1億円を稼ぐイメージを獲得したセールスレター

この記事は約7分で読めます。

セールスコピーを学び始めて15ヶ月目。

それまでに書いたセールスレターの本数は40本を超えていましたが、アプレンティスやお客さんから成約率や売れ行きこそ聞いていたものの、客観的にコレが自分のスキルだとは思えませんでした。すべてはハウスリストとお客さんとのリレーションの賜物、と思っていましたから。

しかし、僕が今まで見たことがないような価格帯の商品で1ヶ月に相当な本数が販売できたことをお客さんから知らされた時、はじめて自分のセールスコピーのスキルを客観的に捉え、自分を褒めることができました。

レネゲイド・ミリオネア・システムを購入して毎日聞き出し、あと1ヶ月で購入後1年、という頃。

コレはつまり2014年7月の出来事なのですが、当時はまだセールスプラットフォームをつくろうと考え、アプレンティスで知り合った松本さん(僕は彼女から、WORD PRESSを使ったランディングページの作成からステップメール作成、PPC広告やオプトインページに関するレクチャーを受けました)から8月に一度打合せをとお願いしてはいましたが、1年に1億円を売り上げるイメージは正直ありませんでした。

元来楽観的な性格なので、行けばわかるさ的な、まぁなんとかなるでしょうと。そんな感じでした。

もちろん2014年はスキルにフォーカスなので、年収が目的ではないのですが、マスタープランを確認しなおした時、2015年以降にそれぞれの年のゴールへと到達していることを考えたら、1億円を稼ぎだす力は必要だと思っていました。

1億円ということは、単純に12ヶ月で割ると1ヶ月833万円くらいです。2014年7月の頭当時、僕がこれまでの人生の中で獲得した1ヶ月あたりの最高額は60万円くらいでしたから、10倍しても追いつかない、という感じだったんですよね、確か。

その頃はセールスレターの依頼を受け始めており、勤める会社からいただく報酬とは別に、セールスレターの報酬も増えつつありましたが、それでも、7月末の報酬総額は100万円弱、8月末は150万円強、9月末は100万円強でした。当時は結構いっぱいいっぱいで働いており、仮に会社をやめてより多くのセールスレターを書けるようになっても、報酬が1.5倍に増えればいいほうかな、くらいで考えていました。

つまり、年間で2,000万円くらいまではいけるかな、とは思いましたが、とても1億円は見えてこない・・・。

たくさんのセールスレターを書いてはじめて気付いたのですが、それはセールスライターとして1本いくらでセールスレターを受けると労働集約型の仕事になってしまうということ。

つまり単価を上げるか書く速度を上げて多く書くかしないと報酬は頭打ちになりますし(いずれはなりますが)、これだと時間を自分でコントロール出来ないことに気づきました。お客さんがいる以上、お客さんに合わせないとならない側面がどうしてもあるからです。

であれば、やはり自分で収益を上げる仕組みが必要だよな、というわけで、スーパーなマーケターさんとの出会い、そしてアプレンティスで出会ったプロデューサーさんからうかがった話から、インフォ・ビジネスやろうと、そのためにはセールスプラットフォームだ、となったわけです。

ですから当時は、

*セールスレター1本あたりいくらだとシンドい
*お客さんから受ける以上、時間をコントロールしきれない
*だからインフォ・ビジネスをやろう

と考えていた、ということですね。まとめてみました。

それで、ダイレクト出版さんの森兼さんから依頼が来ました。セールスレターの依頼です。

この依頼を見た時、かなりビビったのですが、今まで見たことがないような価格帯の商品だったんです。依頼されてうれしいので「いいものつくってレジ鳴らします」とは宣言したものの、

内心、これ、ホントに売れるのかな?と。

セールスレターを書く時、初めてビビりましたし、ゾワゾワしました。こんなの買う人いるのかよ、って。ブツブツつぶやいていました。これ、ホントです。

そうはいっても、やらなきゃならないので(引き受けた以上)、とりあえず資料が膨大にあったため、これをデジタルで見るのはシンドいですから、キンコーズに持って行ってすべて印刷しました。コピーで数千円使ったの初めてでしたが、その出費で少しでもリサーチしやすくなっていいものができると思ったら、かつて節約派だったんですけれど、そんな僕はどこかへ消えてしまっていました(スゴく節約するタイプだったのです)。

1枚のオモテウラに4ページずつ印刷しても厚さが3センチ位あるコピー用紙を、キンコーズの店員さんが「雨なので」と気を利かせてビニールを二重にかぶせてくださったのはうれしいと感じつつ。

雨のなか持ち帰り、部屋についたら赤鉛筆片手にリサーチを開始したのですが、

なんと内容が難しすぎていつもよりもリサーチするスピードが遅い・・・、というおまけ付きの恐るべき案件。

しかもアプレンティスの課題や他に引き受けたセールスレターの案件があるなか、「オレは本当にこれを納品することができるのだろうか・・・しかも、レジを鳴らすように・・・」とブツブツ呟いて1日か2日後・・・、もうやるしかないからと吹っ切れました。

ボリュームがあまりにもある商品なので、すべてを伝えようとすると見込み客は混乱すると考え、一番とっつきやすく、興味を持つであろうところ、ベネフィットがわかりやすいところにフォーカスし、そこのみを興味深くミステリアスに、しかも詳しく伝えることで、全体に興味を持ってもらえるようにセールスレターを書きました。

コレを僕は「細部にフォーカスして全体拡張理論」と呼んでいます。ある一部分だけに強烈な興味をいだいてもらうと、他の部分も気になるという、まさにチラリズム的要素が盛り込まれた、好奇心という心理トリガーを使っています。

ちなみに、このセールスレターを納品する4日前がアプレンティス2期の最終日だったのですが、この時ほどアプレンティスが終わってほしくない日はなかったです。なぜなら、まだ少しも書けていなかったので。アプレンティスが終わったら書かないといけないので。現実逃避していましたね、今思えば。

しかし、細部にフォーカスして全体拡張理論を使い、ヘッドラインとオープニング、スワイプファイルがカッチリ決まった時はむしろガーッと書けました。文字数は1万8千文字くらいのセールスレターでしたが、1日で全て書いてしまったと思います。会社も休まず出勤していましたから、正直当時の僕はどうやって書き上げたかを覚えていません。しかし、納品当日は午前中に一度森兼さんに「書き換え前提で」納品し、その後何回か編集を繰り返し、日付が変わる前に一度納品し、その後読み直したら違和感ある箇所があったので(たぶん、誤字脱字とか読んだ時の語感が良くなかったとか、そういう細かなことです)、お詫びしながら夜の1時過ぎに再納品しました。

森兼さんも起きていたようで、承知しましたと受理してくださいました。もうこの時ほど納品がうれしかったことはなかったです。やった、オレはプロとして納期内にコレをやり遂げた、と。レジを鳴らしてもいないのに、ある種の満足感でいっぱいでした。レジについては、リリース後じゃないとわからないからと、しばらくは他のセールスレターを書いてアプレンティスの最終課題をやって、いつもどおりの日々を送ろうとしたのですが・・・

なんと2日後にリリースされました。思わず「はええっ!」って前のめりでしたね、この時は。

この話のクライマックスです。

ちょっと用事があったので、「リリース拝見しました、状況いかがですか?」と聞いたところ、

「初動はまずまずです。」という返事をもらっていました。ダイレクト出版さんの場合、初動がいいと結構それが継続する印象を持っていましたから、「これはもしかするともしかするんじゃないか」と思っていました。

ちなみに、損益分岐点の話は聞いていたので、このペースで行けば1週間か2週間でそれが達成できる、という感じだったと思います。

そして待つことしばらく・・・リリース後10日で連絡が来ました。「もう少しで損益分岐点を超えます」とのこと。うわ、オレやったよ、ってメチャクチャうれしかったですね、この時は。この損益分岐点を超えるとこのお客さんの場合はほとんどが利益になりますから、1本のセールスレターで利益を生み出すことを体感したわけです。ちなみに確か、損益分岐点は数百万円でした。

そしてさらに待つこと1ヶ月・・・実はコレはつい1ヶ月位前に聞いた話なのですが、損益分岐点の2倍から3倍は売れていることがわかりました。

つまり、1本のセールスレターで1ヶ月に1千万円以上の売上をあげていた、ということです。

もちろんコレまでどおり、ハウスリストやお客さんの取り組みのおかげなのですが、この価格帯をセールスレターでここまで売れたというのは、スゴく自信になりました。

コレはマネできるライターさんも少ないだろうと。そういう自負がありました。このセールスレターに関しては。

今でもセールスライティングスキルを磨いていますが、ハウスリストを構築し、リストの方々とのリレーションを深め、その方々にとって役に立つサービスをリリースできれば、1ヶ月に同じだけの売上をあげることが可能なんだ、という風に思えることができました。

コレは僕に自信を植えつけた、記念すべきセールスレターです。

次章は、セールスレターの依頼を受けて3ヶ月でわかったこと。
お客さんは選んだほうがいい、をお伝えします。

コメント

タイトルとURLをコピーしました