自分の器より大きいことは、伝わらない。

現在、京都にいます。

明日はぽっちりライフプロジェクトにスタッフ参加し、翌日と翌々日はビーコンの皆さんと対面セッション。17日は名古屋に移動して19日から東京。

移動の際にできればなくしたいものはスーツケース。地下鉄や電車、バスに乗る時はもちろん、新幹線に乗るときも結構な場所を取りますし、周囲の人にとっても自分にとってもうれしいものではない。

特にこの間の蒲田駅から京浜東北線に乗った際、ない方がいいなぁ、と思いました。

究極的には手ぶらで移動して行く先々で仕事ができれば、と考えていますが、今それを実現するために何をするとしたら・・・ホテルをとってそこに荷物を送る程度。

これだと普通だよね、ということで、他の方法を編み出せればいいなぁ、とコーヒー飲みながら思案中です。

ところで京都。

そういう予感はありましたが、まぁエラい人が多い状況でして、グランヴィアのラウンジも席待ちの列ができているほど。

地下街のスターバックスとか他のコーヒー屋さんは言わずもがな、という感じでしたので、少し上がったところにある珈琲館まで移動して、現在これを書いています。

珈琲館PRIDEというキャッチフレーズに惹かれて注文した炭火珈琲。これを「飲み方」に書かれたとおりにストレートで一口、ミルクを入れて一口、ブラウンシュガーを入れて一口と飲んでみたところ、うお、これウマイ、って感じでしたので、

PRIDEと言うだけはあるなぁと感じつつ、人の多さに酔い気味だった気分も、薄っすらと遠い世界のようになってきました。

今、注文したパンケーキが届いたんですけど(珈琲館PRIDEの炭火珈琲とのセットがセオリーみたいでしたので)、そのパンケーキを見て隣の女性がドギマギしていたので、パンケーキと僕のギャップに驚いたのかな・・・。

先ほどなんばから京都に向かうバスの中で、昨日の『ワイルドサイドを歩こうよ』ブログで島田さんが書いていたことを思い出していたのですが(思い立って沖縄に日帰りで行ってきた、手ぶらだけれどもおみやげの柿の葉すしを持って、という話です)、

え、そんなことするのか、というようなことをまたやってきたなぁと思ったわけでして、ますます底知れぬ感が増してきたように思います。

僕は「人間の器」という言葉をカリスマ性とか格式とかそういう文脈ではなく、人間誰もが器のようなものだという意味で使うことが多いのですが、

今現在の自分の器よりも大きいことを言ったり「さもやっているかのように」見せかけても、瞬間最大風速で終わるかそもそも単に声を大にして叫んで終わるか程度で、

うまくいかないと考えています。

島田さんの場合、実際に行動と結果で見せてくれるので、この人の器は底知れないな、と思うわけです。

何かを人に伝える際は、今現在の自分という器を客観視して、その上で主観的に情熱を込めて、人に役立つように淡々と伝えることが大切だと考えているのですが、

世の中を見渡してみると、それができていないか、やっぱり自分の器以上のことを書いてしまっているとか、そんな印象を受けます。

自己肯定感とか自己重要感とか、まぁ、存在意義ですよね、誰かから認められるという。

それを求めるのはごく普通ですし、そういう意味では自分の器以上に背伸びしたくなることはわかる。

背伸びしてもいいけれど、やり方があるのだと僕は思っていまして、

それが「行動と結果」で示すこと、です。

宣言して、実際に行動して、その行動と結果を書く。宣言せずとも、実際に行動して、その行動と結果を書き、話す。

行動と結果の分だけ、自分という器は広がります。

広がった分だけ、人に伝えられることが増えていくんじゃないかなぁ、と僕は考えています。

学んだことをさも自分がオリジナルであるかのように語ったり(普通に考えれば、世の中で語られることの大部分がオリジナルなはずないのですが)しても、苦しくなるだけ。

だって、行動と結果でつくられた自分という器よりも大きいことを語ってしまっているし、それは人に伝わることがないから。

行動と結果を増やし、特に初めての経験を増やして自分という器を広げる。

年収目標とかそんな小さな器に自分を閉じ込めるのではなく、底知れず天井知らずの自分という器を広げる。

人は誰もが、ナンバーワンになれるんだと僕は考えているのですが、そんな生き方をする人々が増えればいいなぁ(そしたら同時に、オンリーワンですからね)。

ということで、これからホテルに行ってきますー。

良い日曜日を!

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「一番お世話になっている人たちを大事にせず、成功できるはずがない」言葉と行動。無意識は感じるもの。

先日のLicense to beat自分という器クラスで、セルフイメージ先生と呼ぶ小坂さんに話をしてもらった時、

「一番お世話になっている人たちを大事にせず、成功できるはずがない」

というような言葉とともに、ご両親と旅行に行ったり、世界2位のインセンティブツアーでお父さんをメキシコに招待したり、と言ったエピソードを話していました。

現在両親と一緒に父方の田舎である高知に来ており、先ほどお墓参りに行ってきたのですが、お墓から見える景色を眺めながら思い出したのが、その小坂さんの言葉。

人それぞれだと思いながらも、2015年に両親の実家へお墓参りをし、妻の両親の実家へお墓参りをした結果感じるのは、

心がスーッと軽くなる、ということです。不思議なんですけどね。

自己啓発の本でお馴染みのことといえば、「まず与えなさい」的な話だと思いますが、まず与えるべきはお世話になった人たち、両親や先祖たちなんじゃないかなぁ、と思ったりします。

これ、こういう風に感じるようになったのはここ1年程度のことなので、語るに足らないとは思いますが。

それでも、両親のお墓参りをすると両親が喜びますから、自分自身のことはさておき、これはいいことなんだろうな、というのは感じます。

言葉だけで両親や先祖を大事にするようなものだとどうかなと思いますが、お墓参りに行くとか旅行にいくとか、そういう行動を伴うものであれば、どんなことであってもいいことなんじゃないか、と。

身体性が大事だと感じるのは、こういうこともそうです。

その人の言葉だけを見るのではなく、行動と結果を見る。

同じように僕らも行動と結果が見られているわけですから、これからはますます、リアリティのある言葉を届けられるかが大事になると考えています。

実際にいる場所や行った場所の写真や動画、実際に見ている風景や会っている人との写真や動画もまた、しかり。

小坂さんが紹介してくれたとおり、人が一日思考する6万回のうち95%か98%は無意識で行っているということは、僕らの無意識もまた、ある人の発言や掲載する映像を感じ取っているかもしれません。

胡散臭さを感じるというのは、そこに行動と結果が伴っていない時が多いもの。身体性がないから、具体的な動詞と名詞で表現することができない。

これは私見ですが、なんか軽いな、とか、モヤモヤすると感じる文章は、形容詞や副詞などによる修飾表現が多いもの。よかったらチェックしてみてください。

ライティングを担う僕らにとって、お盆の時期は外に飛び出すいい機会です。

身体性を伴う経験をし、それを言葉にするトレーニングをしましょう。

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