この3日間はマスタープラン作成に時間を確保しておりまして、妻や長男次男と過ごすことにより、今年のテーマはコレかな、という言葉が出てきました。
最初は、家族の自立、法人の自立、という言葉を書いていたのですけれど、家族の自立とか法人の自立とか、自分自身の自立とか書き出してみたとき、抽象化して一段上のレイヤーで括ってみるとどうなるかな、と考えたところ、
小野貴正からの自立、という言葉がやってきた、というわけです。
妻は、僕に今何かがあったら、、、と考えると不安だと話していましたし、そう考えるとよくわからなかった妻の刹那的な行動は、なるほどここに根源があったのだなと腑に落ちるようになりました。
僕はどちらかというと、仮に妻の立場で「小野貴正になにかあったら、、、」と考えたら、悲しみとともに、コレをどう乗り越えて歩んでいくかに面白みを感じる方なのですが、皆が皆そうではないですから。
自分自身の責任が多方面で増していくということは、それだけ頼りにされているという証かもしれませんが、それで自分自身の徳、卓越性を我慢するような事態になってしまうと、両親やご先祖様に顔向けできません。
自分自身を大切にしていないとは、まさにこのことだと僕は考えているのです(私見です)。
誤解がなきよう補足すると、好き勝手生きるわけではありません。周囲の方々に価値を提供し、幸せにしてきたこと、仮に10年前に僕が提供したなにかであっても、そのおかげで今が在るんです、と人々が喜んでくれることで、かつ自分自身それをやらなければ違和感を感じてしまうことを行うことが、自分自身を大切にする、という意味です。
自分自身息苦しさを感じて仕事や生活に張りがなくなるというのを以前経験していましたので、コレをどう踏まえて乗り越えていくか、というのがここ15年ほどの課題だったようにも思います。
自分がやるべきことに集中せず、集中力が散漫になった結果、周囲を傷つけたり悲しませたり、というのは自分が意識していないところで起こっていたりするものです。
じゃあどうするか、、、と考えた時に、自立だな、と。それも僕自身からの自立を家族にも法人にも、自分自身にも促すことが、僕個人のミッションを実現するには必要な扉である、となりました。
自分自身の感情とか取ってつけたような意識とか、、、ないものねだりから自由になるためにも。
コレが結構な強敵なんですよね、、、ないものねだり。
P.S.
妻に僕の仕事を説明する必要があったので、じゃあ料理の場面をYouTubeにアップしてみるか、となり、撮影したのがこの映像です。
タイ人が実際に家でつくるタイ料理に興味がある人、タイ料理のつくり方に興味がある人はいませんか?リクエストくだされば、それをつくるよう妻に言ってみます。材料も伝えられると、いいですよね、たぶん。
コメント