縁。

ビート・ザ・コントロール
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11日ぶりか12日ぶりの実家のせいか、3時あたりに寝て起きたら誰もおらず、しかしどうも落ち着き感があるのかエラいよく眠ることができました。

日課をやりつつ仕事を行い、のんびりしてもいいかなぁ、と思ったのですが、

夕方から格闘技を見ながらのディナーということで、16時ころに外出。

昨日まで来ていたダンコレだと10日連続の着用という事態になってしまうので、派手なんだけれどもまあいいかなというベージュというかオレンジというか、そっちのジャケットを羽織って家を出ました。

父が駅まで送ってくれたのですが、車の中でiPhoneを家においてきたことに気づき、これはなかなか僕にしては珍しいなぁ、と思いつつ、

今日家に帰りさえすれば明日の税理士さんや特典セッションはなんとかなるかということで、iPhoneを持たないまま八芳園へ。

参加しているプロジェクトのプロモーションを行っていたため、八芳園にいる間はこのブログを書く時間は確保できませんでしたが、Macとインターネット環境さえあればメルマガなどは送ることができるので、休憩時間を利用したりして送信。

それで現在、23時10分過ぎですが、大井町のラーメン屋さんで、中平さんと伊藤カンちゃんと一緒にラーメンを食べつつ、これを書いています。

さて、縁。

僕の聴き違いでなければ「えにし」と読んでいましたが、これはキックボクシングの試合を見ながら、ディナーを楽しむというもの。

確かに八芳園という結婚式場の中にリングがあり、そこをドレスコードありでチケット購入者がずらりと並ぶのはなかなかに見応えがありました。

ひとつのテーブルに付き、10人はいたと思いますから、僕らのテーブル番号24を最低テーブル数にしても(もっとあったと思いますが)、240名のお客さん。

一人3万円か5万円の会費だったと思いますから、1,000万円規模のイベントだったということですね。

来られているゲストの中に、確か高橋克典さんだったと思いますが、芸能人とか著名人、K1で優勝した外国人も来ていたりと(主催者側のようでしたが)、なかなかに華やかな世界だなぁと。

以前、猪木さんの興行にも参加したことがありましたが、格闘技って華やかな男性と女性を集めるものなんだな、と今回も感じました。。

ラウンドガールの女性2人は、人の目に触れる前と触れた後では目のキラメキ度が違っていましたから、やはり人の目というのはある種の方々にとっては大切なものなんだなぁ、と思ったり。

全部で5試合ありましたが、経営者兼キックボクサーの方もいれば、プロキックボクサーの方もおりまして、試合はなかなかに見応えがありました。

思ったよりもパンチが当たっていないのに流血している選手がいたので、木坂ブラザーズと少し話したのですが、

「パンチの切れ味が鋭いんですよね」

と解説してくれるなど、そういうものか―と思ったり。パンチの切れ味とは聞いたことがありますが、間近で見てみると確かに違いはあります。

食いトレ部部長から「小野さんも来年はリングに立ちますよね」という確認が来たので、そこは丁重に話題を遠ざけつつ、しかし中平さんがカマタにはキックボクシングジムが多いんですよという話をしていたのを思い出し、うーん、もっと話題のふり方を学ばないとなぁ、と思った次第。

第5試合に出場した城戸さんが、ヘロヘロになりながらもパンチとキックを繰り出す様子を拝見し、たしかに格闘技というのは試合に勝つと会場の何かがあるな、と感じた次第。

久々に、大きな声を出して汗を流した日でした。

iPhoneがないので、写真無しでのアップになりますが、今日はこのへんで。

P.S.
家に帰ってから、写真をアップしました。

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コメント

  1. より:

    まず。結構暇というわけでもないですがメルマガが来てなんとなく読んでるとついついコメントしたくなって長々コメントしたくなり、小野くんの仕事の邪魔するつもりは毛頭ないのであしからず。毎日毎日仕事とはいえブログを更新するのはすごいなぁ、といつも感心してます。

    さて。
    小学生以来長らくバスケットを続けていましたが30を超えたあたりからこれは一生涯続けれるスポーツではないな、と感じて生涯スポーツ移行計画を考えまして、ちょうどアメリカ留学から帰国した時とも重なり一つ何か日本の伝統/文化を「身体」で学んでおきたいということもあり空手を始めました。型や組手は相手を想定した動きなのですが同時に実は「自分」とも向き合います。スポーツ全般そうかもしれませんが。「身体性」ということが哲学や認知科学などいろいろな分野でいろいろな文脈で使われてますが私はこう解釈しています。端的に要約すると、私は私(の身体)を通して世界を知覚していて、私の世界の見え方は小野くんの世界の見え方とは違うだろう、という感じのものです。もっというと「この私」は「私の知覚した(主観的)世界」を通して構成されている、とも私は考えています。極端な話、五感すべてがなくなった状態では「リンゴ」というものが一体どういうものか自分の中に構成することができないと、と同時に「自分」というものを認識する術がありません。デカルト君登場「いやいや、我思うゆえに我ありよ」と言うかもですが。小野君が、youtubeで「なんとかの器クラス」という事を言ってますが、世界を見る枠組み、を用意する、という観点において「身体性」の話に近いのかなぁ、と思てます。ここら辺のいわゆる「心身問題」と言われていて、デカルトの心身二元論からドイツ観念論、西田幾多郎の哲学、茂木さんのクオリアの話の中でも出てきますし人工知能の分野などでも話されています。小野君が読み進めているというジョンロックの経験論はこれとはちょっと相対する観点かもしれません。ご参考までに。

    • ono takamasa より:

      ありがとうございます。

      コメント、歓迎しているので大丈夫ですよー
      ヒマでないのも、想像していますー

      身体性はまさに僕にとってスーパーヒットでして、
      もともとは人を見る時に「行動と結果」を見たほうが、
      その人のことがわかりますよね、というアドバイスを
      島田さんという方から受けたことから、

      この言葉を意識するようになりました。

      身体性を伴う経験をしているかどうか、という具合に。

      ちなみにジョン・ロックの本は、
      『知性の正しい導き方』を読んでいます。

      日本は寒くなってきましたよー

      グリンデルワルドから眺めたアイガーと
      牧草地で見たアルプホルンが懐かしいですー

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