原風景。

新興住宅地としての再開発が進められている眺めもそう。周囲を見渡す限り視界を遮るような建造物はなく、田んぼがあり畑があり用水路があり、遥か彼方には男体山などの山々が雪化粧をしてたたずむ景色もそう。

どこかで見たことがあるなぁと、島田さんが通った小学校や中学校の通学路を歩きながらふと思ったのは、僕自身が通った小学校や中学校の景色に似ているということ。

もちろん、そっくりそのまま似ているわけではないけれど、自然に囲まれて幼少期から少年期を過ごしたというのは似ているなぁと思い、

ああ、これが時折感じる価値観の近さとかそういう親近感を覚える理由なのかもしれないな、とも感じました。

先日参加した木坂さんの、確か西洋思想史クラスでの話だったと思いますが、人には本来、共感する力があると。ではなぜ共感するのかといえば、「似ている」「近さ」を感じるから。

抽象度をうんと上げてみれば、「人」というくくりでも似ているとなるので、人は誰もが共感し合えるという感じになるのかなと僕は思いましたが、幼少期を過ごした市町村が同じであったり、学校が同じであったりすると、「え!ホント!?」と思わず身を乗り出してしまうことを思い出してみれば、確かに「似ている」とか「近さ」とかは共感を呼び起こすものなのだと思います。

3月3日の島田さんグレートジャーニーに参加した皆さんには怪訝な目で見られていたように思いますが、僕は最初この観光地でもない場所に参加者が集い、通学路を歩いたりすることの面白さというか、老夫婦が目を丸くして車から僕らを眺めたりすることに思わず吹き出してしまいまして、

なかなかユニークなことをやっているなぁ、と客観的に捉えていたわけですが。

しかしやはりというかそうだよねというか、一緒に歩いて見ると、たとえそれが島田さんの通学路であっても、再開発が進められている生家付近であっても、自分ごととして捉え、自分はどうだったけな、と自然と思い出している自分がいました。

参加した誰かが言っていたように思いますが、言葉にならないけれど、価値がある。まさに、それはそうそう、という感じです。

より良く人生を歩むには人とのコミュニケーション、自分とのコミュニケーションが大切だとは誰もが頷くところだと思いますが、同じ釜の飯を食うじゃないですけど、同じ空間と体験を共有するということがあってこそ、言葉が生きる。

言葉の先にその人を見る。言葉の先に自分自身を見る。

これがコミュニケーションを円滑にして、僕らを先にすすめる秘密なんじゃないかと感じた一日でした。

次回は、茨城かな。僕自身は幼少期を過ごした東京で行う予定。

良い週末を。

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