当たり前の基準。

ビート・ザ・コントロール
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毎月、収支レポートを送ることが顧問契約条件に入っていたと思うのですが、これまで一度も収支レポートが送られてきたことがない・・・。

そんな話を島田さんに相談したら気を遣ってくれて、担当税理士さんにちらっと伝えてみてくれたらおかげさまで少し改善。

「毎月収支レポートがほしいので、いつまでに資料を送ればいいですか」と聞いても返信がないし、その代わりに不足資料はこれで・・・とか来る。不足資料はもちろん送付する必要があるけれど、送られてくるメールに僕からの質問に対する回答がないということは、なんか噛み合っていないな、と思ってしまうわけでして、そういう方とはちょっと連絡がしづらくなります。お会いして話ができれば、とは言われているものの、他の方々に時間を使う必要があるので、ちょっとな・・・。

税理士選びは相性が大切とは聞いたことが有りますが、これは保険とかもそうだと思うんですけど、なかなか奥が深いと学んでいます。だから士業というのは、マーケティング視点からすると市場が大きいのかなあ、とかですね。

仕事をしていて思うのは、当たり前のことを当たり前にできていないのはなぜだろうということでして、お客さんのところに訪問するならばその人とか会社に関して下調べをするものですし、ライティングに関して言えばファイル形式とか技術的なことは自分で調べ、どうにもわからなければその旨伝えて教えてもらう、とかですね。

アタックスの横山さんが当たり前の基準が低すぎる人が多い、というコラムやメルマガを書いていますが、そう感じているのは僕だけではないんだな、と思うようになりました。

かつて、あるファイルの検収をしていた時、誤字脱字のチェックや改行位置、文字サイズや形式などなど、納品するに相応しいレベルには最低限なるよう意識していましたが、

人によっては僕のやっているレベルは高すぎるといいますし、それで当然という人もいますし、もうちょっとできるよね、という人もいます。

昨日紹介した大前研一さんの言葉を思い出してみると、人が変化するには、時間配分・住む場所・付き合う人を変える必要があるとのことでしたが、当たり前の基準というのもたぶん、付き合う人によって変化するものなんだと感じています。もちろん、時間配分も住む場所も、変化の触媒になる。

プロモーションの動きを見る時、島田さんの例ですが、まあどちらでもいいんじゃないってところには指摘をしないけれど、大切なポイントについてはエラく細やかな指摘をしてくる。

それをクリアしていくためには自分自身の基準値も上げる必要があるわけですが、そんなことを毎日のように行っていけば、それは自然と当たり前の基準も上がるだろうと。

そういえばオウンドメディアの記事を納品する際、元部下だったケヴィンが「小野さんのおかげで細やかにチェックするようになりました」と言ってくれたことがあったのですが、上司もまた、部下の当たり前の基準を引き上げる存在なんだなあと思ったものです。

一緒にいる人のように人はなる、とはよく言う話ですが、これは1年とか2年とか3年経って自然とそうなっているもの。

師は弟子以上にものを知っている、とは僕が最近意識することですが、この人と決めた人を信じ、1年2年3年と行動をともにすることって大切だと、僕は思います。

新年度ですし、この人、というのがすでにいるならば行動をともにするよう時間的にも経済的にもゆとりができるように動いてほしいとおもいますし、この人というのはいないならば、決めて他を断つといいかもしれません。

あ、大前研一さんが言うに、「無意味なのは、決意を新たにすることだ」ですし、これは気合系の言葉は不要ですよ、と僕が言っていることにも通じるかと思います。

時間配分を変える・住む場所を変える・付き合う人を変える。

動いていきましょう。

P.S.
写真はトイザらスのレジのところにあったラッピング群。こういう仕組みをつくらないとね・・・。

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