今日の『ワイルドサイドを歩こうよ』で島田さんが、マーク・ザッカーバーグのハーバード大学卒業式におけるスピーチを紹介。
島田さんが書いているように、木坂さんがマスタークラスで紹介していた動画を、僕はLicense to beatの3クラスで紹介し、感想をぜひと書いたところ、早速カズくんからメッセージが。
このスピーチのメインテーマである「Sense of purpose」は
ビデオ上では「目的意識」と訳されていますが、僕は小野さんが2016年度のLicense To Beatのレターで書いた「存在意義」の方がシックリきました。
小野さんはレターで「存在意義の喪失」について書いていますが、存在意義の喪失はミレニアル世代だけでなく、もっと広い範囲に広がっている気がしますし、このスピーチは小野さんのレターの中で書かれていた存在意義を取り戻す話と共通するなと思います。
また、僕は自分の存在意義を見出すことで精一杯だったので、「自分だけでなく世界中の人々が存在意義を見いだせられる世界を作ろうという」というマーク氏の話を聞いて、軽くビンタされた気分になりました。
自分の存在意義を見出すのは当然で、世界中の人々が存在意義を見いだせるコミュニティ作りこそ大切だと視点は今まで僕は持っていなかったので勉強になりました。
このスピートを聞いて「もっと頑張ろう」と思えたのと同時に、今後の自分の事業のヒントにもなったので、紹介して頂けて本当によかったです、ありがとうございます!
僕が書いたレターを思い出してくれるとは光栄です。まあ、どの日本語がフィットするかどうかは個人個人異なると思うので、sense of purposeを思い思いに感じるといいのではと思います(カズくんは帰国子女なんですよね。だから”Great Leads”の要約をお願いしたんだけれども・・・まだかな)。
この感想をくれたので思い出したのですが、License to beatのレターに限らず自分という器クラスの講座でも、ビーコンライブセミナーでも、僕は「存在意義」とか「WHYが大切」とか「前のめり、本音、情熱を感じられるもの」が大切と話しておりまして、
このマーク・ザッカーバーグのスピーチはそれらの先にあるもの、世界において何ができるか考えて行動しよう、というあたりが世代間の違いなのかもしれない、とも感じています(社会正義の本を誕生日プレゼントにしてほしいと言った高校生の言葉には、特にそれを感じました)。
まず個人としての「豊かさ」を、そして世界の「豊かさ」を、という風に僕は考えており、きっと世の中もこういう順番で行くんじゃないかなと考えていましたが、定義にもよりますけれど、世界の豊かさあって個人の豊かさもあるのかなと感じています(それはそうですよね)。
いずれにせよ、責任を伴うというのは同じでして、そういう世界にしようと思ったら、そういう自分であろうと思ったら、やり続けるのは必須。
目的意識、存在意義、生きる上でのなぜですね、これが見えてきた人はエラくエネルギー溢れていますし、結果周囲の人たちに影響を与える存在になっていると思います。
かつてインドのハリドワールで眺めた光景、あそこで生まれていたら今の僕はあり得るのだろうか、という問いに対して、きっとそれはないだろうと以前ブログに書きましたが、
同じものを目の当たりにし、僕のように感じる人もいれば感じない人もまたいることを考えると、ひとりひとりの本分は異なると思いますし、各々が気づいたことはそれを周囲に広めていくという義務のようなもの、ノブレス・オブリージュ的な、そんな何かがあるのだとも思います。
誰もが、sense of purposeを発見することができる時代。
そんななかで僕らの役割はなんだろう?例えば子どもたちに対して果たすべき役割はなんだろうか?例えば地域のなかですべき役割はなんだろうか?
各々がそういうことを発見するときっと、満員電車の車内が豊かな気持ちであふれるんじゃないかと想像しています。
自分と世界とのつながりを、発見しにいきましょう。
P.S.
映像はこちらです。
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