前のめりになったら走れ!(人生に「仕方がない」なんてない)

ビート・ザ・コントロール
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お楽しみ様です。小野貴正です。

先ほどまでビーコンコーチングのオーナーさんとスカイプ。その時、健康の話になって、

「ちなみに僕は、玄米しか食べないようにしているのです」

と自信満々で語ったトコロ、、、その30分後にはセブン-イレブンに行ってセブンドーナツを3つ買ってしまったという。。。

まぁ、僕の潜在意識が前のめりだったので、美味しくいただけました。潜在意識に耳を傾けるって、大事ですよ。

コレは個人的な話なので話半分で聞いて欲しいのですが、なんとなく、「〜しかしてはならない」とか「〜でなければならない」というふうに、自分の知識や勉強の成果が生み出すもっともな意見、僕はコレを「顕在意識の声」と呼んでいるのですが、コレはファジーにとらえたほうがいいと考えています。

なぜなら、なんか詰まっちゃうから。人間は本来、ラクしたい生き物のはずなので、無理に「〜しなければ」となると逆に抵抗する力が働くものです。

食べ物も同じで、健康のために「〜しか食べないぞ!」とか「オレは絶食しなければならない」とか考えてしまうと、シンドいしストレスになりそう。

だから基本的に「オレは玄米とごま塩で高城さん風に行く」と決めても、食べたいものを食べたほうがいいんじゃないかな、って思います。そしたら、うまくバランスが取れるんじゃないかな。

実際高城さんは、会食に呼ばれたらソコの食事を楽しむと本に書いてありますし、僕の周りで健康志向な鉄人といえばミスターシンクロニシティとミスターワイルドサイドですが、この2人も基本的にその場にあるものを選んで食べるような感じです。この素材が・・・とかこの油は・・・とか考えている感じはしないです(少なくとも、それをその場で言ったりはしないんじゃないかな・・・)。

その分、ほかのところで調整している感はありますが・・・高城さんもミスターシンクロニシティもミスターワイルドサイドもエネルギーにあふれていて笑顔なので、食の方向性としては一つの正解なんじゃないかな、と思いました。

それで、食べたいものを食べるとか行きたい場所に行くとか、そういうことをする場合、多くの人は・・・

「いや、、、今はお金に余裕が無いから、、、」
「いや、、、今は会社勤めで時間が休めないから、、、」
「いや、、、本当にソコに行きたいのかちゃんと考えないと、、、」

・・・というように、理性を司る顕在意識とか、変化を好まない脳(コレも潜在意識の一つだと思います)の声を聞いてしまい、行動に移さないことってかなり経験あると思います。僕もそうだったので、コレ、よくわかる。。。

コレやりたい!と前のめりになっても、妙に「いや、それはちょっと・・・」と理性的になってしまうとか、結構ありました。

しかし、、、以前にも書きましたが、それらは変化を好まない脳の抵抗です。その脳がさも理性的に論理的に顕在意識を使って僕らにそれをやらせないように裏工作しているからこそ、「いや、それはちょっと・・・」という言葉で語りかけてくる。いわば、変化とか目標達成に至るチャンスなわけです。変化の兆候があるからこその抵抗、ですから。

往々にして、僕らにとっては「〜があるから仕方がない」なんてことは、何もなかったりします。「仕方がない」を生み出しているのは、自分自身の思考であり、幻想です。だから、「仕方がない」なんてものは、実は存在しない。

「おおぅ!」と前のめりになったら、「ゴー!」のサイン。

一塁ランナーが二塁に向かう時、「いや、それはちょっと・・・」なんて考えないですから。

P.S.
イチローが盗塁する時、「いや、それはちょっと・・・」と考えていたら、、、と想像したら、吹き出してしまいました。

P.P.S.
写真はタルマーリーと甚平を着たライターさん。WIFI使えるみたいで、MacBookAirをペチペチやっていました。

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コメント

  1. slowman より:

    そうだと思いました。
    もっと脊髄反射的に
    反応する自分を
    高めても良いかも知れないと思いました。

    • ono takamasa より:

      もっと脊髄反射的に
      反応する自分を

      実際のトコロ、前のめりって根拠があって、
      自分の内側がそうさせていたりします。

      「いや、ちょっと、これは、、、」

      という時っていいわけが出るキーワードだと
      僕は思うのですが(もちろん状況によります)

      この言い訳って、顕在意識なんですよね。
      つまり、主観、「我」なんです。

      じゃあ結局のところ「我」を外すってことは
      主観を外すってことだから、顕在意識を外すってことで、

      残るのは潜在意識ですから、ココに委ねる。
      コレが「脊髄反射的に反応する自分」かな、と。

      たぶん、顕在意識に委ねるとうまく行きません。
      何者かに作られた価値観であると僕は考えるからです。

      鏡の「が」を外したら、「かみ」。

      そう出口光さんという方がメルマガで書かれていたのですが、

      鏡の前に立つ自分と向き合い、
      「が」「我」を外せたら、そこに「かみ」を見るわけです。

      このかみというのは唯一神のGODではなく、
      誰の中にもいるそれぞれのかみだと僕は思います。

      slowmanさんの内側にも、尊いものがある。

      その尊いもの、脊髄反射的に反応するもの、
      気付かないけど大切にしている価値観、
      世界観、そういうものをひっくるめて、

      かみがいるんじゃないかな、と。

      神社にお参りに行きますよね?
      かみさまに祈るわけです。

      だから内側のかみも、大事にしてください〜

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