「小野さんは、そのお母さんのエピソードに、コア・バリューのようなものがありそうですね。単身赴任サラリーマンというよりは…」
先日のエグゼクティブコーチングでのこと。
島田さんから、こんなことを言われました。コーチングの時間も終わりに近づいたあたりです。
この日のセッションでは、事業を絞ろうと考えていること、成果を出すためにやらないことを決めなければと考えていることを仕事の進捗共有と合わせて伝えました。
セミナーにも登場した日大アメフトの話をしている時に、当事者ではない人があーだこーだ言うのは、僕からすると許せん!のように息巻いて、口からつばを飛ばしまくったわけです。
だって、あーだこーだ責任もないのにもっともらしいことを言うのは、美しくないじゃないですか。
ちょうど美しさの話もしていたので、許せん、美しくない、なんてことを言っていたように思います、確か。
その時、母のエピソードを話したんですね。
僕が24歳の時、父が町の議会議員選挙に出ました。2期目をやらせていただければ、というわけでの立候補です。
1期目は1期目で選挙応援する息子としての葛藤がありまして、それは僕の友人がありがたく手伝ってくれたんですけど、面白おかしく楽しんでくれることにホッとしながらも、一方でそれって単に楽しんでいるだけで父の選挙結果がどうなろうと考えていないでしょ?なんてふうにも感じていました。
手伝ってもらったのにこの恩知らずめ!と自分を顧みる僕ではありましたが、そう思ってしまったことは事実なんですよね。皆が皆じゃないけれど、手伝ってくれた人の一部から、そういう空気を感じてしまって。
で、やさぐれていたりはしましたが、おかげさまで当選し、父の議員活動がスタート。
2期目はというと、友人たちは就職していましたから、手伝ってくれる人の数は減りました。
ですから僕自身のストレスは1期目に比べるとなかったのですが、母には結構なストレスだったようで、選挙後に長期間入院。
実はこの入院があったから、僕は大学出てフラフラしていたにもかかわらず、はじめて就職活動しました。母のストレスを軽減しなくては、と思ったからです。
どちらかというと、選挙中に感じていたストレスよりも、選挙後に吹き出した思い出しストレスのようなものでムキーッとなってしまいまして、
母が病気で入院したことを目の当たりにすると、いわゆる選挙屋の存在を疑問に思ったんですね。
2期目も父は、支援者の協力で当選できたのですが、選挙中に出会った一人の男性のことを思い出すと、今でもどうなのかな、と考えるところではあります。
その男性は、立候補した人から頼まれたら票を集めてくれる選挙屋です。選挙屋で生活しているわけではなくて、仕事は他にあります。
そのせいなのかわかりませんが、確かに票を集める力はあるっぽいのだけれども(彼が支援している立候補者は当選していたので)、開票する会場で見せた彼の姿にはゲーム性を感じてしまったんですよね。
例えていうと、競馬や競輪の新聞を買い、そこに自分の予想を書いて「この馬が来る」とか言って周囲のファンと談笑していると言うか。
レースに参加する立候補者を肴に、酒を飲む。
そんな雰囲気を感じていました。いや、実際に、そうだったんですけど。
これは立候補する側の言い分なのですが、まあ選挙はエラいストレスがかかるわけです。母が切り盛りしている美容院には、他の陣営のお客さんが来なくなりますし、いわゆる怪文書も届きます。
しかし立候補しないと政治はできないので、仕方ない。
これを理解してほしいというわけではないのですが、まあある意味自業自得なので、しかし、責任もない方々があーだこーだ言うのには、もう我慢ならん、というのが当時の僕でした。
なんというか、責任を負う必要のない方がモノだけを申すことに、理不尽さのようなものを感じてしまうのだと思います。
こう考えてみると、僕がタイとか中国とかトルコでやろうと思っていることの根源は、この理不尽さにあるんじゃないか、となんとなくなんだけれども、思えてきました。
続きは、また機会があれば、書きますね。
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