アンコール・ワット。続き。

ビート・ザ・コントロール
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初日はウイスキー一気飲みのせいなのかどうなのかわからないけれども、ヨートの再三のドアノックにも関わらず起きることができず・・・二日目も理由は失念しましたが起きることはできず・・・ついに起きることができたのは三日目の朝。

とはいってもこの日もヨートがドアノックをしてくれたから起きることができたのでありまして、ヨートの後ろにまたがると「飛ばすから」と一声かけられ、バイクは漆黒の闇を疾走。

そういえばこのあたりに「地雷注意」の立て看板があったんじゃなかったかな・・・なんて僕のビビリなど気にせず、アンコール・ワットの日の出に間に合わせるためにヨートのバイクは疾走する。

途中アンコール・ワットに向かうバイクや車をビュンビュンかわし、まだ日が昇っていないせいか普段は見張りのいる検問さえもビュンと疾走。

ようやく見えてきたと思ったら、あっという間にアンコール・ワットの入口付近までたどり着き、ヨートはスピードを落とし、「着いたよ」とニコリ。

そんなヨートに感謝しつつ、僕は一緒に日の出を見に来た通称クマさんと向かって右側の池の前に陣取る。

既にアンコール・ワットの中は観光しているし、アンコール・トムだってタ・ケウだってタ・プロームだって見た。トルコのカッパドキアだって地下都市だってサフランボルだってガラタ橋だって見ているし、ギリシャのパルテノン神殿やロドス島の旧市街、オーストリアならウィーンの町並みもモーツァルト像もドナウ川もシェーンブルン宮殿も、ドイツならロマンチック街道沿いのホーエンシュヴァンガウ城もノイシュヴァンシュタイン城も、スイスならグリンデルワルトからアイガーだってユングフラウだって見ている。ベルギーのグランプラスに行って小便小僧を見たときは、まあこんなものかって思ったっけ・・・。

これは人それぞれだと思いますが、僕は観光地に行ってもそれほど感動はしない。感動の源泉は人とのふれあいであって、今でも覚えているのは上海のカーネーション売りの女の子だし、バンコクの無邪気に明るい洋服屋さんの女性だし、チェンマイのバービアにいた女性だし、サフランボルで日本とトルコの歴史を教えてくれた少年たちだし、ウィーンで出会ったイタリア人紳士だし、カッパドキアの地下都市を一緒に見たオーストラリアの青年だ。

そんなわけだから、スーリヤヴァルマン2世には恐縮だけれども、アンコール・ワットには期待していなかったし、アンコール・ワットの日の出など、どうせ観光客向けのデモンストレーションでしょ、程度にしか思っていませんでした。

アンコール・ワットの背後から、太陽が姿を現すまでは。

観光客でざわついていたアンコール・ワットの正面ではありましたが、太陽の光がアンコール・ワットの背後から昇るにしたがい、やがてあたりの静けさが増す。

段々と昇る太陽の光が池の周囲にあった草の露に反射し、僕らの周りはまばゆい光に徐々に包まれていく。

草の露が煌めくとともに木々や鳥も生命を宿したかのように胎動をはじめ、不意に人の気配もまた感じるようになる。

アンコール・ワットの背後から太陽が昇るに連れて、周囲の明るさは増していき、池を見るとアンコール・ワットのシルエットが浮かび上がっている。

どんどん明るくなる周囲とは反対に、アンコール・ワットは真っ黒なまま。

太陽の上昇とともに植物も動物も、そして僕ら人間も活動を始めるというのに、アンコール・ワットは眠ったままのようだ。

ああ、これは、時の王がどれだけ偉大であったかを称えるために造られたに違いないと思った瞬間、目には涙が溢れていました・・・。

アンコール・ワットの日の出だけなんだよね・・・観光地で涙を流したのは。

P.S.
ス、スミマセン、、、写真はタイ・・・多分、アユタヤかどこかだと。

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