息が合ってきてうれしいです。

あうんの呼吸とはよく言ったもので、メールとかチャットワークでのやり取りだけなんだけれども、我が意を得たりというメッセージが届いたりすると、うれしくなる。

野球をやっていた頃、父に教わったのは、ピッチャーと呼吸を合わせなさい、というもの。割と打つ方だったのですが、それは呼吸を合わせていたことが原因なのかもしれません。

バッターボックスに入る前、ピッチャーを観察して「あ、いま吸って・・・吐いた」と確認しつつ、バッターボックスに入って同じように吸って吐く。

するとピッチャーが投げるタイミングも伝わってくるのでリラックスしてボールを待てるようになる。

後は来た球を打つだけ、という感じで打っていました。まぁ、ストレートかカーブかまでは呼吸を合わせられなかったので、ストレートのタイミングで待ってカーブはおっつけて打つ。久々に、野球を思い出しました。

不思議なもので、野球の場合は敵であるピッチャーでも、呼吸を合わせて打たせてもらうとなんか親近感が湧くんですよね。ほら打ったでしょ、そうだね打たれたね、みたいな。

一塁ベースとか二塁ベースからピッチャーに対して微笑みかける。ある意味イヤらしいバッターだったのかなぁ、と。ついでに、サイン読むのも、得意だったんですよね。読むというより、キャッチャーのサインが見えたら分析するだけですが。今は、やってはいけないそうですけど。

呼吸が合うと、距離感が近くなるというか、そういううれしさを僕は感じます。

人間同士、地面とか空間を通じて意思疎通しあっているというか。そういうものが感じにくくなっているような今だからこそ、息が合ってきてうれしいです、と言われるとうれしくなる。

人に何かを伝える時、アウトプットするときは論理的に根拠をもって実存を伝えたいと思うからこそ、インプットを学ぶわけですが、僕自身が一人でどこかにいる時には、人の表情とか放つ雰囲気とか、木々や草花のざわめきやゆらぎとか、風がもたらす感じとかね、そういうものを胸を開く・・・肋骨を開いてそこから目一杯取り込むようにしています。

もっというと、僕が今いる新宿の三井ビルとか橋梁部とか、そういう一見無機質なものからも表情をもらうというか、波をもらうというか。

最近はダンコレのコピーを書いているので、堂々と人を凝視する機会でもありますし、実際人のファッションは面白いなぁ、と。着ているものからもいい雰囲気が伝わってくるなぁ、とか。

妻と話したことがないから、この感覚についてはわかりませんが、例えば光に対して強い目を持っているのは日本人だと聞いたことがあります。

太陽の光に眩しいは眩しいけれども、別にサングラスを掛けるほどではない、という意味での強い目です。もちろん個人差はありますが。

妻と一緒にいると、どうもタイの方々は光に対してそんなに強いわけではないっぽい。

光に強いということは、様々な色彩を感じられる目を持っているとも言えるのかなぁ、と。

日本の四季が育ててくれた目なんじゃなかな、と私見たっぷりに思ったり。

あうんの呼吸とか以心伝心とかもそうですが、息子たちにはこういう感覚を伝えていきたいなぁ、と。

そう思った今日の午前、新宿にて。

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