今日のバンコクはいかにも南国のスコールに見舞われ、ちょうど次男を迎えに行ったタイ時間で15時30分から16時の間は僕の耳でも雨音が聞こえる程度の土砂降り。
雨のしずくが車の窓ガラスを叩く様子は、まさしく痛そうでして、バイクに乗っていた方々の安全を祈るばかりでした。
妻から、雨が強いと放課後のプールは中止になるよと聞いていましたが、16時過ぎには雨が上がりはじめ、太陽の強烈な光線に汗ばむほどの気温まで上昇。
結局プールは開催され、汗を流しながら長男の泳ぐ様子を見学してきました。
コンドミニアムのキッチンが故障中とのことで、料理を持ち帰ろうと、学校そばの食堂へ。
そこで待ち続けている間に、ふと
「お金をたくさん持つということは、価値をたくさん提供するということに、比例するのではないだろうか」
と思った次第。
これ、当たり前といえば当たり前なのかもしれないですけど、どんなお金であってもたくさん持っているということは、その分多くの価値を提供できているんだろうな、と。
流通させ続けることができる人はお金が入り続けるし、流通させ続けられない人はお金が入り続けられない。
流通そのものも価値なのでしょうから、価値を提供し続けることができるのであれば、お金も入り続けることができる。
最近、より多くの価値を提供し続けようと考えた時、「どうすればできるかな?」と自問自答したら、「お金を十分に稼げ」という答えが自分の中から出てきたので、なんかフィットしたんですよね。
たぶんこれにはいくつか方法がありまして、単純に思いつくのは自分が労働することで、その役務の対価としてのお金を稼ぐ方法。
働けば働くほど価値を提供し続けるので、その分お金も入り続けます。
しかし、頭打ちもありまして、それは働く時間の限界を迎えた時と、時間あたりの対価を上げられなくなった時。一対一の仕事でも、一対多の仕事でも、時間あたりの対価という観点では同じですね。一対一から一対多に変化させればその分、時間あたりの対価は一般的には上がると思います(一人あたり単価はともかく)。
他に思いつくのは、他の人に働いてもらうという方法。自分がやっている役務の一部を他の方にやってもらうことで、
その方々には仕事という価値を提供できますから、その対価としての報酬を、営業代行とか中間マージンとか、そういう名目でもらう。
そして仕組みで稼ぐ方法。
成果報酬という権利を約束することにより、役務と交換しなくても、価値を提供し続けることができる。だから、お金も権利に応じてもらい続けることができる。
ジョン・カールトンのセールスレターなどはこれを取り入れているのでしょうし、ワイルドサイドの島田さんも、4年前とか5年前に書いたコピーが今でも報酬を生み出し続けていると言っていますね。
この成果報酬というのは、ソフトウェアとかシステムを開発することにより、生まれる報酬も同じかなぁ、と。価値を提供し続ける限り、お金も得続けることができる。
こう考えると、より多くの価値を提供しようと考えるアプローチもいいと思いますが、より多くのお金を得続けるにはどうすればいいか、と考えるアプローチも、結果としては同じことなのだな、と思います。
利己性と利他性のバランス。
そういえば、マイケル・マスターソンの本でも、そんなことが書いてあったな、と思い出しつつ、
木坂さんの「7つの鍵」ライティングセミナーや各種マスタークラスからの学び効果はとんでもなく大きいな、ということで、
今日はこの辺で。
しかし、木坂さんのセミナーを紹介するという価値を提供し続ける島田さんという存在の価値も、エライ多くのものがあるんじゃないかな、と思います。
P.S.
方程式ではないですが、十分なお金を得ていないと思ったら、十分な価値を提供するにはどうすればいいのかを考える。
逆に、十分な価値を提供できていないなぁと思ったら、十分なお金を得るにはどうすればいいのかを考える。
すると、うまくいくんじゃないかな、と思ったので、メモとして残しておきます。
P.P.S.
それでいいかどうかはさておき、学校の先生がもらえるお金は限度がありますよね。アルバイトとか予備校講師とかで通信講座をやったとしてもそれは同じかな、と。
世の中的には価値がある仕事だと思いますが、価値があるのにお金が増えないのはなんでだろうと。
それはたぶん、価値を提供できる量に限界があるからじゃないか、ということを感じたので、プール後に上記を書こうと思った次第です(たぶん)。
P.P.P.S.
土地などの不動産を得て価値を提供し続けることに関しては、「地球という引力に魂を奪われている」というガンダムの名言(私見です)に頷く僕にしてみるとよくわからないのですが、それでも提供できる価値の量に比例してお金も得られるというのは、他と同じかなと思います。
P.P.P.P.S.
ただ、これは本当に私見ですけれども、僕は土地を購入することはもちろん所有すること自体、そんなことが許されるのか?と思っているフシもあります。
土地を持ったことがないので語るに足りないと思いますが、なんというか、不自然な感じがするんですよね。
まぁ、一度は所有してみないと、ということで、これについては機会が来たらまた。
P.P.P.P.P.S.
なんか今日は手が動くな、と考えたところ、たぶん「自動化」とか「仕組みで稼ぐ」とか、そういう声をよく目にしますが、ソレに対する違和感の正体です。
自動化とか仕組みで稼ぐ、お金を得続ける前に、十分な価値を提供し続けることができるのか、ってことで。
まずは提供できる価値、なんだと思います。いわゆる本物というのは、普遍的に求められ続けるものなんじゃないかな、と。
だから提供され続ける価値というのは、本物だろうということで。
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