ダンコレを買わないなんてどうかしてるぜ。

License to beat
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現在、コメダ珈琲にいます。

これから二条木屋町に移動するのでその前にブログを更新しておこうと思いまして。

・・・いや、違うな。

単にコメダ珈琲の食べ物が食べたくなっただけです。

一昨日の晩から無性に食べたくなりまして、今日やってきた次第。

最近は食べたいものを食べるようにしています。ラーメンが食べたくなれば深夜でも走っていきますし、たこ焼きが食べたくなれば夜の街を探しながらでも食べます。

結果、満たされるのか気分はいい。こういうその時その時の欲求を満たすというのは、とても大切なことなのかもしれませんね(倫理的にどうかと思われるものはなんとも言えませんが)。

さて、ダンコレ。

自分という器クラスでダンコレの岡本さんを訪問して以来、いや、厳密には訪問前のブログで後藤さんが、「オーダースーツを買わないなんてどうかしてるぜ」とつぶやいていたものですから、なかなかいいこというなぁと思いまして、

それで

「オーダースーツを買わないなんて、ホントにどうかしてるぜ」と書き込んでおいた次第。

これがダンコレ訪問後、岡本さんの熱量とか身なりの大切さ、自己投資のしどころなどを感じるうちに、京都日々新こと日比野さんにも乗り移ったようで、

「モテジャケ買いました。まずはジャケットをと思いまして。今月末に奥さんとダンコレ行ってきます。」

と言うようなメッセージを貰いました。

これを見た僕は日比野さんに、速攻で後藤さんとデニーロに「へ、まだこうてへんの?」と書き込んでください、と伝えたところ、

やはりというか後藤さんが反応しまして、デニムスーツを注文したとか。しかも日比野さんよりも早い日時に。

このあたりがJust do itだよな、と思いつつ、自己投資の考え方として大切ポイントだよな、とも思った次第。

ワイルドサイドの島田さんも言っていますが、「ないからやる」のであって、たしかにそれはそうだなぁと自分を振り返っても確認できますが、「すでに在るならやらない」わけです。

セミナーでも講座でもそうで、今何らかの「ない」状態があって、それを満たすからやる。

時間がないとかお金がないとか、そもそもないからやるんだろうと、僕は思うわけですが・・・まぁ、僕も4年前はわからなかったことですから、やってみないとわからないことなのかもしれません。

3年前に母から、「アンタはなんでそんな状態で寄付なんてするのよ」、と言われていましたが、今思えばこれも同じです。ないからやる。

よく人は無理はするなとか無茶はするなとか、ん、この2つの言葉の意味を僕はよくわかっていませんが、人と同じでいいはずがないだろうとは思います。

だから無理か無茶かはともかく、多くの人が「え、ホントにそんなことするの?」と思われるものほどやるんだよ、とおなかの中で思いつつ。

ダンコレに訪問したら日比野さんも後藤さんもクロスセルされていることを期待して。

P.S.
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コメント

  1. コメダもラーメンもよいですが、、、食べたいものを食べるというのはキケンな信号と僕は診ています。現代の食べ物で身体によいもの、、、健康(なにをもって健康かによりますが)なものはないからです。

    それを欲するといのは、どこかおかしくなっているか、ストレスを感じてその発散のためにとっているか、だと思うのです。

    木坂さんもよく言っていますが、健康だけを考えたら粗食がよい。食べたいから食べるのではなく、毒をもって毒を制す、、トレーニングのようなものだと言っています。つまり、身体に悪いとわかっていて食べるということですね。決して食べたくて食べてるものではない(衝動的に欲することはあるでしょうけど)。

    衝動的に欲して深夜でもラーメンを食べに行く、、、そんな小野さんをみると疲れがたまっているのか、なにかイライラしているのか、モヤモヤしているのか、ムラムラしているのかわかりませんが、少し心配になって書き込んでみました。

    いや、たまにはいいのでしょうけど、日常、、、特に習慣化されてしまうとその先にある未来が怖いな、と。

    老婆心ながら。

    • ono takamasa より:

      しまださん、ありがとうございます。

      耳から入る音に違和感を感じ、
      なんてことのない声なんですけど妙に耳に響きまして、

      そういう時は補聴器を外すとラクになります。

      なぜ補聴器を外すとラクになるのかというと、
      その音が聞こえなくなるからなんですけど、
      つまりは入れたくない音というのがありまして、

      それはアソビのない状態において、
      聞こえてくることが多いのかもしれません。

      溜め込み注意と以前言われた気もします。

      食べもの、気をつけます。ありがとうございますー!

  2. より:

    スケベさんに便乗でまたもコメ。失礼します。be yourselfもといbe myselfの観点から一つ。30年ほど前に若葉台の小野君家でファミコンをしたのをふと思い出し、幼少期の小野君を多少知っているつもりだったけれども最近小野君のメルマガを通して私の知らない生い立ちが少しわかり、「自分」が知っているつもりでもまだまだ世の中には自分の知らない物語がたくさんあるのだなぁ、と。「自分」についてもしかり(かと)。わかっているつもりでも知らないことが(というよりも勝手に制御されていることが)多すぎる気がします。職業から生物の仕組みを勉強すればするほどです。最後は自分の意志ですら、社会の影響や生物進化の過程で制約を多分に受けている気がします(つまり自由意志なんてないんじゃないか派)。ちょっと論点ずれるかもしれませんが、禅宗に入ると禅問答するらしいですが、最初の公安(禅問答)が「父母未生以前の自己如何」というものらしいです。つまり、親が生まれる前の「自分」とは何か?という感じの質問で、普通に考えれば「んなもんあるわけないべ」ということですが、「自分」というものがいったい何者なのか、ということを考えて、自分の生い立ち、環境、社会の成り立ち、世界の成り立ち、宇宙の成り立ち、生物進化、環境変化、歴史等々いろいろ思索して行くと…何かまた違った物語が見えてくるかもしれません。ラーメンが食べたい、それは小野君の自由意志かもしれませんが、一歩そこで立ち止まり「自分」を「自分」で客観視してみると、また違った選択/意思決定があり得るのかもしれません。深夜にラーメンを食べに走るのも、一歩そこで立ち止まって長期的視点にたち将来の健康、家族の幸せ等々を考えて立ち止まり短期的生理欲求を打ち破り深夜のラーメンをあきらめるのも、どちらもまたit is yourself(小野君)なのでしょう、きっと。でも日本のラーメンが一番おいしいです。スイスのラーメンはまずいです。小野君のブログを超える勢いの長文失礼しました。しばらくコメント控えることにします。

    • ono takamasa より:

      ありがとうございますーコメント控えなくて大丈夫ですよ。

      「自分」を「自分」で客観視する、そうですね、ここ役に立ちました。

      「自由意志」については思うところありまして、
      しかし定義がずれるとどうかなと思い、

      ここではコメントを控えますが、

      意識的な思考や選択を自由意志とするならば、
      「自由意志なんてないんじゃないか派」の箇所、
      そうかもしれないなぁ、と思ったりします。

      ありがとう!

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