いらない集まりは害でしかない。生まれたばかりの構想は潰されることになるし、参加者の精神衛生上も有害だ。創造性が生まれるプロセスの真逆をやることになる。ブレインストーミング集会などというものは、脳みそが腐った連中の習性だ。コラボレーションがどうとか言っている連中も、自分では何も考え出せない者たちが、なにもないところに中途半端な思いつきを出現させようとあがいているだけだ。時間と労力を無駄にしてはいけない。そんな集まりは、最初からつくらなければいい。
自分のアイデアを他人との集まりの場でさらし、犠牲にしてはいけない。構想から命が抜かれ、魂が葬り去られる。図体のでかい集団に加わると、足を引っ張られ、動きが鈍り、転ばされる。こういう集団は「馴れ合い」という名の独裁者に支配され、妥協の温床になっている。馴れ合いの中で冒険はできないし、妥協から革新は生まれない。
「コック多くして、スープ台無しになる」というが、わかり切った話を火にかけて蒸し返されるか、悪くすれば素材が黒焦げになる。火を止めてさっさと厨房を出よう。周りの間抜けたちに意見を求めれば、絶対に何か言ってくるだろう。賛成されようが、反対されようが、中立だろうが、そんなもの聞いていては自分のビジョンがくもってしまう。
−『ビジネス・フォー・パンクス』ジェームズ・ワット著/日経BP社刊
人や仕事、情報からいらないものを整理しています。1年間を振り返った時、自分自身の成長にいい影響があったもの、すなわち、ビート・ザ・コントロール株式会社やクライアントさんの成長にいい影響があったものを必要なものとし、それ以外は必要ではないものとして、スペースをつくる作業中です。
写真や動画などは数十GBになりますから、外付けのハードディスクに移行して、MacやiPhoneからは消去しました。これだけでも身体が軽くなる感じがします。
もしかしたら必要になるかもしれない、ということを論理的に説明できるものは残し、そうでないものはひとまず消去する。データのバックアップはとってあるので、いざとなればハードディスクから引っ張り出せばいい。
かつての僕ならば、勢いでデータのバックアップ自体も消去するでしょうが、会社の運営上必要なデータもあるので一応バックアップは外付けハードディスクの中に眠らせています。
多分大切なのは、普段から接する人や仕事、情報からいらないものを消去することであり、自分にとって必要なものだけに焦点を当てること。必要なものだけに焦点を当てることができる環境をつくりだすこと。
アプレンティスの時はこういうふうにしていたな、ブライダルの時はこういうふうにしていたな、旅に出た時はそもそも情報が入ってこなかったな、などと思い出しながら、作業しています。
サンクコストから自由になる。
それが大切ではないとわかったような気がしていながらも、実際にそれを手放すことはできなかったりします。もしかしたら役に立つかもしれない。それが明日かもしれない。いろんな言い訳が出てくる。
しかし、1年間を振り返ってみて、やっぱりそれは自分にとっていい影響をハタから見ても与えていないのだとしたら・・・数字に置き換えてみるといいですよね・・・不要なものとして捉え直す必要はあるでしょう。
仕事や情報はもちろん、人付き合いもそう。
島田さんのクレイジーパパで教えてもらった『ビジネス・フォー・パンクス』は、言葉こそ強烈だけれども、そのあたり注意して読むと、そうそうと頷かざるをえない。
自分のアイデアをほかの誰かに批評させる必要なんてない。大切なものであればあるほど、それを大衆の目にさらしてはならない。
言葉ではなくて、行動と結果で示す。まずはやってみること。
背中で語る時はじめて、言葉が必要になるんじゃないかな、と思います。
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