誠実さとレトリック。葛藤。

ビート・ザ・コントロール
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今日は自分で読み返しても主観的で私見たっぷりですが、アップしておきます。

昨日の対面セッション中に気づいた違和感の正体。それは木坂さんの「7つの鍵」ライティングセミナーで出た言葉を借りると「誠実さとレトリック」のアンバランスさ。

よくセールスコピーでもマーケティングでもコンサルティングでも、誤解を恐れずいうと「コレが稼げますよ」的なセミナーとか年間講座をやる方々とか、「これからは本質的な、本物が問われる時代ですよ」とか言いながらギラギラした装飾でいっぱいのランディングページに登場する人たちは、それっぽい写真を掲載します。Facebookページとか名刺とかでも、ですね。こう、軽やかで涼しげで、ちょっとだけ威圧感ある写真というか。

実体験としての実績がある人たちならまだしも、そういうふうに見せたほうがいいとしてコレを真似る人たちもいる。見た目が人に与える印象の大きさを考えたら、まあ、わかる。実際それで、発せられる雰囲気も良くなって、見られ方が変化することだってあるし、売上が上がったりするのでしょうから。

実体験に伴う印象を写真で表現するのは、文章ではないけれどもコレはひとつの表現技法としてありだ。しかし実体験と自分を乖離してでもよく見せようとする表現技法であれば、それはサギだ。

しかし、売るためにはそれも必要だ、というのであれば、まぁ、それもわかるよ・・・、というのが僕のツラいところ。なんでかというと、僕が誰かをプロモーションする立場なら、売りにいくためにもレトリックは効果的だと思うから。

でも自分自身がそれをやるには、誠実さに欠けると思っているんですよね。だから、誰かをプロモーションするなら人を選ぶでしょうし、現実と乖離したことをやり切る覚悟がないなら、それはやめておいたほうがいいんじゃないかな、って思いますし。

なんというか、葛藤があるのです。

僕が、そういう作られた写真を見て感じる違和感というのは、「軽やかで涼しげに写っているけれども、実際には結構汗流して労働していますよね」ということが透けて見えるから。

本当に軽やかで涼しげにセールスコピーでもマーケティングでもコンサルティングでもなんでもそうですが、それでうまくいく人っていないだろう、と思っているから。

誰にでもできるとは言うけれど、条件なしに誰にでもできるとは思えないから。

筋トレの是非はともかく、筋肉なしに運動をすることはできないと思うんだけどなぁ。

演じることにも資格が必要で、多分それは、実体験のレベルにまで持っていくことができるというのが資格になる。「オレはこういう人物だ」という、今の1,000%増し程度の表現で世に出てきた場合、行動し続けてそういうふうになれることができる人物であれば、僕はいいと思う。

でも、途中でやめてしまう場合がほとんどだから、やっぱり、見た目で判断しては申し訳ないけれども、作った写真を見ると僕は、「本当にそうなのかな」って思っちゃう。

なんで、軽やかで涼しげでちょっと威圧感ある写真とともに、実のところはどうなのかを伝えないのかな、と思う。

それ言っちゃうと儲からないでしょ。そうかもしれませんね。

やっぱり、リアリティかな。行動と結果。その人の言葉の先を見るのではなくて、その人の言葉の根拠を見る。そこに根拠があるならば、レトリックも誠実に見える。

よく言われる話ですが、自分の仕事を息子に「コレはオレがやっている仕事だよ」と見せることができるかどうか。

タルマーリーのイタルさんと息子さんが手を繋いで歩く場面。息子さんのもう片方の手にはイタルさんがつくったパンがあり、時折それを笑顔で頬張る。父として、コレはとてもうれしいことのひとつなんじゃないかなって思う。

実体とイメージが乖離しない、誠実さとレトリックのバランスがいい生き方。

そういう男で、ありたいなぁ、と思います。

P.S.
写真は母の本家。田植えの約束はまた来年かな。今年も、お墓参りに行こう。

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