アタリマエのことをやる、ということ。

コピーライティング
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昨日の続き。

妻の健康診断の続きのために、今日は次男を幼稚園に送ったあとで、バイクタクシーを使って先に病院入りした妻と合流。

10時には帰ることができるかなと考えていたら、健診などのために気づいたら13時過ぎに。

めずらしくふたりで話す機会があったので、いい話もあればそうでない話も。

割と激情的な一面を妻も僕も持っているので、何度か言い合いしながら午後を過ごしていました。

難聴であってタイ語を母国語としない僕だからといって、コミュニケーションをしないことは言い訳にならない。

そんなことを思ったこの2週間でした。

一緒に住んでいようがそうでなかろうが、家庭を営む以上は話したほうが良いことだってある。

そういうふうに見ていたのかと驚いたことのひとつに、あなたは子どもたちが好きなんであって、私のことは好きではないんでしょう、というふうに言われたこと。

これには面食らいまして、人の気持ちというのは自分の思い至らないところだったりする。

アタリマエのことをアタリマエにしないと、いや、アタリマエというレベル以上にやらんとな、と今日は一日反省しておりました。

ちなみにですがこれ、セールスライティングの仕事をするときにも同じことが言えますね。

教材を買ってセミナーに参加して知識は身につけている人は僕が想像する以上にたくさんいるはずです。いつだったか覚えていませんが、ある時のダイレクト出版さんの書籍かレスポンスチームのメルマガ読者が10万人とかですから、今ではもっと増えているのかもしれませんが、相当な人が学んではいる(はず)。

しかしこれもダイレクト出版さんのメルマガでの話ですが、読者からの相談で、仕事が取れないというふうに言われる方々もいると。

一概にこれが仕事を取れない原因だとはいい切れませんが、個人的な経験から挙げてみると、「営業しない」「実戦で書いていない(から机上の空論でレジが鳴らない)」、そして、「ビジネスマナーを身に着けていない」とかかな、やっぱり。

なかでも「ビジネスマナーを身に着けていない」というのはどうかなぁ、と思う次第でして、メールの送り方、あいさつの仕方、上座とか下座とか、うーん、個人的に書いていて失笑してしまうのですが、

相手を慮る、相手に配慮する、ということは心がけたいところです。別に敬語が変だっていい、やり取りに配慮があれば、伝わるもの。

人から仕事を請け負うならば、アタリマエのことを身に着けておく必要があると僕は考えています(請け負わないなら、必要ではないかもしれません)。

いつぞやのブログでも書きましたが、仕事を引き受けたのに連絡が不通になるとか、自分の権利を主張するのにクライアントの意向を汲み取らずにコピーを書くとか、はたから聞いてみるとホントですか?と思えるようなことでも、実際のところその人本人ができていないことってよくあります。

人との約束を守るということは、自分との約束を守るということでもあると思うんですけれど、守らないということをやってしまうと、無意識に染み込んでいくから、よろしくない。

逆に言うと、アタリマエのことをやれる人であれば、それだけで他の人とは違って見えるってことなんですけども・・・

こういうところを、大切にしようと、妻とのコミュニケーションから思いました。

降り続く雨の雲間から、差し込む光ってキレイですね。

明日は日本に戻ります。

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