平成のビッグニュースTOP5(ただし私的な)。第3位。

昨日のブログでは第4位「選挙結果と母の病気で憤慨したリクルート入社」をお届けしました。

当時は「世の中バカばっかりだ」と通行人をなぎ倒さんばかりのツンツン度でした、、、懐かしいです。

そんな僕でも、その4年後には穏やかになっていきます(私見です)。なぜならば、使命感みたいなものが芽生えたから、だと信じたい。。。

今日は第3位、「トルコで知った日本」です。

第3位:トルコで知った日本

特に高校3年生の頃からリクルート入社までを知っている人にとっては、僕がいわゆる極左的な思想と極右的な思想、両極をグワングワン突っ走っていたことをご存知かもしれません。

高校3年生の頃に、日教組の思想を持ち国語の先生をやっている人との出会いは衝撃で、そうか、オレは日の丸君が代に騙されているのだと疑うことを知らず、中学生の時にお世話になった先生が校長をやっていると聞きつけるとその先生のところに行き、「先生の学校は日の丸君が代やっているんですか?騙されていますよ」とか言ったりしていました。。。

今考えると爆笑なのですが、ええ、当時は、青臭さ全開だったのです。

時代背景を考えることもせず、ただ無責任に声を上げ、そんな声こそが大切なのだと叫ぶ。

誰もにこういう時代があったと信じたいですが、あまり聞かないですね。。。

コレに輪をかけたのが大学生当時の薬害エイズでして、国と製薬会社が薬価差益とか利権がらみでHIVウイルスが入っている血液製剤を、血友病患者の方々に配布していると。

あ、、、当時著作に学んだ広河隆一さん、何やら世間を騒がせていますね。。。彼のやってきた仕事は仕事として見てくださるといいのですが。。。

こんな感じで一体何を信じればいいのだ、と木を見て森を見るような感じになりまして、しかし「ドーハの悲劇」で日本を応援している自分を思い出したこと、そして薬害エイズの流れで『ゴーマニズム宣言』の小林よしのりさんが出てきたことが、大きかったかもしれません。

その後は教科書に出てこない日本の歴史を学び、日本の教科書がどうつくられたのか、マスコミはどういう存在なのか、などなど、おそらくではありますが、今ダイレクト出版さんで発売されているPride & Historyとか、いろいろありますよね、あそこで学べるようなことを、学んでいました。

コレが、リクルート入社前まで、入社中もかな、、、25歳から28歳の頃まで。

思考は飛躍したがるというか、先鋭化するというか、それはまさにオレのことじゃないか、ということを経験してきました。

土門さんをはじめ先輩方に学び、お客さんに学び、911があって、上海に行き、父の3期目の選挙があり、バックパックを持って旅にでます。

なぜトルコに行ったのか?

しばらく考えていたものの思い出せないのですが、、、たぶんギリシャのアテネから船でロドス島へ行ったとき、地図を見たら「トルコのマルマリスに上陸できる」と気づいたこと、が理由かもしれません。まあ、そんなものなのです。

最終的にベルギーのブリュッセルにおよそ1ヶ月後までに行くことができればよかったので、バンコクで購入したアテネ行きのチケットの復路は、オランダのスキポール空港発にしていました。1ヶ月FIXのチケットです。

アテネからロドス島の船では、アルバニア人のおじさんから船上の風が強いところでいかにマッチで火をつけるかを学び、ロドス島ではたしか塩野七生さんが「世界一セクシーな男性」と称したギリシャ人のウインクに心ときめき、マルマリスでは海岸でトルコ人から妙なコナを勧められ、レストランではメニューの表が外国人用で裏がトルコ人用という、あからさまな二重価格に悪びれもしないウェイターからラフマジュンというシンプルでうまそうなトルコ料理を学びました。

トルコ国内ではバス路線が発達しており、マルマリスからはアンカラ経由でカッパドキアのギョレメへ。ギョレメからはやはりアンカラ経由でサフランボルへ行き、サフランボルからはイスタンブールへ。

イスタンブールのシルケジ駅からは、当時走っていたボスポラスエキスプレスで、ブルガリアとルーマニアを抜けて、ハンガリーのブダペストまで行きました。

トルコのバスは当時、基本トルコ人でいっぱいで、イスラム教の国だからなのか、予約時には同性同士が隣り合うようにしてくれています。夫婦などの場合は別ですけどね。

そうなってくると、乗るバスの隣はトルコ人男性でして、必然的に彼らと会話をすることになります。

すると、「オレ、これから彼女に会いに行くんだよね、んふ」とか「結婚しているんだけど、こっちの指輪は彼女のものなんだよね、んふ」とか、バスを降りると、「オレの夢は日本人女性と結婚することなんだ」というトルコ人男性が数人、という具合でして、

相手が僕だからなのかもしれないけれど、基本的にアタマがピンクな国民性なんだな、と失礼ながら思っていました。

まあ、明るくて、人懐こい。そんなイメージでした。

親日の国なのかな、と思ったのは、カイマクルかデリンクユ、どちらかの地下都市遺跡で出会った、トルコ人小学生の集団から質問攻めにあったとき。

「どこから来たの?」と英語で聞かれ、日本だよ、と言うと、僕の周りに40人か50人の小学生が輪をつくったんですね。

そして質問攻めと写真攻勢。クラスで一番可愛い女の子っぽい子が取り巻きを従えて(笑)、一緒に写真とっても良くってよ的な雰囲気を発し、やれやれという感じで担任の先生がカメラを持ち、集合写真を撮ってくれました。

日本人だから、仕方がないか―的な雰囲気だったんですけれど、一緒に移籍を見学していたオーストラリアのイケメン青年は、「え、いったいなにコレ?」と驚いていました。ええ、僕も驚きましたよ、こんなのはじめて。

途中知り合った日本人のバックパッカーも同じ経験をしたらしく、当時僕たちは「アイドル現象」って読んでいました。

このアイドル現象の謎が解けるのは、サフランボルでの出来事。

当時はちょうど日韓ワールドカップが終わって1年が経った頃で、トルコが日本を破り、3位になりました。

たまたまサフランボルの学校でサッカーをしていた少年たちに誘われ、「トルコは日本に勝ったんだぜ」とか言われ、一緒にサッカーをしたのですが、仲良くなって、「オレのお父さんの店で、サッカー観ようよ!」となり、その子のお店が「チャイハネ」、お茶屋さんですね、だったので、そこで談笑することになりました。

少年たちは4人いて、ファティフ、フセイン、アポ、、、もうひとりはハッサン。なかでもファティフは「将来はサフランボルで英語の先生になる」というしっかりした中学生で、英語が堪能でした。

僕が難聴だから、と伝えると、紙をペンを持ってきて、筆談。

よほど伝えたいことがあるのだろうと思い、結構な時間、、、深夜の0時、イスタンブール行きのバスが出る時間まで、談笑していました。

そこで彼らに聞いたんですね。地下都市でこんなことがあったんだけど、なぜ、日本人が好きなのか?なぜ、そんなに日本人に良くしてくれるのか?(ちなみに、イスタンブール行きのバスが出るバス停までは、彼らが送ってくれ、お金も出してくれたのです)

すると、彼らの口から2つの歴史が登場しました。

1つは、エルトゥールル号が遭難した出来事。

もう1つは、露土戦争と日露戦争です。

エルトゥールル号事件を知ったのは、彼らから聞いたのがはじめてで、和歌山県の沖合で台風か何かの影響で沈んだトルコの軍艦、エルトゥールル号の乗組員を和歌山の方々が助けてくださり(残念ながら一部の人しか生き残れなかったそうです)、明治天皇の指令で彼らをイスタンブールまで送ってあげたそうです。

最近は映画にもなり、エルトゥールル号事件の存在は日本でも知られるようになりましたが、当時はほとんど知られていなかったように思います。

世界史だけは全国レベルだったので、用語程度は知っていると思ったのですが、、、僕は知りませんでした。

そしてこの恩返しを、トルコはイラン・イラク戦争の時にしてくれました。

テヘラン封鎖前に、日本人の駐在員たちを全員乗せてイスタンブールへと飛んだエピソードは、このブログをご覧の方ならご存知かもしれませんし、ほかで聞いたことがあるかもしれません。

安全が保証されないからとJALもANAも断ったテヘラン行きを、なぜトルコ航空とトルコ政府は引き受けたのか。

「エルトゥールル号事件の借りを返しただけです」

いや、すごい話を少年たちから聞きました。まさか、偶然訪れたサフランボルで。

そしてもうひとつの露土戦争と日露戦争の話で胸を打たれたのは、

「オレたちと同じアジアで黄色人種の日本が、白人国家をやっつけてくれた」

という部分でした。

こういう見方があったこと、そして日本人のうち何人が、他の国々からこういうふうに見られていると知っているのか、なんだか衝撃でした。

今の教科書は知りませんが、こういう側面を僕は日本の方々が知ったほうがいいんじゃないか、と思っているのです。

なぜなら、、、

彼らは日本に片思いだからです。

こんなに日本が好きなのに、日本人はそれを知らない。なぜ好いてくれているのかも知らない。

せめて、好いてくれている理由を知ったほうがいいんじゃないか。

僕はそう思うようになりました。

僕が世界9拠点で事業を営むとか言っているのは、ここに理由があるのかな、、、と僕は思っています。

あらゆる見方があって、それらを全部体験して、自分ができることをやろうじゃないかというか、、、

青臭いですかね、僕は、そんなことを願っているのです。

明日は、第2位を発表しますね。

P.S.
昨年14年ぶりに訪れたトルコでは、かつてのような日本人への眼差しは薄れていると感じました。

それも仕方がないかもしれませんが、、、トルコの皆さんが憧れた日本人で在りたい、って思うのです。

写真の帽子は、ファティフたちにもらった寄せ書き入りのものです。

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