小野の頭はデカイ!は主張にならない。

ビート・ザ・コントロール
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バランスが取れた脳というか心というか、穏やかな状態で在り続けるためには中庸であること、両極を知ることが必要、と考えています。

思考は飛躍したがるという言葉の通り、人は割とどちらかだけに偏ってしまいがちですが、両方経験してバランスを取りましょうよ、と。そんなふうに思います。

どんなことが自分に向いているかわからない場合、今の自分を掘り下げてもわからないことは普通だと思っていて、なぜなら、自分の中にその経験、言葉がないから。経験も言葉も無いのに、こんな生き方が向いているというのは出てくるはずがない。

こじつけたところでその場は偏るからこそラクに、いい気分になるかもしれないけれど、それは所詮メッキと同じ。いつかは、剥がれます。

掘り下げるというよりは広げてみて、バランスを取る。そういう両極もあるなぁ、と。

WHY HOW WHAT、Being Doing Havingの考え方について学んだことがあるならわかりやすいと思うのだけど、「どんなことが自分に向いているか」や「どう生きたいか」というのは、HOWやWHAT、DoingやHavingの話であり、「それはなぜか」が抜けている。なぜがないと、どう生きたいかもどんなことが自分に向いているかも自分という存在に紐付けすることはできない。

たとえば、世界中を飛び回る仕事がしたいと思っても、それって自分以外の人でもできるし、これだけを力説したって人には響きにくい。

いわゆる、主張になっていないってことですね。主張というのは前提として、「その主張と真逆の状態があるからこそ、それをひっくり返すために主張したい」という欲求があるはず。

小野の頭にベースボールキャップを被せようとしたら62cmのサイズが必要で、これは一般的な人なら55cmとかならば明らかに小野の頭は大きいとなる。

そんな状況のなかでサッと立ち上がって、

「皆さん、僕は言いたいことがあります!小野の頭はでかいんです!その証拠に普通は55cmなのに62cmもあるんです。こちらのデータを見てください・・・」

と声高に叫んでも、そりゃそうだろう、ってなる。明らかに頭がでかいということを証拠で持って示されていれば、それを叫んだって主張にはならない。

主張を辞書で引くと、「他者に認めさせたい」というような意味もあるようですから。

島田さんや木坂さんが言うところの、「ほとんどの人は主張になっていない」というのは、そうだろうなぁ、と。

データの取り扱いにも気をつけないとですね。誰かの都合が反映された結果、それを客観的であるかのように見せているデータなんてものもあるでしょうから。

結局のところは、なんでまぁこんなことしなければならないのだろう、と思うかもしれないけれども、自分で体感したこと、実際に経験したことに勝るデータというか、客観的な根拠はないように思えます。

自分もそう、他者もそう。頭で決めつけず、眺めて置いておくこと。

そういう決めつけない、宙ぶらりんのグレーな状況に自分をおいておける人ほど、僕はいい生き方をしているなぁ、と思います。

翻って、僕はどうだろう。

常に自問自答しつつ、実体験を求めて動きたいものです。

P.S.
長男次男は妻に似て、ビッグヘッドでないところがうれしいというかうれしくないというか・・・。

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コメント

  1. 池田喜行 より:

    この写真だと、特に次男くん(オレンジ)は
    小野さんに似ていますねー

    小野さんの子供の頃はこういう感じだったのか~
    と想像してみました(笑)

    • ono takamasa より:

      次男が僕に似ているとは妻も家族も言いますが、

      個人的には長男も僕に似ていると思うのです。

      がしかし・・・

      これは父に言われたのですが、

      「お前の奥さんも長男も図太いよね」

      と。次男もたぶん言外に含むんだろうなぁ、と。

      家族で両極です〜

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