誰かのために、自分のために。利他性と利己性。自分が変われば、環境が変わる。

ビート・ザ・コントロール
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誰かの為に仕事をするというのは好きだし美しいけれど、それだけだとうまくいかないと思う。

特に、自分の欲求を我慢してでも誰かのために、という場合はそう。一般的には、「まず相手のために何かを差し出す」的な事がいいと言われているし、それは確かにそうなんだろうな、とは思うけれど、

これにはなにか大事な前提があるんじゃないかな、って思ったり。

例えば、自分がいっしょにいたいと思わない人のためであっても、何かを差し出す、とか。こういう場合でも、まず差し出すべきなんだろうか。

この場合、利他性だけがグーンと突出するのだから、個人的にはうまくいかないんじゃないかと思う。でも自分がいっしょにいたいと思う人のために何かを差し出すなら。

利他性と利己性が満たされるから、うまくいく確率は高くなる、と僕は思う。

ライティングでも同様なんだけれども、どこまでも客観的になりつつも、ライティングするときは主観的である必要もある(と僕は思う)。

そのためにリサーチするんだよ、と思うほど、僕は主観性を大事にしている。

自分が情熱を感じない商品やサービスを、誰か人に勧められるとは、僕には思えないから。

客観的な視点が大事だというのは、買い手が自分ではなく読み手だからであり、読み手の言葉の定義で書くべきだからであり、読み手と文脈を共有する必要性があるから。

読み手が望む情報を、読み手に届ける必要があるから。

客観的であり、主観的である。

利他的であり、利己的である。

誰かのためにやるべきであり、同時に自分のためにやるべきである。

そして物事にはたぶん順番があって、

成功したいと思うなら自己中心的でなければいけない。だがもし最高のレベルに達したなら、自己中心的であってはいけない。他人とうまく付き合い、一人になってはならない。

これはマイケル・ジョーダンの言葉だけれども、この順番が僕は大事だと思う。自分が信じる人以外の意見には耳を傾けず、携帯電話から電話番号を削除し、友人の誘いを断り続けた1年間の自己中心的な時期があったからこその今だと感じているし、だからこそ誰と一緒にいるかが大事だということが、身にしみて習慣となるからだ。

まずは自分を満たすということ。

そのためには他を「いったん置いておく」ことも必要でしょう。

自分の身近な人を幸せにできない人が、コミュニティや社会を幸せにできるとは思えないけれど、自分を満たせない人が自分の身近な人を満たせるとは思えないからね。

実は自分を満たすことが怖い、という人は結構いると思う。

でも自分を満たした結果、チームが勝つなら?家族が満たされるなら?

利己的すぎると思えても、それが利他に結びついているのであれば、結果的ではあってもバランスは取れるのだと思う。

まず超えるべきは自分。

自分が変わらないと、環境は変わらない。

昨日と同じことをやり続けたって、望む明日はやってこないのだから。

何かを変えたいなら、今日の自分の行動を、今から変えよう。

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コメント

  1. 山内 誠一 より:

    自分は利他性が突出していました。

    ダン・ケネディの本を読んでその通りに行動してみたところ、利己性が満たされてきました。

    「まず相手のために何かを差し出す」は理解していましたが「誰と一緒にいたいのか」が大切なんですね。

    今の自分に深く突き刺さる言葉であります。

    • ono takamasa より:

      ありがとうございます。

      利己性も利他性も、主観と客観も、バランスが大事なんですよね。

      だからこそ、両極を経験するを意識してやってみるといいですよ。

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