平和記念公園に行き、原爆や『はだしのゲン』の展示を見つつ、平和記念公園から川を隔ててたたずむカフェで、平和について会話をしつつ、思考を深める。
36年前程度前かな、その時に見た『はだしのゲン』で印象に残っているのは小学校の校門の前でゲンが学校に用事のあったっぽい女性に声をかけられ、顔を空に向けると青空の中にB29が飛来し、次の瞬間光が膨張するかのように炸裂してあたりを更地にするシーン。
ゲンは校門の壁にひっついていたから光と爆風の影響をほとんど受けずにすんだんだけれども、ゲンより背の高い女性は光と爆風を浴びて即死(だったと思います)。
そして家に戻ると家の下敷きになった家族。家族との生き別れ。
昨日の展示では『はだしのゲン』が週刊少年ジャンプで連載されていた扉絵の展示のみだけだったので、上記の状況が描写されたシーンはなかったのですが、作者の中沢さんが小学校の前で「ここに私はいて・・・」と当時の様子を回想する映像の言葉を見ているうちに、ありありとその当時の記憶が蘇ってきました。
42歳になって妻や子どももいる今、昨日の展示で涙が出そうになったのは、子どもをおんぶしながら歩くお父さんの姿でして、たぶんその子どもはもう亡くなっていて。
「どんなに熱かっただろう。どんなに怖かっただろう。お父さんと家に帰ろう」
こんな感じだったかな、絵とともに添えられた言葉に、気持ちがつまりました。
また、どこかの門を開けようとしていたらそのまま絶滅していた幼い命も。
長男次男がお母さんお母さんと毎日駆け寄ってくるのを見ている分だけ、幼い子どもがどういう気持ちで門に手をかけていたのか、かつてより想像するようになりました。
そういう歴史のなかで、復興の過程で広島カープもまた生まれてくるわけですが、島田さんの長いクライアントさんがチケットを入手してくれ、広島阪神戦をマツダスタジアムで観戦。
広島の球団というか、街一体で応援し育てている感覚を覚えるのは僕だけではないかもしれません。
歴史とカープ。それに触れることができたのは、感謝です。
縁が大切、
とインフォマーケティングも多くの店舗経営もいたるところで行うそのクライアントさんが話してくれたのですが、これという根っこのようなものを僕らは持ち続けなければ、誰からも信頼されなくなる、そんなことを思いました。
人間関係もライティングもとっかえひっかえやっていると、そういうふうに人からは認識される。
日本人であることもそう。
個人的な思いはどうであれ、それは知っておかなければならない。
周囲の人と付き合う時も世界に出る時も同じ。
そんなことを思った広島での一日でした。
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