遊んでいい人。そうでない人。

ビート・ザ・コントロール
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何かを成し遂げたいと考えている人向けに今日は書きます。

2日前に書いたブログの記事、仕事も遊びも大切という言葉を紹介し、アイデアを出すことが仕事である場合、遊びも大切ですよね、という話をしました。

この遊びというのはとても便利な言葉だと思っておりまして、自己投資的な遊びを意味することもあれば、本人は自己投資だと思っていてもハタから見ると浪費的な遊びを意味していることもあります。

しかし個人的には、遊びはすべて自己投資だろう・・・と解釈できないでもないのですが・・・うーん、どうだろう。自己投資以外に遊んでいる人って、いるのかな・・・。

うーん・・・たぶんですが、自己投資としての遊び、自己投資としての息抜きの時間というのは、それをやった結果、仕事でも生活でも望むようになってきている場合かな、と思います。

では、自己投資として遊んだほうがいい人とそうでない人、どう判断するのか。

このあたり、どう判断すればいいのですか?と言うようなことを以前聞かれたような気もしますので、僕の私見を書いておこうと思います。

あ、この場合は「誰と遊ぶか、遊ばないか」ではなくて、「本人が」遊んだほうがいいかそうでないかです。

自己投資としての遊びの時間を取ったほうがいい人は・・・他の方から求められて、何かをしてください、と言われた人かな、と思います。他者から認められるようになった人。

なぜなら、何らかの価値を提供できているから他の方々から求められるのだと思うからです。

だから逆に、何も他の方々から求められていない場合は、まだ遊ばないほうがいいんじゃないか。もっと仕事や学びなどに没頭した方がいいのではないか。そう僕は考えています。

僕の経験で恐縮なのですが、どこにも行かず、ただセールスレターを書くためだけにアパートやファミレス、喫茶店、シェアオフィスを行き来し、それが修行だとか、遊びがないとは思わなかったけれども、それだけに没頭する時間というのは確かに必要で。

だからこそ、他の人からセールスライティングの仕事を求められたり、コーチングの依頼が来たり、プロモーションの仕事の誘いが来たんじゃないのかな、と思っています。

コレは単に実績を得るとは別のものかもしれません。実績を得たからと言って、他の人から何かを求められるかというと、そうではないですから。

たぶん、「この人はこれだけやっていることがわかるから、安心できる」または、「これだけやっていることがわかるから、応援したい」だから、コレをお願いしてみよう、のような期待感が最初にあって、だから、お願いされる。

期待感がなければ、お願いされない。

では、どうやって期待感というのは生まれていたのか?

適確な表現はほかにあるかもしれませんが、「がむしゃらさ」じゃないかなぁ、と思います。

もうここ以外に居場所はないと、完全燃焼どころか燃え尽きんばかりのエネルギーを注ぎ込む人。

そんな人がいたら、仕事は自然と集まってきそうですし、実際にそうなのだろうと感じています。

そういう人だからこそ、遊んだほうがいいのだと僕は考えていますし、そうすることで次のステージへのアイデアが生まれ、より良く価値を世の中に提供できるようになる。

自分の現在地点、まだ到達地点次第かな、やっぱり。

遊びと聞いて、甘える人が続出しませんように。

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