お楽しみ様です。小野貴正です。
昨晩は大奉書に祝詞を書き、課題のレポートを書いていました。祝詞は墨と毛筆で書くべきなのでしょうが、筆ペンでもいいですよ、と先生が言うので筆ペンで。こういうものを書く度に、ああ幼い頃から習字をしておくべきだった、と思うのは僕だけでしょうか。
初めての経験なのでどのくらい時間がかかるのかも読めないまま、21時ころから作業を開始すると、終わったのが0時あたり。大体3時間で、レポートと祝詞2本が完成、ということになります。その後は日課などを行い、就寝時間は1時過ぎ。本日朝の日課や仕事を行うとなると、起床時間は3時30分。現在、5時過ぎですがまだまだ時間が足りない。セールスレターとオウンドメディア記事のレビューは今日の夜やらなければ。
好きでやっているので別にどうということはないのですが、客観的にこの状況を見てみるとなかなかに面白い生活をしていると思います。会社に勤めていた頃、朝4時に起きて日中の仕事を挟んで夜の1時あたりまでセールスライティングの勉強やセールスレターのライティングをやっていましたが、これをほかの人が見たら「よくそこまでできますね」と言っている理由はよくわかる。確かに、普通に考えれば眠いしシンドイしだから。
思えばこれって一つの代償だよな、と。これまで意識したことなかったのですが、こうあろうとするときに何かを差し出すのだとしたら、僕の場合は睡眠時間というのが割と多いのだと思います。人付き合いとか、そういう時間ももちろんある。
時間という概念はトレードオフですから、何かをやるならば別の何かをやる時間は減少するかなくなる。トリック的に時間を増やすことはできるけれど(人に仕事を依頼するとかね)、物理的に時間がビヨーンと延びるわけではないし、逆に縮むわけでもない。代償を払うというのは時間に関することが割と多いのかな、と。お金も、もちろんそう。後は健康とか、信頼関係とか、そういうものも。
その上でそう在ろうとするならば、やっぱり何を大切にして何を差し出すのかを決めないとならないよな、と思うわけで。
『思考は現実化する』のなかに、願望実現のための6ヵ条、というものがあります。そこの2つ目に、
実現したいと望むものを得るために、あなたはその代わりに何を“差し出す”のかを決めること。
この世界は、代償を必要としない報酬など存在しない。
とあるのですが、今日再びなるほどな、と思いました。セルフイメージ先生の小坂さんも、これは常々口にしています、そういえば。まさに二兎を追う者一兎をも得ず、というかね。これをライフスタイルの中に組み込んでいるというか、とにかく徹底している。
たとえば、ブログとかメルマガを集客に活用したい場合も、代償はたぶん必要。
わかりやすいのは、皆に好かれる文章を書く、という幻想を放り投げること。不特定多数に好かれたい、いい人に見られたいという我をゴミ箱にポイッと投げること。自分を守るために心を閉ざしていては、相手も心を開いてくれないだろうと思う。
「主張がないと読まれる人にならない」とは木坂さんの音声やセミナーで学んだことですが、集客するならばこれは大事だと思う。主張するということは、ある意味代償を伴うよな、と思う。
意識してみると、代償となるものは結構あるものだな、と。
今日はこのへんで。
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