マスタープランの誤解。目の前を見る。

ビート・ザ・コントロール
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打ち合わせに行く前に靖國神社を参拝しておこうと思いまして、市ヶ谷に向かっています。

終戦日である今日は、天皇陛下も参拝されたと聞いておりまして、そのニュースに背中を押された感もあります。

祖父に話を聞くことは叶いませんでしたが、祖父は戦時中に満州かどこかに行っていたとか。

先日のお墓参り、神社参りのついでと言ったら恐縮至極ですが、日本においてはまだまだ語られることがタブー的な靖國神社の参拝は、僕にとってはご先祖様に感謝することと同義です。

とは言っても、神職養成講座で初めて参拝して以来、今日で3回目なんですけどね。

私見ですが、日本の歴史が日本人によって見直されるようになって、公には25年ほどは経過していると思います。今現在は、学ぶことのできる書籍や会員制サイトも増えているように感じます。

高校の時に極左に振れ、薬害エイズに関わって左的な組織に違和感を感じ、ドーハの悲劇とゴーマニズム宣言で極右に振れ、バックパッカーで中庸になったと思われる経験からすると。

知識を得た後は、その場所に行って体験することが大切だと感じています。自分の感覚、大切にしたいですね。

今、そこに行こうと思ったから靖國神社に向かっているのであり、昨日以前に考えていたことではありません。

こう書くと計画性がないなぁと笑ってしまうわけですが、計画の基本は今ここでどう感じるかだと、僕は思います。

マスタープランの重要性はビジネスにおいても生活においても大切であることは事実であると思うのですが、どうマスタープランを立てるのかについては誤解があるように感じています。

ええ、僕自身がその過ちに片足を突っ込んでいたんですけど、ありもしない理想世界を描いたって、動く動機にはならないものです。

こうであるべきだという状態は人それぞれだと考えるのですが、それを実現するプランがマスタープランです。

世の中一般的にこうであるから自分もそうすべきだ、というのは自分の意志ではなく、他の誰かの意志であり、もしかしたら誰の意志でもないかもしれません。

生まれも育ちも異なる以上、僕にはひとりひとり異なる使命があると思うんですよね。その方がロマンチックじゃないですか。僕らひとりひとりに異なる使命がある。

だから、自分の使命に向かって思考して行動すべきだと思いますし、隣の芝生の青さに目を奪われている時間はない。

もちろん、自分の使命など考えても出てくるものではなく、今ここで直面していることこそが自分の使命だと信じ、全力全開で行動することが大切なんだと思います。

違和感にフタをしない、というのは今ここにある自分の使命を感じるための、秘訣です。

そうすればこっちに行けという声が自分の内側から湧いてくるものです。

考えるべきは、今ここで感じていることを実現するにはどうすればいいのか。ビジネスをやっているならば、数字で今を知ることです。

自分でなくてもいいことを考えたって、その計画を実現させる必然性はありません。

だから、今どう感じているのか。今なにをすべきだと自分は感じているのか。

それに全開で臨む。違和感を道しるべに、マスタープランをつくりかえていく。それが大切なんだと思いますし、マスタープランに必須なんだと思います。

偉人がどうしたではなくて、僕が今どうするべきなのか。

今やるべきことこそ自分の使命であり、使命を遂げて行くことで徳が積まれれば、自ずとそういう存在になるのですから。目指すものじゃなく、自然となっているもの。

目の前に感じる違和感にフタをしないこと。

今現在僕が僕に向けて伝えられる、大切な真実です。

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