「撃て」がなければ、「狙え」ない。

コピーライティング
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よくコメント投稿してくれるマーボーくんからこんな話を聞きました。聴き取れた範囲ですので、意訳ですが。

「そうだね、アメリカに留学した時に、英語は勉強したのね。TOEICとかはやっていないのだけれども、小野くんがタイで必要に迫られてタイ語を話せるようになったみたいに、向こうに行けばやらざるを得ない。それで、アメリカに行って留学している時に英語は学んだ」

(彼はいわゆる「IT」が専門で、博士課程を終えているドクターなのですが、確かアメリカでの研究だか開発が認められて、トヨタの研究室に採用されたそうです)

「スイスに行ったときも、仕事が決まってから行ったわけではなくて、まずスイスに行こうというのがあったのね(目的は聞き忘れましたが…結婚かな…)。それで、倉庫番の仕事をして…ドクター持っている人が倉庫番をするなんてなかなかないと思うけど…1日1トンのお米を運んでいたかな」

(その後、採用面接に行ったのか、縁があったのかは覚えていませんが、企業在籍のあとに大学の研究室に採用されて、今ではゲノム解析とか?IT専門なのになぜゲノムなのかといったら、たぶんシステム開発の方に関わっていて、そして新たに研究を始めたとか、そんな感じだったように思います。スイスの大学に通う学生への講義を英語で行っているそうです)

「こういうふうな世界観、こういう風に生きていきたいみたいなものは、今がそんな感じで、もちろんこれが永続するかどうかはわからないのだけれども…(失念しました)…運がいいのだと思う」

うーん・・・あまり聴き取れていないかもですし、覚えていないかもですが・・・もう一つよく覚えているのは

「撃たなければ、失敗したかどうかもわからないし、失敗したとしてもフィードバックがあれば改善して狙っていけるし…」

のように、マーボーくんが話していたところ。

セールスライティングでもマーケティングでもプロモーションでも、スキル獲得に関してはなんでもそうだと思うのですが、インプットとアウトプットは車の両輪で、両方とも大切だと言われています(と思います)。

僕は2つの視点がインプットとアウトプットには大切だと考えておりまして、1つは、「なぜインプットとアウトプットをするのか」「どうしてそれを自らする必要があるのか」ということと、

もう1つは、「撃てというアウトプットをしたからには、インプットする必要がある」ということ。「出して、入れる」んです。

インプットもアウトプットもそれ自体が目的なのではなく、例えば、時間と場所を選ばずに稼げる人になるために、クライアントに営業するというアウトプットが必要ですし、営業方法を学ぶというインプットが必要。

クライアントを稼がせるためにセールスレターをクライアントに納品して世に出してもらう必要があるし、レジを鳴らすためにスワイプファイルやジーン・シュワルツの5つの気づきレベル、『影響力の武器』や「ポジショニング戦略』などなどに学ぶ必要がある。

一般的には、「学んでから、実践する」「学んでから、営業する」「学んでから、セールスレターを書く」という順番だと思いますし、これはコレでありなのですが、学びというのは限度がないものなんだと僕は思います。

だから、まず撃つ。撃てばわかるさ、です、これは、本当に。

だって撃ってしまったら、セールスレターならば書かざるをえないですし、成果報酬ならばレジを鳴らさなければなりませんから。

そしてフィードバックがあって、はじめて「狙え」る。学ぶべき本や人が明確になります。

自分だけで「狙え」をしても、市場にとって、見込み客にとっては見当違いであることは多々あります。セールスレターというものは、ライターが書きたいように書いてしまうものですし(ドレイトン・バードも近いことを言っていますね)、タレントなどサービス提供者は自分の商品やサービスがお客さんに求められているに違いない、と誤解しているもの(大体、自分がコレはいけると思ったことって、根拠がなければウマくいかない。これは経験上)。

読み手視点からのフィードバックがあってはじめて書き手視点と読み手視点の「差」を認識できて、「狙え」をすることで「差」を埋めることができる。

それで、お客さん、つまり世の中に役立つことができるし、報酬が自分のところに入ってくる。

畑は違うのだけれども、そこは共通するんじゃないかな、という話だと感じました。

音声にとっておきたかったな、と思います…。

P.S.
お前が撃て?ええ、その通りですよね(笑)。

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コメント

  1. より:

    毎度どうも、先日は楽しいひと時ありがとうございました!
    確かに、音声/録画の件、気が回らず、申し訳ない。ほとんどは雑談だった気がするけれども。

    冒頭の本についてですが、私の解釈では、自己認識も行為(出力)と知覚(入力)のフィードバックループで、自己の内部状態や歴史性、文脈性から自己(と世界)が再構成される、というのがヴァレラさんのいうオートポイエーシスであったり、エナクティブアプローチであったり、身体化された心、の中心的なアイデアです(私の解釈です)。

    私個人の人生パスは全くもって他の人の参考にはならないと思ってますし、場合によっては楽観的、無鉄砲、無計画とも取れなくはないのですが、ご参考までにもう少し付け加えせてもらうと、アメリカ留学直後はお世辞にも意思疎通が十分取れる状態の語学力でなかったことは確かですし、スイス移住直後はドイツ語は全く喋れず、仕事もなかった状態だったのは確かです。ただ、アメリカ留学できるチャンスを獲得できていましたし、スイス移住時には、スイスと日本のどちらで将来生きていくかということが妻と議論済みであったので、スイス移住は決まっていてあとはタイミングの問題でした。そして、妻が、私も働いているんだからなんとかなるよ、早くスイスに来て仕事を探したほうが絶対いい仕事に就けるよ、と心を支えてくれたことも大きいのは事実です。ということで、完全無計画で思いつきでアメリカ留学、スイス移住したわけでもない、ということは一応付け加えておきます。スイス移住前後1年間くらいに合計200くらいは色々応募を出して、スイス移住前には地方大学の准教授ポジションの推薦もあったのですがそれも断った上での倉庫番だったので、泣きそうだったのは事実です(将来、専業主夫、妻の紐という可能性も当時はゼロではなかったように思います)。

    結果から見れば、小野くんの言葉を借りれば、的のどこかには当てる自信と弾と撃つチャンスがあるなら、撃ってみてどのくらい外れたのかというのを見てから構え方を修正する方が、構え方をじっくり練習して弾丸数を十分確保してからたくさん射撃をするよりは、射撃能力は上がるのが早いかもよ、弾丸を十分準備した頃にはそもそも弾丸全部撃つ機会がやってこないかもよ、ということかと想像しています。暗殺狙撃のように一発勝負で生死が分かれる、というような場合には当てはまらないかもしれませんが。

    倉庫番の話をした時に小野くんが素晴らしい名言を残してくれました。

    – それを失敗と思うか成功と思うかそれは自分次第でしょ –

    結果から見れば、倉庫番も出発点として人生の線の一部になって繋がっているよ、ともしスティーブ・ジョブズさんが生きていたら言うかもしれません。

    波乱万丈の人生歴ですが、いつかどなたかの何かのご参考になれば嬉しいです。お互い元気に生きていたらいずれまた世界のどこで会いましょう!

    • ono takamasa より:

      マーボーくん、フォローコメントありがとうございます。

      耳の件、そうなんですよね・・・助かります!

      名言、よかったです。

      自分の解釈次第で良くもなるし、力が湧いてくる。

      そういうコミュニケーションを
      していければいいなぁと思います。

      また!

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