憧れの存在であるからには、その人相応の責任がありそうだ。

ひとりごと
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親孝行ということで、たまに母と一緒に温泉に行きます。何でも温泉に行ってサウナと温泉を楽しむと、エラいよく眠れるのだとか。

それは僕も同様で、昨日はエラい足が冷えてしまい体温自体が下がっていたこともあり、温泉に行ってきました。

温泉に向けて走らせる車の中でふと母に言われた一言がありまして、それが、アンタはすぐ忘れるから自分のことしか興味が無いのよ、というもの。

自分のことしか興味が無いというのは、なかなか強烈な一言だなと感じつつ、しかしすぐ忘れるからと言うのはそのとおりだな、と思ったわけです。

たとえば、、、そう、年末にサッカーの日本代表でも活躍していた大久保選手に朝食でバッタリ会ったこととか。

そういえば昨年は、新横浜駅でバレーボールの元全日本代表だった大竹選手とすれ違い、新宿ではやはりサッカーのカズ選手の後ろ姿を見かけるなど、スポーツ選手に縁があったなぁ、と思い出しました。

いや、、、もしかしたらコレまでもすれ違ったりしているのだけれども、「自分のことしか興味がないから」気づかなかったのかもしれません。

元全日本のスポーツ選手とはいえ一般の人々同様の生活を送っているわけですから、「こうであるといいな」と何かを望むのはどうなのかなぁ、と思いつつ、ちょっとだけその時思ったことを。

後ろ姿だけでも「うお!貫禄あってカッコいい」、そんな存在感というのは、子どもたちやファンである大人たちにとっても憧れというか、勇気づけられるものだと思います。

実際、熱心にスポーツを観ることがない僕であっても、「うお!オーラがあるな、、、」と感じたりするほどでしたので。

だからこそやっぱり身なりや行き先にも気を遣っているんだろうな、とも感じました。

憧れの存在が、穴の空いたパンツを履いていたら、やっぱりショックでしょうからね。

その人相応の責任があるというか、そんなことを思いました。

ただ一人だけ、、、身体に合わない服を着ていたので、、、カラーコーディネートには全く定評のない僕がいうのも恐れ多いのですが、、、採寸してフルオーダーをオススメしたい人がいたので、、、

憧れの存在であってほしいなぁ、と少年少女の、そう思ったことを記しておきます。

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