名古屋に着いてビビった。
それはなぜかというと、上の写真。「メイドカジノ」とあるのだが・・・これを最初僕は読んで字のママ、「カジノをつくった」のか〜と思ってしまった。カジノをつくったなんて、こんなデカイ看板で発表しちゃうなんて大胆よね、って感じ。
しかし、しかしだよ?
最初は「メイドカジノ」に釘付けだったのでよくわからなかったのですが、これを見てから3秒後に、なんか違和感が。おちついたのか、全体を眺められるようになるとその違和感の正体が明らかに。
そう、「メイド」は“make”の過去形“made“ではなく、「おかえりなさい、ご主人様」のメイドだったのだ。
なんだよ、その「メイドカジノ」かよ、と。何でもメイドさんを登場させるなんてスゲーな、やっぱり名古屋は最先端だよ、なんて思っちゃいました。
バンコクに家族がいる僕にしてみれば、メイドさんと言ったら家政婦さん。雇うハードルが高くないこともあり、洗濯と掃除のみ週3日でお願いするとか、割とタイでは普通です。
この視点からすると、日本の場合はちょっと異文化ですよね、たぶん。メイドさんが家政婦さんではなくて、そっちのメイドさんなんて、日本の文化だよな、って思う。
エライ私見たっぷりですが、メイドさん文化が流行るのってオトコのロマンというかね、存在意義をかけた葛藤がそこにはあるんじゃないかな。
ちょうど手元に『自殺論』という、フランスの社会学者デュルケームが書いた本があるのですが、「なぜ自殺が起こるのか」について研究したこの本は、その原因を利他的なもの、利己的なもの、無秩序状態によるもの、宿命的なものという4つに分類しており、これがなかなか参考になります。存在意義の喪失がどういう現象を引き起こすのかについて考えていたら、この本が目に止まったので。一つの解釈として、なるほど〜と。
まぁ、その話は置いておいて、やっぱりオトコたるもの理由もなく没頭できるものがほしい、でないと存在意義を認識できない、ってわけで、最近僕がその熱量にときめいているのが、ダンコレ。
ダンコレについてはまたいずれ紹介しますが、ダンディズムあふれる男性の身だしなみを提案し、紳士たちの社交場のようなモノをつくりあげることをひとつのコンセプトにしています。世の男性たちを自信に満ち溢れさせるというか。やっぱり男性にとって、女性からの視線はもちろん、紳士からの視線もまた、オトコになるためには必要だと思います。これだけではないですが、視線がオトコを鍛えるというかね。
見られてこそ、研ぎ澄まされていくんじゃないかな、と。
ちなみにこのダンコレジャケットを着ていたら、エライ遠くにいたアメックスの営業マンが「カードつくりませんか」と人をかき分け飛び込んできました。そのあまりの迫力に躊躇した僕はもちろん、目をすぐそらして何も見なかったのようにスタスタとその場を離れたのですが、スーツ姿の人をメイン営業対象にしているとはいえ、着ているものって大事だな、と。
しかし着ているものが違うだけで、自分の存在価値が高まるように感じるのだから、不思議なものです。
ファッションコーディネーターに1日8万円とかかけてコーディネートしてもらいたいって気持ちが、よくわかりました。この色合、自分一人ではまず買わないだろうな、って思うので。
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