決定論のパラダイムから自分を解放する。

コピーライティング
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セールスレターを作成する時、クライアントさんと打ち合わせしていてコレはハードルが高いな、と思う瞬間があります。

それは、事業への思い込みからユーザー目線、消費者目線に考えが及んでいないな、と感じたときです。そしてコレは、書く立場にいる僕自身もそう。思い込みで消費者目線はおろか、事業主目線も失念していたりします。俺様目線というか。

セールスレターのリサーチでも、「見込み客が信じていることは何か」という項目が登場しますが、この信じていることが実は間違っていて、それを理解してもらい、新しく信じるべきことを受け入れてもらうか、という論理構成は、レジを鳴らすかどうかを決めるひとつの山場だと考えています(もちろん、オファーが強いことのほうが大切なのですが・・・価格帯によっては、オファー以上に論理構成のほうが大切だと僕は感じています)。

事業、商品やサービスへの思い込みというのは面白いもので、本人にとってそれが白に見えていたら、実はグレーが正解であっても白に見えてしまうもの。

僕はよくやるのですが、コレは鶏だよね、と食べている時、え、それは豚だよ、と言われても、やっぱり鶏じゃん、として味わっていることってあります。

思い込みというのは、ちょっといい気になっているとやってくる、また油断していてもやってくる、しかし目には見えないもの。だから、コレを追い払うのには骨が折れます。

ちなみに僕の場合ではありますが、コレは思い込みなんじゃないか、と知らせてくれる体内信号に、「気色ばむ」、というものがあります。自分ひとりだと気づかないのですが、誰かに指摘されることで、このアラート機能が作動します。

要はちょっとムカッとするわけです。大切なのはムカッとしたことを放っておくことではなく、一歩踏み込んで「なぜムカッとしたのだろう」と振り返る。

核心に迫っていくとムカムカ度が高まるわけですが、それは自分に何らかの思い込みがあるんじゃないか、ということを認めにかかっているからなんですよね、たぶん。

一貫性の法則が働いて、一度「白だ」といったことは取り消したくないわけです。「グレーかも」と思うこと自体、一貫性が働きませんから、なんだか気持ちが良くないぞ、とムカムカしてくる。

しかし深呼吸、息を思い切り吐いて思い切り吸って、をゆっくりやると、ムカムカが薄らいでいって、心が冷静になっていきます。肺から空気が出ていき、そしてまた空気が入っていく様子を内側から眺める感じですね、視線は。

瞑想をする、思考と思考のハザマに入る、などできる場合は、コレもオススメです。

が、もっとカンタンな方法があるとするならば、それは海外で生活してみること。

例えばタイに来ると、車は日本と同じで左側通行右ハンドルですが、日本と違って車優先です。歩行者がいても、停まってくれる車はほとんどありません。コレは、タイに限らないと思いますが。

お椀を持って食べることはキホンNGですし、電車の中では携帯電話の通話ありです。まあコレも、タイに限りませんが。

違う環境に身を置くことで、自分の中の常識というものが思い込みに過ぎないことに気づくと、かつての常識が部分的なものに書き換えられていくもの。

色眼鏡が分厚ければ、海外に出ても色眼鏡を外すことはできないかもしれませんけど…。

コヴィー博士がいうところの、決定論のパラダイムに縛られている場合です。

「私はこうだから」と自分で決めつけることで思い込みを強くし、その思い込みを裏付ける証拠を自分でつくり上げてしまう(人間は見たいものしか見ませんからね)。

決めてかかるのではなく、思い込んでいるんじゃないかと疑いながら自分や事業を眺める。

自分の視線とお客さんの視線の真ん中に、商品やサービス、事業があるのですから。

コメント

  1. いた より:

    話の筋からは少し外れるかも知れませんが・・・。

    タイの車優先は知っておりますが、NZは日本以上に歩行者優先という経験をしました。優先というよりも停まるゆとりがあるという感じでしょうか。

    また、ラオス人の子に「茶碗を持て!」、「みそ汁をスプーンで食べるな!」と躾けなければならず、常識と非常識の狭間で生活しています。

    違う環境に身をおくために海外に行くことは敷居が高いですが、人の家で居候するだけでも気づきはあるかもしれませんね。

    • ono takamasa より:

      いたさん、ありがとうございます。

      ゆとりがある、なるほど、それはいい優先意識ですね。
      停まるゆとりを、もちたいものです。

      茶碗を持て!なるほど、まあ、そうですよね。
      茶碗を持って食べない文化から
      持って食べる文化へと行くと、通る道です。

      文化の違いは違いとして「なぜそうなのか?」を
      長男次男に伝えていきたいと考える今日このごろです。

      個人的には、長男次男にとっての祖父母、
      僕の両親ですね、しつけてもらうのが
      三方良しです。

  2. より:

    毎度どうも。少し長文で失礼します。

    * 確証バイアスの外し方

    科学には常につきまとう問題ですので、ご参考までに、個人的な経験則をご紹介しておきます。

    よく言われるのは(小野くんも指摘しているように)

    * 常に判断を疑うこと
    * 反対(異なる)意見(の可能性)を考えること(許容すること)
    * 他者の意見を聞くこと

    などですが、ブログに書かれているように人は「これだ!」と一旦信じるとなかなか他の意見を受け入れにくくなるものですし、コンコルド効果のように自分がこれまで信じて投資してきた労力を破棄するのはかなりの勇気と決断力がいります。

    基本的に、認知バイアスは、主観的(経験的)判断、によるところが大きいものなので、逆に、客観的(論理的合理的)判断、に寄与する材料を増やすことで確証バイアスによる誤った判断を減らしていける、と考えられます。

    (ただし、確証バイアスがかかった状態だとたとえ客観的な結果を得たとしても解釈の部分でバイアスがかかる可能性もありますし、逆に確証バイアスが常に悪というわけでもないと思います(私見です)、時には直感も大事ですし、天動説-地動説のようにパラダムシフトが起きる時にはマイノリティな意見を信じ続けるエネルギーが必要ですし)

    では、客観的判断材料、とは?

    # これも議論を深められるところだとは思いますが、

    一般的に科学的な作業では、

    * データ(観察結果、実験結果)
    * 論理(計算、手続き)

    を重視します。

    # もちろん、実験方法、計算方法、結果の解釈でバイアスの影響を受けることはあります
    # 統計の検定方法などはその典型例で、有意差を出すためにあの手この手で色々なインチキ?な手を使えます…

    —-
    この客観的データを取得する手続きで私がいつも注意していることは主に以下の点です。

    1. 焦らず一つ一つ
    2. 途中結果を記録(確認)する
    3. 違う方法を試す

    職業柄、プログラミングや計算、実験を多く行いますが、その時常につきまとう不安が「もしかしたら間違っているかもしれない」という思いです(ある意味、常に疑っている、わけですが)。

    コンピュータプログラミングは1割開発、9割デバッグ、と言われるくらい、バグがあるのが当たり前で、如何にバグを少なくプログラミングするかがプログラマーの腕の見せ所になったります。

    小野くんの時折言うところの、量が大事、というコンセプトと対立するように思えるかもしれませんが、実はそうでもなく「焦らず一つ一つ」と「量が大事」は両立すると考えています。

    焦ると結局先入観や経験に頼ることになるので結論(意思決定)までショートカットをしがちで論理的思考を止めがちになるから、です。違う方法を試すことで、ある意味、初めの判断を検算(検証)することができます。2*4=8を、4*2=8、8/4=2あるいは2+2+2+2=16、と計算してみる、というような感じです。多角的に物事を見ることで客観性にもつながります。

    # 鶏肉、豚肉の味・風味といったような、味覚、嗅覚、に関しては、現代科学ではデジタルデータ化が難しいので記録するのはなかなか難しく、結局、主観に頼らざるを得ないところはありますが。

    いつか何かのご参考までに。

    • ono takamasa より:

      ありがとうございます。

      焦らず一つ一つと量が大事は両立する。

      僕もそう思います。

      適切な表現かどうかはわかりませんが、
      適切なやり方というのはあって、
      その上での量が大切と考えています。

      適切なやり方は本とか誰かに学ぶとか、
      先人に学ぶでもいいですし、
      経験から導き出された何かでも。

      多角的に物事を見ることが客観性にもつながる。

      たくさんの視点を持ちたいと思いながら
      コピー書いています。

      またコメントお待ちしていますね。

  3. より:

    2+2+2+2=8

    でした…

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