で誰かが言っていたことを口にしてもそれをやり続ける原動力にはならなくて、自分自身が経験したことのみが原動力になる。

だからこそ、経験が必要なんだと思います、何かをはじめるには、身体性を伴った経験が。その「なぜ」に回答するには。

ビーコンのブログに登場する後藤さんだって日比野さんだって、何らかの経験があるからこそ今の選択をしているのであって、その行動には「なぜ」がある。

続けられるひととそうでないひとの違いのひとつは、「なぜ」があるかどうか。

僕はそういうふうに考えています。

「なぜ」今それをしているのか?「なぜ」セールスライティングを学ぶのか?「なぜ」独立したいのか?

もしなぜに対する回答が出てこない場合、自分の経験を幼いころから振り返ってみることが、そのヒントになるのかもしれませんね。

僕が毎日街に出るとゴミ拾いをする理由が、幼いころの行動に隠されていたように。

本当にやりたいことであれば、それは決して思いつきではなく、自分のなかに理由が隠されているはずですから。

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